苦しみの中に神を見る

著者: マリア・フォンテーン

6月 19, 2024

[Seeing God in Your Suffering]

June 4, 2024

人類の文化や宗教は多様ですが、この地上での生活には、様々な形態の苦しみの要素が必ず含まれており、そのような苦しみや悲しみ、痛み、孤独が消えてほしいと思うのは、自然な反応です。しかし、このような「自然な」反応で心がいっぱいになると、全体像にある主要な要素を見逃してしまいます。

  苦しみは、それが自分自身のものであれ、あるいは、愛する人に及んだものであれ、その最中にそれに耐えるのは難しいものです。後者は、時には最も辛いものともなりえます。たとえ、それが最終的に彼らの成長につながるとわかっていても、彼らがそうしたことに耐えているのを見るのは、心が痛むのです。

  特定の苦しみの源が、私たちの人生においてその目的を完全に果たしたと主がご存知の時になってから、私たちの祈りに応えてその苦しみを取り除くというのが、主の働き方です。しかし、まだより多くの益と成長と祝福が得られるとしたら、そして、そのような祝福と成長が、まとめてではなく何回かにわたって訪れる必要があるとしたら、どうでしょうか。私たちの苦しみや、神がそれからもたらしてくださる益について書かれた、ある歌のコーラス部分にも、こうあります。「もしそれが良いものでないなら、神はまだその働きを終えていない。神はまだそれを成し終えていない。」 神はまだ、これまでよりさらに大きな益をもたらし、その苦しみからより大きな成長と祝福を生じさせておられるということなのです。そういう時こそ、私たちは神をさらに信頼する必要があります。神は、私たちに得てほしいと望んでおられる益を完全に刈り取るまで、耐え続けるための恵みを与えてくださいます。

  主との関係や、御言葉についての知識は、私たちの信仰と信頼を強めることができ、それによって、私たちは自分の人生における神の計画を受け入れられるようになります。イエスに近づけば近づくほど、イエスが私たちに直面させてくださるものが何であれ、知恵や思いやり、憐れみ、忍耐、その他多くの素晴らしく貴重な宝の数々をもたらすことができることを、ますます理解できるようになるでしょう。

  信仰は、人生を痛みや苦しみのないものとすることはありません。それよりはるかに良いことをなすのです。その瞬間の苦しみの先を見て、時が来れば究極の益が花開くことを主はご存知なのだと信じる神からの知恵を伴った、より広い物の見方を与えてくれます。私たちは時として、苦しみを何か悪いことをした結果と同一視しがちですが、苦しみの目的は、たいていは訓練や学び、また、知恵の成長にあるのです。

  苦しみの中で、また苦しみを通して、イエスとより親密な関係を築くことは、私たちの祈りに対する理解とアプローチを変えることができます。それはまた、苦悩している人々への私たちの奉仕を、相手に合わせた個人的なものにしてくれます。なぜなら、私たちがこの世において他の人の心を完全に知ることはできなくても、彼らが直面していることをより深く理解するのを、イエスが助けてくださるからです。

  この点をよく言い表している引用句や聖句をいくつか紹介したいと思います。あなた自身の励ましのために、また、どんな形であれ苦悩に直面している人を助けるために、利用してもらえたらと願っています。私たちは、あらゆる場面でイエスに目を向ける必要があります。イエスが私たちの人生において働いており、将来、つまりこの世と次の世の両方に待ち受けていることのために、私たちを準備してくださっていると知っているからです。

* * *

私たちの誰もが、この人生における恐怖や悲しみ、苦しみにあう時にそうなるように、イエスもゲツセマネの園で不安に直面された。イエスは、父が最善だと知っておられることが何であれ、父に従ってそれを行うとコミットすることによって、その不安に打ち勝ったのだ。私たち自身の意志と私たちの将来とを神の手にしっかりと委ねることによって、不安と恐れをいかに克服できるかという手本を示された。勝利とは、必ずしも私たちが経験したくないことをすべて阻止することにではなく、私たちが直面するすべてのことを最終的にはより大きな益に変えてくださる主の忠実さを信じることにある。—不詳

心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。—箴言3:5–6

賛美について書かれた[聖書の]節のほとんどは、打ちひしがれるような心痛、不正、裏切り、中傷、その他多くの困難な状況に直面した人々によって語られたものである。—ジョニー・エレクソン・タダ

これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。—ヘブル11:13–14, 16

この世における苦しみは誰にでも訪れるものだが、神を愛する者にとって、苦しみは常に、私たちを押し下げる重石ではなく、私たちを持ち上げる翼として用いることができる。—不詳

悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。—ローマ12:21

災難に遭わない者は、勇気を必要としない。不思議ではあるが、人間性の中で私たちが一番好きな特性は、問題が強く混ざり合った土壌の中で育つ。—ハリー・エマーソン・フォスディック

そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。—1ペテロ1:6–7

この世の財産が乏しくても、愛する人を失って悲しんでも、身体の痛みに苦しんでも、罪とサタンに悩まされても、世の人々に憎まれ迫害されても、クリスチャンとしてどんな立場にあったとしても、主にあって喜ぶことは、クリスチャンの権利であり、義務でもある。—アーサー・W・ピンク

信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。—ヘブル12:2

神は、その困難から大きな祝福が生まれるという具体的な計画があるのでない限り、いかなる問題も私たちに降りかかるのを許されない。—ピーター・マーシャル

これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。—ヨハネ16:33

喜びは、必ずしも苦しみがないことではなく、そこに神がおられることである。—サム・ストームス

あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。—詩篇16:11

もうやめたいと思う時が、大きなチャンスの時となることがある。神はあなたを成長させるために、あなたの苦悩を用いられるのだから。—ウォーレン・W・ワーズビー

それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。—ローマ5:3–5

大声でわめく必要はない。主は私たちが思っているよりも近くにおられるのだ。—ラウレンシオ修士(ブラザー・ローレンス)

あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。—マタイ28:20

涙は、人が天国の奥深くまで見るための望遠鏡となることがよくある。—ヘンリー・ウォード・ビーチャー

わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。—ローマ8:18

彼らは、私たちの主にイバラの冠をかぶせた。それなのに、なぜ私たちはバラの花冠を望むのか。—マルティン・ルター

愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。—1ペテロ4:12–13

多くの時、私たちは神が解放してくださることを求めつつ、試練に耐える。苦しみは、それを耐えるにも、愛する人が耐えるのを見るにも、痛みを伴うからだ。私たちの本能は試練から逃れようとするものだが、苦しみの只中にあっても、神の御心が行われているのだと覚えていなさい。—ポール・チャペル

主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。—エレミヤ29:11

自然の摂理と自由意志の存在に伴う苦しみの可能性を排除しようとすれば、人生そのものを排除していることに気づくだろう。—C・S・ルイス

彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源と …[となえられたのである]。—ヘブル5:8–9

主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。—1ヨハネ3:16

世の中には苦しみがあふれているが、苦しみを克服した例もあふれるほどある。—ヘレン・ケラー

信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたは、そのために召され、多くの証人の前で、りっぱなあかしをしたのである。—1テモテ6:12

神の腕の中に潜り込みなさい。あなたが傷つき、孤独で孤立しているように感じる時は、神に優しく抱えて慰めていただき、この上なく充分な神の力と愛に安らぎなさい。—ケイ・アーサー

心の痛みは、その絶望的で切迫した必要性によって、神を抱きしめることを私たちに強いる。あなたの心が痛んでいる時ほど、神が近くにおられることはない。—ジョニー・エレクソン・タダ

正しい者が助けを叫び求めるとき、主は聞いて、彼らをそのすべての悩みから助け出される。主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。—詩篇34:17–18

神にはかつてこの地上に、罪のない息子が一人いたが、苦しみのない息子は一人もいなかった。—ヒッポのアウグスティヌス

この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。—ヘブル4:15

私たちが困難のない人生を切望する時、樫の木は逆風の中で強く成長し、ダイヤモンドは圧力を受けて作られることを思い出させたまえ。—ピーター・マーシャル

どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。—エペソ3:16–19

傷ついても一人でいる必要はない。慰めを受けられるし、喜びを選び取ることができる。そして、それはすべて、あなたの救い主によって可能とされた。主は、あなたが慰めを得ることができるように、ご自身は慰めもないままでおられた。あなたが喜びにあずかれるように、ご自身は喜びを後回しにされた。あなたが傷ついて悲しみに暮れることのないように、自ら進んで孤立状態を選ばれた。—ジョニー・エレクソン・タダ

私は、増し加わる試練の一つひとつが、無限の愛と憐れみによって定められていることを確信していなかったなら、度重なる苦しみを乗り越えて、生き延びることはできなかったであろう。—アドニラム・ジャドソン

だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。—2コリント4:16–18

「なぜ私に、こんなことが起こるのか。なぜ私は、こんなに辛い目にあっているのか。」 その答えの一つは、人生は困難なものだということである。それが私たちを成長させてくれるのだ。この地上は天国ではないということを覚えていなさい。—リック・ウォレン

[わたしたちが]もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。—ローマ8:17

神が人を深い水の中に連れて行かれるのは、溺れさせるためではなく、清めるためである。—ジェームズ・H・オーギー

苦しみを避けようとすればするほど、ますます苦しむようになる。なぜなら、傷つくことへの恐れに比例して、より小さく些細なことがあなたを苦しめるようになるからだ。—トマス・マートン

愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。—1ヨハネ4:18

自分が受けずに済んでいる様々な苦難について考えてみなさい。そうすれば、今被っている苦難に辛抱強く耐える助けとなるだろう。—リチャード・セシル

わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。—2コリント1:9–10 新共同訳

イエスを信じる者にとって、どんな苦しみの試練も、信仰を成長させ、主との関係を成長させる機会なのだ。そして、主の思いやり、主の慰め、主の優しい憐れみ、主の慈しみ、主の恵み、主の終わりなき愛を示すような個人的で独特の方法で、主が私たちの人生に働きかけてくださるのを見る機会である。私たち一人ひとりが「御子のかたちと同じ姿」にされるために、何を経験し、学ぶ必要があるのかは、ただ神だけがご存知である。—T・A・マクマホン

わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。—ヤコブ1:2–4

 

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