著者: ピーター・アムステルダム
9月 12, 2023
ガラテヤ書第1章で、パウロは自分が回心したことや、アラビヤに行き、その後ダマスコに戻ったことについて、個人的な証を述べています。その3年後、パウロはエルサレムへ行き、15日の間滞在して、ペテロやヤコブと会い、その後、 シリヤとキリキヤとの地方に行きました。[1]
パウロが信者になったことと、その宣教についての個人的な証は、ガラテヤ書第1章11–24節に始まり、[2] ここ第2章に続いています。
その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒に、テトスをも連れて、再びエルサレムに上った。[3]
パウロは、エルサレムの使徒たちやユダヤの諸教会との関係について、引き続き語っています。彼が再びエルサレムに旅したのは、14年後のことでした。前回の訪問からそれだけ長い時間が過ぎていたということが、パウロの宣教とメッセージの独立性を強調しています。彼はエルサレム教会に依存していたわけではないのです。
使徒行伝(使徒言行録)を読むと、バルナバはパウロの長年の同労者であったことが分かります。「聖霊が『さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい』と告げた。」[4] 「集会が終ってからも、大ぜいのユダヤ人や信心深い改宗者たちが、パウロとバルナバとについてきたので、ふたりは、彼らが引きつづき神のめぐみにとどまっているようにと、説きすすめた。」[5] バルナバは、「慰めの子」という意味のニックネームです。[6]
そこに上ったのは、啓示によってである。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、「重だった人たち」には個人的に示した。それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。[7]
パウロがエルサレムに向かったのは、神の啓示に導かれてのことでした。どんな啓示だったかは語られていないので、その内容については一切分かりません。エルサレムに到着すると、パウロは彼が異邦人の間に宣べ伝えているメッセージ、つまり、ダマスコへの途上で受け取ったメッセージを、使徒たちに説明しました。パウロは、自分の伝える福音がイエスから与えられたものであると知っていましたが、同時に、使徒たちから自分の説くメッセージに同意してもらうことが重要であることも分かっていました。パウロと使徒たちとの会合は、「個人的に」行われました。ペテロとヤコブとヨハネは、この手紙で4回、「重だった人たち」と呼ばれています。[8] パウロは、彼らがその称号にふさわしいと考えて、そう呼んだのでしょう。
パウロは使徒たちと会うことを要求されたわけではありませんが、現実的にはそうした方が良いと考えたようです。もし使徒たちが、パウロのメッセージは偽りであると宣言していたら、パウロの宣教は大きなダメージを受けていたことでしょう。
しかし、わたしが連れていたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼をしいられなかった。[9]
旧約聖書によれば、割礼は神の民の一員となるために必要とされていたので、割礼の問題は大きな関心事でした。[10] 一部のユダヤ人クリスチャンは、クリスチャンになった異邦人が救われるためには、割礼を受け、モーセの律法を守らなければならないと考えていました。[11] そういった人たちは、テトスは異邦人だったので、割礼を受けなければ神の民の一員になれないと考えました。
パウロは、エルサレムでの私的な会合の成果について語っています。解説者の中には、テトスは自発的に割礼を受けたのであって、割礼を強制されたわけではないということを、パウロが言っているのだと考える人もいます。テトスの状況は、使徒行伝16:3に記されたテモテの状況に似ていると感じているのです。「パウロはこのテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、まず彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることは、みんな知っていたからである。」[12]
テモテが割礼を受けることに同意したのは、それで救われるからではなく、パウロと共に会堂に入り、そこで福音を宣べ伝えることができるようになるためです。テモテの父親は異邦人でしたが、ユダヤ人を母としていたので、ユダヤ人とみなされました。[13] 一方、テトスはギリシャ人だったので、もし彼が割礼を受けることに同意したなら、ガラテヤの信徒たちも皆、割礼を受けなければいけないということになってしまいます。パウロは、テトスがエルサレムの指導者たちから割礼を強制されなかったという点を強調しており、もしテトスに割礼を施していたなら、割礼は異邦人に必要ないと主張することができなかったことでしょう。
それは、忍び込んできたにせ兄弟らがいたので――彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためであった。[14]
パウロは、教会に忍び込んできた偽兄弟たちに言及していますが、使徒たちとの会合で何があったのかは書かれておらず、曖昧な情報しか与えられていません。そこで、解説者の中には、この節を、テトスの割礼の問題はエルサレムの指導者たちとの会合の中で持ち上がったのではなく、偽兄弟たちが入ってきた時に生じたと読み解いている人たちもいます。また、これらのことは、おそらく同時期に起きたと考える人たちもいます。どちらにせよ、テトスの割礼に関する問題は、偽兄弟たちの影響によって表面化しました。
パウロは、この論争を引き起こした人たちを偽兄弟と呼んでいます。彼らは、テトスがクリスチャンになるには割礼を受けなければいけないと主張しました。イエスがメシアであると信じてはいましたが、パウロは、彼らが主にある兄弟ではないと結論づけました。彼の考えでは、救われるためには割礼を受けて、モーセの律法を守るべきだという要求をする人は、あがなわれた者たちの輪から外れているのです。
彼はすでに、違った福音を宣べ伝える人はのろわれるべきだと述べています。[15] パウロは、モーセの律法を守ることを強く要求する人は、単に些細な間違いを犯しているわけではないと理解していました。律法の遵守を要求することは、救いを神の業ではなく、人間の業とすることなのです。
パウロは、この偽兄弟たちがひそかに教会に潜り込んで来たと述べています。彼らは教会に潜入した干渉者であり、本物のクリスチャンではありませんでした。彼らが教会メンバーとなったのは、信者たちの様子をうかがうためであり、彼らの存在は不和をもたらしていました。パウロは彼らを、奴隷状態から抜け出せず、自由になるよりも、他の人たちをも奴隷状態に引き入れることを望む、偽の兄弟とみなしました。
わたしたちは、福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかった。[16]
偽兄弟たちの主張は、パウロにまったく通用しませんでした。彼は、福音のメッセージを守り抜くために、テトスに割礼を施せという圧力と戦いました。テトスに割礼を受けさせようとする圧力は偽りの教えであると認識し、それを否定したのです。もしパウロが、新しい信者に割礼を受けるよう強要するユダヤ教主義者に屈服していたなら、それは、異邦人もユダヤ人と同じように、イエスを信じる信仰によって義とされると教える福音を否定することになっていました。
そして、かの「重だった人たち」からは――彼らがどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない。神は人を分け隔てなさらないのだから――事実、かの「重だった人たち」は、わたしに何も加えることをしなかった。[17]
ここでパウロは、教会の「柱」として重んじられている使徒たちに言及していますが、彼らを過大に評価すべきではないと指摘しています。キリストが地上で宣教されていた時にキリストの弟子であったからというだけで、あがめられるべきではないと。パウロは彼らの権威を否定したわけではなく、彼らをあがめることを否定したのです。この偽兄弟たちやガラテヤのユダヤ教主義者たちは、パウロよりも使徒たちの方が信頼できる権威者だと感じていたのでしょう。パウロは、エルサレムの指導者たちに畏怖の念を抱いてはいませんでした。使徒たちの権威を否定はしなかったけれど、彼らの地位は、彼にとってあまり重要ではなかったようです。
ガラテヤのユダヤ教主義者たちは、エルサレムの使徒たちが自分たちの伝える福音が正当なものであるとしてくれることを期待していたと思われますが、そうはいかず、使徒たちはパウロの方に同意しました。彼らがパウロと足並みをそろえたことは、ガラテヤのユダヤ教主義者たちの見解に対する強力な反証となりました。
それどころか、彼らは、ペテロが割礼の者への福音をゆだねられているように、わたしには無割礼の者への福音がゆだねられていることを認め、… [18]
使徒たちはパウロのメッセージに同意し、彼の教えを変える理由は何もないと考えました。彼の教えは割礼を受けていない人、つまり非ユダヤ人の心に訴えるものであると考えたのです。この節の「ゆだねられている」という言葉は、神的受動態(行為者である神の名が省略されている受け身表現)であると理解されています。それは、無割礼の人への福音をパウロにゆだねたのは神だということです。つまり、エルサレムの使徒たちは、自らがパウロの権威を確立したわけではなく、神がパウロにそのような権威をお与えになったことを認めたのです。
「無割礼の者への福音」という言葉は、パウロが異邦人(非ユダヤ人)に宣べ伝えていた福音を指しています。パウロは、割礼が救いのために必要だと主張することはありませんでしたが、ペテロが「割礼の者」のためにゆだねられている福音には反対しませんでした。ペテロは神から福音をゆだねられており、その宣教の対象は割礼の者、つまりユダヤ人たちだったのです。パウロは、自分にもペテロにも使徒としての権威があり、ただ異なる領域で働いているのだと主張しています。ペテロの使徒としての権威を疑ってはいません。ペテロにも福音がゆだねられており、パウロは、ペテロが伝えている福音はパウロが伝えているのと同じものであると信じていました。
(というのは、ペテロに働きかけて割礼の者への使徒の務につかせたかたは、わたしにも働きかけて、異邦人につかわして下さったからである)、… [19]
ペテロもパウロも、同じ福音を伝えていました。ペテロが割礼の者、つまりユダヤ人への使徒として召されたのは、神がペテロの人生に働きかけて、割礼の者への使徒となる備えをしてこられたからです。同様に、神はパウロの人生に働きかけて、彼が異邦人への使徒となれるようにしてくださいました。
パウロは、ここでは特に自分を「使徒」と呼んでいませんが、ペテロがパウロの福音は正当なものであると認めたので、それはパウロの使徒としての権威も正当なものであると認めたことになります。
かつ、わたしに賜わった恵みを知って、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交わりの手を差し伸べた。そこで、わたしたちは異邦人に行き、彼らは割礼の者に行くことになったのである。[20]
エルサレムの指導者たちがパウロの異邦人への宣教を認めた第2の理由は、神がパウロの人生に働いておられるのを見たからです。彼らはパウロの宣教を評価し、神の恵みが彼に与えられたことを認めました。そして、パウロとバルナバが伝えていたメッセージを承認し、交わりの右手を差し出しました。交わりの右手を差し出すことは、協調、受け入れ、同意、信頼を示す厳粛な行為です。パウロは柱として重んじられている人たちをあがめることはしないよう釘を刺していますが、彼らの権威は認めています。
ここで彼が言いたい主要なことは、エルサレム教会の指導者たちがパウロとそのチームを彼らの交わりに招き入れたことです。彼らは、パウロが伝えていた福音にある真実を認めました。テトスが割礼を受けるよう強いることはなかったし、[21] パウロのメッセージに何か付け加えることもありませんでした。むしろ、同じ福音を宣べ伝えていることで、自分たちはパウロやバルナバと協力し合っているのだという考えだったのです。
彼らは、使徒たちがユダヤ人への宣教に主眼を置く中、パウロたちが異邦人に福音を伝えるという特別の召しを受けていることを認めました。これは、使徒たちが異邦人に宣教することを許されなかったという意味ではないし、ユダヤ人への宣教をパウロが禁じられていたということでもありません。そうではなく、パウロとそのチーム、そして、当時の教会の柱となっていた人たち、それぞれの主な宣教対象が誰であるのという認識について語っているのです。
ただ一つ、わたしたちが貧しい人々をかえりみるようにとのことであったが、わたしはもとより、この事のためにも大いに努めてきたのである。[22]
エルサレムの指導者たちからの唯一の要請は、貧しい信徒たちを助けることでした。パウロは、自分がすでにそうしていると述べています。それまでも、貧しい人々のために金を工面していたからです。
パウロの福音は教会の柱である人たちによって正当なものと認められ、彼が伝えていたメッセージには何も付け加えられなかったので、パウロはガラテヤの信徒たちに、彼の伝える福音はエルサレムの使徒たちが伝えている福音と同じものであることを保証しました。パウロはただ、ガラテヤの信徒たちが貧しい人たちのことを忘れず、彼らを助け続けてほしいという願いだけ付け加えました。
(続く)
注:
聖書の言葉は、特に明記されていない場合、日本聖書協会の口語訳聖書から引用されています。
1 ガラテヤ 1:18–19, 21.
3 ガラテヤ 2:1.
4 使徒 13:2.
5 使徒 13:43.
6 使徒 4:36.
7 ガラテヤ 2:2.
8 ガラテヤ 2:2, 6(2回), 9.
9 ガラテヤ 2:3.
10 創世記 17:9–14.
11 使徒 15:1–31.
12 使徒 16:3.
13 使徒 16:1, 3.
14 ガラテヤ 2:4.
15 ガラテヤ 1:8–9.
16 ガラテヤ 2:5.
17 ガラテヤ 2:6.
18 ガラテヤ 2:7.
19 ガラテヤ 2:8.
20 ガラテヤ 2:9.
21 ガラテヤ 2:3.
22 ガラテヤ 2:10.
Copyright © 2024 The Family International. 個人情報保護方針 クッキー利用方針