著者: ピーター・アムステルダム
11月 26, 2024
リストの7番目に来る美徳は、誠実(忠実)です。誠実・忠実については、旧約聖書でも新約聖書でも、多くが語られています。聖書で使われている誠実・忠実という言葉は、信頼できる、不動の、揺るぎない、といった概念を表しています。[訳注:この概念を表すため、日本語訳聖書では「真実」「まこと」という訳語が使われることがよくあります。また、御霊の実としての誠実・忠実を表すギリシャ語の言葉には、「信仰」「信じている」という意味もあります。]
聖書全体を通して、神は誠実・忠実(真実・まこと)な方であると書かれています。シナイ山でモーセに姿を現した際、神はご自身についてこう表明されました。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神 …。」[1] また、神は「真実なる神」[2] と呼ばれ、詩篇には「主のまことはとこしえに絶えることがない」[3] と書かれています。
神は忠実であり、その約束や私たちへの愛に関して、揺るぎない方です。私たちの信仰が弱まったり失われたりしたとしても、「彼は忠実であり続ける。自身を否むことができないから。」[4]
私たちの生活において忠実の美徳を育むという文脈において、忠実とは、神の言葉に従って生活し、神を第一に置き、何事も神への献身よりも優先することはしないという誓約のとおりに行動することです。この概念は、十戒の第一戒に、このように表現されています。「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」[5] 私たちクリスチャンにとっての誓約とは、神に自分の第一の忠誠、また愛と献身を捧げることによって、神に対して忠実であることです。
忠実・誠実とは、信頼できる、当てになるということでもあります。約束したことは守り、自分の義務を果たすことです。忠実で、約束を守り、高潔な振る舞いをする人は、どんな状況でもそのように行動します。
私たちはクリスチャンとして、他の人との会話や交流において、忠実で高潔、信頼できて当てになる存在となるよう求められています。それによって、私たちは他の人に対して主を反映することになるのです。「いつくしみと、まこととを捨ててはならない、それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。そうすれば、あなたは神と人との前に恵みと、誉とを得る。」[6]
以下にいくつかの記事を引用しますが、それらは、私たちがいかに忠実さにおいて成長し、この聖霊の実を私たちの人生に表すことができるかについて、有益な励ましを与えてくれます。
忠実な人は信頼でき、誠実です。神に対して忠実であり、何であれ神に召された仕事に忠実であり、約束を守ることや他者に対する義務を果たすことに忠実です。こういったことはすべて、クリスチャンとしての義務の一部です。
そういった人が忠実(faithful)なのは、信仰に満ちている(full of faith)からです。彼らの信仰こそが、責任を果たす力を与えてくれます。彼らは信仰の源である神の言葉で満たされているので、[7] 御言葉が告げることを自然に実行できます。彼らの信仰は生きており、それが行動に現れるのです。[8] 忠実な人は、自分の信じている主を知っており、主が最終的にすべてを私たちの益となるようにしてくださると確信しているので、どんなことがあろうとも、進み続けます。[9]
どうすれば、忠実でいられるのでしょうか。イエスの近くにとどまることです。神の言葉を読むことで信仰を強め、今日できる限り忠実であろうと努めれば、あなたは忠実であり続けることができ、それは他の人への証となることでしょう。—ラファエル・ホールディング [10]
神に謙虚に仕え、一貫して神と共に歩む人を、「忠実な人」と呼ぶことができます。ネヘミヤがエルサレムを離れてペルシャに戻らなければならなかった時、ハナニとハナニヤを責任者として任命しました。彼らを選んだ理由は、「多くの者にまさって忠信[忠実・誠実]な、神を恐れる者であったから」です。(ネヘミヤ7:2) ネヘミヤは信頼できる人格者を必要としていました。賄賂を受け取らず、人々の福利に尽力し、誠実に職務を遂行する人です。
また、忠実さは神を恐れることに関連していることにも注目してください。神を真によく知れば知るほど、私たちはますます神に倣う者となりたいと思うものです。(エペソ5:1) 忠実な人の例は、他にもシラス(1ペテロ5:12[訳注:別名シルワノ])、テキコ(エペソ6:21)、エペフラス(コロサイ1:7)、オネシモ(コロサイ4:9)、モーセ(ヘブル3:2)などがいます。この「忠実な人リスト」に入っている名前の中には、ほとんどの人に馴染みのないものもあります。たとえば、テキコやエペフラスについては、あまり多くのことがわかっていません。しかし、たとえ小さなことについてであれ、忠実であることは神に知られ、最後には報われるのです。(ルカ19:17)—Got Questions [11]
忠実な人と不忠実な人の違いは、不忠実な人は困難の兆しが見えた途端にあきらめてしまうけれど、忠実な人はそれでも進み続けるということです。
忠実な人には固い決意があります。忠実な人は勤勉です。忠実な人は粘り強いです。忠実な人はあきらめることを知りません。小さなどんぐりが樫の木になるのをご存知ですか。樫の木とは、あきらめようとしなかったどんぐりのことなのです。…
あきらめるまでは、決して失敗ではありません。そして、どんな時も、あきらめるには早すぎるのです。神は困難な時期を使って、あなたの粘り強さを試されます。
私たちがサドルバック教会を始めた時、すぐに建物が得られると思っていました。しかし、15年間、決まった建物がなかったのです。最初の13年の間は、79の異なる施設を利用しました。私が何度あきらめそうになったと思いますか。月曜の朝になるたびです。…
もしあなたが今、辛い時を過ごしているのなら、この聖句はあなたのためにあります。「だから、私たちは決してあきらめない。たとえ肉体が死にゆくとも、私たちの霊は日々新たにされている。なぜなら、私たちの一時的な問題は小さく、長くは続かないものなのだから。しかし、それは私たちに、はるかに重みのある永遠の栄光をもたらす。」(2コリント4:16–17 英語NLT訳)
神は、あなたに今何が起こっているかよりも、あなたがこれからどうなっていくかに関心を持っておられます。神はしばしば、私たちに勤勉さ、決意、品性を教えるために、私たちの人生に試練や悩み、苦難、問題が起こるのを許されます。あなたがたった今直面している問題はどうでしょうか。それは、あなたの忠実さを試すものです。人生がうまくいかない時でも、神に仕え続けてみませんか。
「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。」(ガラテヤ6:9)—リック・ウォレン [12]
あなたが自分の永遠の運命にプラスの影響を与えるために、今どのような選択ができるのか、いくつか挙げてみたいと思います。
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「この場合、管理者に要求されているのは、忠実であることである。」—1コリント4:2
神が信者に報いてくださる日に、神の前に立っている自分を思い浮かべてみてください。「良い忠実な僕よ、よくやった」と言っていただきたいのですが、左を見ると、有名な中国への宣教師であるハドソン・テーラーがいることに気づきます。そして右には、ナチスからユダヤ人をかくまうために命をかけた、あの聖人のようなコーリー・テン・ブームがいます。どことなく、自分が少し小さくて取るに足らない存在に感じます。
でも、そう感じる必要はありません。神が求めておられるのは、ただ、あなたが神からいただいた召しに忠実であることです。あなたの召しが高尚なものであろうと、つつましいものであろうと、すべての信者が神の前に立つその日に、神があなたを称賛されるのは、忠実さです。それは、あなたの忠実さが、神から、この世にいるビリー・グラハムのような人たちのために用意されているものと同じくらい大きな栄光によって、報われるかもしれないということです。
だから、覚えていてください。神はあなたに忠実であることを求めておられます。それで十分です。それが、すべてなのです。—ジョニー・エレクソン・タダ [14]
以下の逸話は、特に私たちのようなシニア世代にとって心温まる物語です。人々を神のもとに導き、言葉によっても行動によっても隣人や地域社会によき知らせを伝えるために、神が忠実な信者を生涯にわたって用いてくださるのを見るのは、励みになります。
私は祖父がゴールラインを切る瞬間を目にすることができました。祖父は、酸素マスクのよどんだ空気を吸っていたかと思えば、次の瞬間には、天の栄光を深々と吸い込んでいたのです。
この世の基準から言うと、祖父は偉大な人ではありませんでした。フェイスブックのフレンドやツイッターのフォロワーはいなかったし、本を書いたこともなく、会議で発言したことも、ネット上で拡散されるような動画を制作したこともありません。人気のあるブログを書いていたわけでもありません。
祖父は巷で有名にはなりませんでしたが、神の目から見れば、真に偉大な人でした。それが真の、聖書的な偉大さの奇妙な点です。聖書的な偉大さは必ずと言っていいほど、拡散されることがありません。聖書的な偉大さにはほとんど常に、誰の目にも留まらないような行為が必要とされるからです。
誰も、祖父が近所の目の不自由なホーマーを助けるために、請求書の支払いをするところを見ていません。
誰も、祖父が聖アンデレ老人ホームで毎週聖書クラスを教えているところを見ていません。
誰も、祖父がトムとトニー(生活保護を受けている年配者)を、毎週車で買い出しに連れて行ってあげるところを見ていません。
祖父は毎月、30枚ぐらいの誕生日カードを手描きして、友人や教会員たちに送っていました。合わせると全生涯で6000枚ぐらいのカードを描いたと思います。
セレブに熱を上げる私たちの文化の中で、祖父は真にセレブとは反対の生活をしていました。買い物はウォルマートでしていました。一度などは、虫歯をペンチで引っこ抜いたこともあります。地元の教会のソフトボールの試合では、ずっと得点係をしていました。第二次世界大戦の退役軍人でしたが、そのことをまったく大したこととは思っていませんでした。
けれども、祖父は神の目から見るなら、間違いなく最高に偉大な人物だったのです。息を引き取る少し前に、私はマタイ25章の20節と21節を読んで聞かせました。「すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました。』主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』」
祖父がイエスからそう言われた時に、周りから上がったであろう歓声を、私も聞きたかったものです。—スティーブン・アルトロッジ [15]
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チャールズ・マッコイ博士は、7つの学位を持つ牧師でした。彼の教会は、彼が72歳で引退して、老人ホームに入居するものと思っていました。
しかし、マッコイ博士は根っからの探検家で、引退後はインドへ移ったのです。友人から、「インドで死ぬかも知れないじゃないか」と言われると、「そこから行っても、ここから行っても、天国の近さは変わらないさ」と答えています。
彼は、政治指導者、教育機関、そして大勢の人々の前で、キリストを伝え、カルカッタ(コルカタ)と香港に教会を設立しました。そして、86歳で亡くなったのですが、ある友人が、こう言いました。「彼の偉大な冒険は終わりを迎えました。… 彼はずっと忠実でした。」
神は、私たちが川のように生き生きと流れ、絶えず成長し、決してよどまないでいてほしいと思っておられます。私たちが前進し、好奇心や感動を失わず、キリストにおける私たちの人生を偉大な冒険と考えるよう望んでおられるのです。—デビッド・ジェレミア [16]
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キリスト教の宣教活動に携わることの素晴らしい点の一つは、神に仕えることについて自分よりも忠実で、献身的で、情熱を持っている人々と関われることです。彼らは、ヘブル12章1節が「雲のように私たちを取り巻く証人」と呼ぶいにしえの聖徒たちのようで、私たちがより高い召命を追求する動機を与えてくれます。
私の教会にいる98歳の女性、アンナは、特別ではない普通の週でも、複数の宣教活動に参加しています。最近で言えば、女性拘置施設で講演し、その結果、14人の受刑者がキリストに人生を捧げました。アンナは、素晴らしいユーモア感覚の持ち主でもあります。誰も彼女にはかないません。しかし、それにも増して、私たちは彼女の知恵に耳を傾け、彼女の人生から学べるし、神の助けにより、彼女の模範に倣うことができるのです。
フォレスト・ガンプの言葉を少し言い換えてみれば、「忠実であるとは、忠実な行動をすること」なのです。—エリック・ブリッジス [17]
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私は、メアリー・ルースに会ったことはありませんが、彼女から感動的な手紙を何通か受け取ったことがあります。彼女は63年間、キリストを救い主として知っており、キリストが戻ってこられるまで、キリストのためにビジネスをすることに人生を費やしています。以下は、彼女の手紙からの抜粋です。
「毎晩寝る前に、私はこう言います。『おやすみなさい、主イエス様。あなたを愛しています。朝になったら、ここで、あるいはそちら(天国)で、お会いしましょう。』 そして、目が覚めて、自分がまだここにいるとわかったら、こう言うのです。『おはようございます、主よ。あなたを愛しています。今日も一緒に過ごせますね。』 それからすぐに私は任務に就いて、その日のご計画を一瞬一瞬教えてくださるよう、主にお願いします。主と一緒にそれに取り組むことができるようにです。私は、すべての人が主と出会う準備ができるように、手助けすることを志しています。」
この後、メアリー・ルースは、最近、彼女と兄弟が他国から来た人たちに証をする機会があり、何人かがキリストを受け入れたと語っています。「神はたった3日間で、中国人、ベトナム人、仏教徒、そしてユダヤ人に手を差し伸べられました。そうするのに、私はパスポートもビザも航空券も必要としませんでした。神が彼らを私たちのもとに連れてきてくださったので、私がしなければならなかったのは、ただ任務に就くことだけだったのです。」—ジョーニー・ヨーダー [18]
愛する天のお父さま、私はあなたへの献身を謙虚に思い起こしています。そう献身したので、私は人生の穏やかな時も嵐の時も、忠実であるべきです。忠実さとは、嵐がないことによって明らかになるのではなく、嵐の中にあっても、あなたへの揺るぎない忠誠を示すことによって明らかになるのだと、私は理解しています。
風が吹き、波が立って、人生の試練に翻弄される時、私が揺り動かされることなく、忠実であり続けられるように助けてください。主よ、嵐の中で忠実であることが、あなたへの信頼の証であることを、私はよくわかっています。それは、荒れ狂う嵐や揺れ動く波ではなく、その先を見て、あなたに目を留めるということです。
主よ、私にはあなたの力が必要です。あなたにしっかりとつながり、あなたの約束にしがみついているために。… 嵐の中で、私がただ忠実であるだけではなく、喜びを見つけられるようにも導いてください。アーメン。—ChristiansTT.com [19]
「私たちは、揺らぐことなく、希望の告白をしっかりと堅く保ち続けよう。約束された方は頼もしく信頼でき、[ご自分の言葉を守るのに]忠実な方なのだから。」(ヘブル10:23 英語詳訳聖書)
「私には、死ぬまで神に忠実で、魂を勝ち取る者、また十字架の真の使者であり続け、最後の時までイエスの名を証すること以外に、生涯の大望の対象として選びたいものは何もない。」—チャールズ・スポルジョン
主人は彼に言った、「良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」(マタイ25:23)
あなたは毎日1章ずつ福音書を書いている
あなたの行いとあなたの言葉によって書いている
誠実で真実かどうかにかかわらず、人々はあなたが書いたものを読む
あなたによる福音書とは、どんなものだろうか —ポール・ギルバート
(続く)
注:
聖書の言葉は、特に明記されていない場合、日本聖書協会の口語訳聖書から引用されています。
1 出エジプト 34:6.
2 申命 32:4.
3 詩篇 117:2.
4 2テモテ 2:13 岩波委員会訳.
5 出エジプト 20:3–5.
6 箴言 3:3–4.
7 ローマ 10:17.
8 ヤコブ 2:18, 21–26.
9 2テモテ 1:12; ローマ 8:28.
10 “Faithfulness—the one-day-at-a-time fruit” (adapted), Activated, August 2013, https://activated.org/en/life/the-whole-you/personal-growth/faithfulness-the-one-day-at-a-time-fruit/.
13 Kent Crockett, Making Today Count for Eternity (Crown Publishing, 2001).
14 Joni Eareckson Tada, Diamonds in the Dust (HarperChristian, 2010), 42.
15 Stephen Altrogge, “True Greatness Never Goes Viral,” The Aquila Report, February 26, 2014, https://theaquilareport.com/true-greatness-never-goes-viral/
17 Erich Bridges, “Faithful is as faithful does,” Baptist Press, May 13, 2010.
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