著者: ピーター・アムステルダム
1月 27, 2015
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ルカ15章にある3つめのたとえ話は、イエスが罪人たちと付き合っておられたことについて、律法学者やパリサイ人から受けた非難に対する答えの続きです。イエスは最初に、いなくなった羊と、なくなった銀貨について一対のたとえ話をされました。両方とも、なくなっていたものが見つかった時の喜びについての話です。イエスは続けて、最も長いたとえ話の一つを語られるのですが、私の意見では、それは最も美しい物語の一つだと思います。このたとえ話は3つの部分に分かれています。弟が家を出る部分、家に戻ってきて父親から歓迎される部分、父親と兄との間で交わされる、結びとなる会話部分です。
「ある人に、ふたりのむすこがあった。ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください。』 そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き…」
弟からのこの途方もない要求に、当時その場でたとえ話を聞いていた人たちは驚愕し、あきれかえったことでしょう。息子は、普通なら父親の死後に受け取るはずの遺産のうち自分の取り分を、父親がまだ元気に生きている間に要求していたのです。それは息子が、自分にとって父は死んだも同然と言っているようなものでした。この要求によって、弟は基本的に父親と縁を切ったことになります。父親に対する尊敬がそれほどまで欠如していたのですから、聴衆たちはおそらくイエスは次に、父親がいかに怒り狂ったか、そしてそれほど恩知らずで不遜な態度で父親を扱ったことで息子をいかに罰したかを話すだろうと思ったことでしょう。
しかしそうではなく、父親は財産を二人の息子の間で分けることを、黙って承諾したのでした。モーセの律法によれば、父親の全財産からの受け取り分のうち、長子は2倍の分け前(この場合は3分の2)をもらい、弟が3分の1をもらうことになります。[1] 遺産というのは普通、土地なのですが、父親はいつでも望む時に息子たちの間で遺産を分けることができました。そうするなら、父親は所有権を譲ることになりますが、管理権はそうではありません。管理権とその土地に実る作物は、死ぬまで父親のものとなります。父親は自分の決めた分の作物をいくらでも取ることができ、自分がその時に使わなかった分は息子たちのものになります。土地は息子たちのものだったので、父親は土地を売ることはできないものの、土地の使用と作物についてはまだ管理権を持っていました。息子たちは、土地を売ろうと思えばそうできましたが、土地の買い手は、父親が死ぬまでその土地を手に入れることはできませんでした。こうした規則によって父親らは守られ、生きている間の収入源が確保されたのでした。
弟は実際に二つのことを要求しています。最初の要求は、父親に財産を分けてくれというものでした。二つ目は推測ですが、完全な所有権と、土地を処分する権利を与えられることです。弟は相続した遺産を売り払って現金に換えたかったのです。そうすることで、弟は父親の将来のことなどちっとも気にかけておらず、父親はすでに死んだも同然に思っていることを表しているし、父親の老後に土地から獲れる作物のうち、父親の取り分まで奪っていることになります。それに対する父親の反応は、弟に遺産のうち彼の取り分を与えるだけでなく、それを売る権利をも与えることであり、それは物語を聞いている人たちにとって考えもよらないことでした。
ケネス・ベイリーはこのように書いています。
私の知る限りでは、古代から現代に至る中東のいかなる文書においても(このたとえ話を除いて)、兄であるか弟であるかにかかわらず、父親がまだ元気なうちに息子が遺産の受け取りを求めたというケースは皆無です。[2]
弟が自分の遺産の取り分を売り払い、現金を持って別の国に行ったことが予想されます。つまり、イスラエルから出て異邦人の地に行ったということです。
「父はその身代をふたりに分けてやった」 という節でわかるように、同じ時に自分の分の遺産を受け取った兄は、残りの土地をもらいましたが、その土地に対する管理権はありませんでした。物語が進むにつれて、父親はなお家と農場の頭であることが明らかになります。そして兄は父親が死んだ時にそのすべてを所有し、かつ管理するようになるので、たとえ話の後の方で、父親が兄に「わたしのものは全部あなたのものだ」 と言うのです。[3]
それから、イエスは弟に何があったのかをお話しになります。
「弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。」
父の家を出ると、弟は勝手気ままに暮らしました。父や兄、故郷の人たちや母国から遠く離れて放縦の限りを尽くし、最後には持ち物すべてを失いました。後の方で、兄が弟を責める場面があります。弟が遊女(売春婦)や不道徳な暮らしにお金をすっかり使い果たしたというのですが、物語の中でそのことを明確に確認することはできません。
弟がお金を使い果たしたのち、ききんがありました。ききんがなければ、弟はおそらく仕事をして生計を立てることができたでしょうが、そのような時には、就ける職はほとんどありません。この後に出てきますが、弟が就いた職では食べていくだけのお金を稼ぐことさえできませんでした。
「そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。」
ある著者は弟の苦境をこのように説明しています。
弟は、お金がなくなると、その国の「ある住民」のところに就職しました。その人は豚を飼う異邦人で、弟を野原に行かせて、豚に餌をやらせるのです。この時の弟の身分は、年季奉公のしもべでした。奴隷よりも身分は上ですが、契約により束縛されて一定期間雇用者のために雑用をこなすのです。[4]
当時話を聞いていた人たちは、弟が豚の餌やりの仕事をするとは、どれほど落ちぶれてしまったかを理解したはずです。豚は律法によると汚れたものとして考えられており、のちに書かれたユダヤ人の書物には、豚を育てる人は皆、呪われると述べられています。弟は豚の世話をするほどひどく落ちぶれたのであり、さらにひどいことに、腹を空かせて豚の餌をうらやむほどでした。何も食べるものがなく、誰も、何もくれませんでした。すぐに何か手を打たなければ、餓死するのはわかりきっていました。その時、彼は「本心に立ち返った」のです。
「そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください。』」
「本心に立ち返った」[新共同訳と新改訳では「我に返った」]の意味は、たとえ話について研究したり書いたりした人たちの間で、広く論議されています。それは弟が悔い改めたという意味だと言う人もいれば、弟は自分のいる状況がどれだけ悲惨かに気づいたのであり、父のところに戻ることにしたのは、ただ自分の身を守るためであって、悔い改めとは一切関係ないと言う人もいます。いずれの解釈にせよ、息子が目を覚まして、今まで自分がどれほど愚かであったかに気づいたのは明らかであり、それが悔い改めへの道の一歩だったのです。
弟は、父のところに戻って、自分が間違っていたことや罪を犯したことを告白し、雇人にしてほしいと頼むことにしました。彼は何を罪としてとらえたのでしょう。そして、その時にたとえ話を聞いていた人たちは、彼がどんな罪を犯したと考えたのでしょう。おそらく、第五戒(あなたの父母を敬え)を破って父に親不孝であったことでしょう。自分の取り分となった土地を残していくことをせず、それによって年老いた父が食べて行けるようにするという自分の義務を果たそうともしなかったのです。弟は、普通なら、父親が年老いて働けなくなり、息子たちに農場を引き渡したあとに、生活の糧となるはずの土地を売り払って、それを浪費したのです。[5]
父の雇人には食べるものが十分あったのを思い出して、弟は雇人同様にしてほしいと頼もうと考えました。雇人とは日雇い労働者のことで、安定した職を持たず、朝に雇われてその日1日労働する人のことを指すと考えられています。そのような労働者は、雇用主との長期的な関係にはありません。この状況でいえば、弟は父親の農場で暮らしたり、父の食卓で一緒に食べたりすることはなく、仕事のある時だけお金が支払わることになります。ですから、息子としての地位はもうありません。弟の立場は、家や農場にいる奴隷やしもべよりも下なのです。なぜなら、奴隷やしもべは父との間に関係があり、父の敷地に住んで、父に世話されているからです。それでも、弟は今の状況にいて間もなく餓死するよりも、そのほうがましであると考えました。
弟が父に伝えようと思っていた言葉には、「罪を犯しました」という罪の告白、父との親子関係を台無しにしたことを認める「あなたのむすこと呼ばれる資格はありません」という言葉、そしてその問題を解決するための「雇人のひとり同様にしてください」という提案が含まれていました。それは、息子は働いて賃金をもらい、自分が浪費してしまったお金を父親に返したいと願っているという意味なのかもしれません。物語には、息子が労働者の身分として雇われる以上のことを期待していたというしるしは何もありません。
「そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません。』」
はるか遠くに息子が見えた時に父が取った反応は、おそらくたとえ話を聞いていた人たちにとって意外だったことでしょう。アーランド・ハルグレンは、この出来事から予想されることを、このように説明しています。
父が息子に対して憐れみを持っていたとしても、本来なら息子が家に着くまで待ち、ひざまずき、ゆるしを乞うようにさせることでしょう。そして、どれほど良くても、父親はゆるしの言葉をかけて、これから息子に何が要求されるかを説明する程度です。息子は事実上、当分の間、家で保護観察となります。そして、再び家を出て独立できるだけの金を稼ぐまでは、おそらく家にいさせてもらえることでしょう。[6]
息子は村全体の前で、父の面目を失わせました。父親にすれば、村人たちが白い目を向ける中で息子を歩かせ、自分のところに来させても当然だったでしょう。しかし、この憐れみ深い父親は自分の方から息子に駆け寄ったのです。息子は遠くにいました。おそらく、村に差し掛かったところで、父は息子を見かけたのかもしれません。父は息子に駆け寄りました。威厳のある年配の男性なら、人前で決してこのようなことはしないでしょう。走るためには、衣の裾をまくり上げて足をあらわにしなければなりません。当時の文化では、これは恥ずべきこととして考えられていました。[7] 物語が進むとわかるように、しもべたちも父の後を追って走ったようです。走る人の群れは、村人たちの注目を引いたはずです。父がとった最初の行動は、息子の話を聞く前にすら、息子を抱き締め、接吻することでした。
「むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません。』 しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。』」
息子は練習しておいた通りに話をし始めますが、父は息子が話し終えるのを待ちませんでした。息子が自分はどう扱われるべきだと思うか、その説明をする前に話をさえぎったのです。父は、息子が自分は息子と呼ばれる資格がないと言うのを聞いて、それ以上聞く必要はないと思ったのです。そしてしもべたちに、最上の着物を着せ、指輪をはめ、はきものを履かせるように言いました。父の行動は、どんな言葉よりも声高に語りました。最上の着物を着せるようにしもべに命じたのは、息子が必ずふさわしい尊敬を受けるようにするためでした。しもべたちがその着物を見れば、息子に対してどのような反応を示すべきかがわかるのです。最上の着物というのは、宴会や特別な場で父が着た着物だったのでしょう。指輪はおそらく印章指輪だったと思われ、これは父親が息子を信頼しているというしるしです。足にはきものを履かせることは、息子が家でしもべではなく自由人として見なされることをすべての人に示しています。[8]
父はこれらの行動を通して、息子と和解したというメッセージを皆に伝えました。息子が父の着物を着て、指輪をはめ、はきものを履いているのを宴会の客が見た時、彼らは父が息子と和解したのであり、自分たちも息子を地域社会に受け入れるべきだと理解し、それを認めたことでしょう。[9] 父が息子をゆるしたのだから、彼らもそれまで息子に抱いていた敵意を一切脇に置くべきだったのです。しもべらと地域社会へのメッセージであった以外にも、息子に対する強烈なメッセージもありました。そのメッセージとは、ゆるしでした。息子は、自分が雇人となって父にお金を返すことによって、父と和解できるわけではないと悟りました。それは努力で得ることはできなかったのです。
ケネス・ベイリーはそれについてこう述べています。
今、彼は親子の長期的関係に関してどのような解決策も提示できないことを知っています。肝心なのは、無くなったお金ではなく、自分には修復することのできない、壊れた親子関係だとわかっているのです。今彼は、新たな親子関係は父親からの紛れもない贈り物でしかありえないと理解しています。自分からは一切解決策を提示できないのです。働くことで償いができると思い込むのは、父親に対する侮辱です。その場で適切なのは、「私はそれにふさわしくありません」という態度だけです。[10]
父が息子を歓迎したというのは、息子が受けるに値しない恵みの行為であり、ゆるしでした。息子が自分の過去を償うためにできることなど何もありません。父は無くなったお金がほしいのではありません。父が求めていたのは、いなくなった息子でした。
「また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。」
それから父は、肥えた子牛をほふって料理するよう命じました。宴会でそのように大きな家畜を料理するということは、大勢の人たちがそれを食べるということです。つまり、おそらく村人全員ではないにしても、ほとんどの人が宴会に招かれたことを表しています。肥えた子牛は、そのような喜ばしい場のためにとっておかれます。父は、宴会をして喜ぶ理由を、声を上げてこのように言いました。
「『このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』 それから祝宴がはじまった。」
「いなくなっていたのに見つかった」という言い方は、たとえ話を聞いていた人たちに、『いなくなった羊』と『なくなった銀貨』の物語を思い起こさせました。今のたとえ話よりも先にイエスが話されたその二つのたとえ話の中で、同じ言葉が使われていたからです。
ここでたとえ話の次の段階に移り、兄が登場します。
「ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです。』 兄はおこって家にはいろうとしなかった…。」
兄は一日の仕事を終えて畑から帰宅しました。おそらく畑は、村や父親の家からある程度離れたところにあったと思われます。その日の大半は宴会の準備に費やされ、肥えた子牛をほふったり、着物を着たり、料理したり、いろいろな食べ物が用意されていたことでしょう。準備が整うと、お祝いが始まりました。そのような宴会は、人々が夜のあいだずっと踊り唄い、ワインを飲み、食べ、人の出入りがあるなどして、夜遅くまで続きます。[11] 兄が家に戻ってきたのは、お祝いが始まった後でした。畑で働いていた他の大勢の村人たちも同様だったことでしょう。
兄はしもべの一人に、いったい、これは何事なのかと尋ねました。おそらく、兄は他の質問もしたのでしょう。後で父と話している時に、兄は弟が遺産を使い果たしたことをよく知っていたからです。宴会の理由と、父が弟を家に歓迎したことを聞いて、兄は激怒しました。
そのような宴会の慣習としては、兄が父の共同主催者という責任の一部として、客の間を歩き回り、万事うまくいっているか、料理や飲み物が十分にあるかを確かめ、しもべに指図したりなどすることになっています。このような状況では、少なくとも兄が宴会の場に入って、見かけだけでも弟が帰ったことを祝っているふりをし、父との意見の相違については、その場ではなく後になってから二人だけで話し合うのが当然のこととされます。しかし、この後でわかるように、兄はこの慣習を破り、家の中に入って宴会に加わることを公然と拒み、その上、人前で父と口論しました。兄の行動は無礼極まりないものでした。
「父が出てきてなだめると、兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました。』」
父は、客の見ているところで恥ずかしい思いをし、面目を失う危険を冒してまでも、祝宴の席から離れ、兄も祝宴に加わるよう説きつけました。ところが兄は無礼さと恨み、憤りに満ちた反応を見せたのであり、そこには彼が父との関係をどうとらえているかの真相が現れていました。兄は最初、父を父と呼ぶこともなしに、すぐに言葉の攻撃にかかりました。兄は、息子というよりは奴隷が言うように、自分はもう何年も父親に仕えてきたと言ったのです。兄は、自分は一度も父親の言いつけにそむいたことはないと言いましたが、まさにその時、兄は、宴会に加わりなさいという父の求めにそむいていたのです。それから兄は、自分には友達と楽しむために子やぎ一匹もくれたことはないのに、弟の方には肥えた子牛を与えていると言って、父を責めました。そしてその後、弟を「あなたの子」と呼んで、弟との関係を拒絶したのです。兄は、父の目に弟をおとしめるために、弟は遊女と遊ぶために父の身代を食いつぶしたと非難しました。
要するに、兄は「私は良い息子だった。あなたのために働き、あなたの言うことを聞いてきた。だから、あなたは私に報いるべきだ」と言っているようなものです。基本的に、父との関係を、親子関係というよりは雇用関係であるかのように話しています。兄の父親に対する関係は、愛と感謝に基づくものではなく、むしろ法と功労と報酬に基づく関係でした。[12] このように、兄も弟と同じように、父との関係よりも物質的な財産の方に気を取られていたことがはっきりとわかります。これを聞くのは父親にとってとても辛かったことでしょう。
父はどう反応したでしょう。もう一人のいなくなった息子に対してしたのと全く同じく、愛と優しさと憐れみに満ちた反応でした。兄も弟と同様に、父との関係が壊れました。弟は父の愛によって親子の関係を取り戻しました。そして今、父はそれと同じように、兄との関係を修復しようとしているのです。父はこう言いました。
「『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。』」
たとえ上の子から父と呼ばれなくても、父は彼を子と呼びました。訳によっては、さらに親しみを込めて、「わが息子よ」あるいは「わが子よ」と書かれています。息子は自分のことを父の「奴隷」のように働いたと思っていたかもしれませんが、父は息子のことを、いつも一緒にいる存在であり、農場の協同経営者として見ていたのです。父のものはすべて兄のものであり、父が二人の息子の間で遺産を分けたときに、農場の権利は兄に譲渡されていました。父が死ぬまで管理権はないかもしれませんが、父が持つすべては兄のものだったのです。[13]
父は激怒するのではなく、弟に対してしたのと同様、優しく愛をもって答えました。兄は弟と同じく、父との関係が壊れたのであり、父はそれを修復したいと望みました。息子は二人とも、父との和解と関係回復を必要としたのです。そして、二人とも、父から同じ愛を受けました。謙遜さのうちに与えられた愛です。
父の最後の言葉は、弟がいなくなっていたのに見つかったことの喜びを表しています。
「『しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである。』」
「いなくなった」兄もまた見つかり、関係が回復されたかどうかは、たとえ話を聞いた人の想像に任せられています。兄の反応は書かれていないからです。
このたとえ話が語られた背景ですが、イエスは自分のところに来る取税人や罪人たちと一緒に食事をしたり交わったりしている理由を話しておられたのです。イエスがそこにおられたのは、「いなくなった」人たちとの和解と関係回復をもたらそうとして、父の愛と恵みを彼らに示すためでした。イエスの仕事は、失われ、いなくなった者を探し出し、救うことだったのです。[14] パリサイ人は兄と同様、イエスが罪人たちと交わっていると非難しており、失われていた者が見つかったり、弟や妹が父の御腕に迎えられ、愛され、父の元に戻されたことを喜ぶことができませんでした。彼らは兄のように、神に仕え、神のいましめを守ったので、自分たちは父の家における立場を獲得したと思っています。しかし、彼らは兄と同様に、神が望んでおられる類の関係の肝心なところを逃しています。それは、しもべとの関係ではなく、息子との関係なのです。
パリサイ人はチャンスを与えられていました。考え方を変えるチャンス、神は失われていた者が見つかったことを大いに喜ばれるのだということや、イエスとその宣教は失われている者に焦点が置かれていることに気づくためのチャンスです。彼らは祝賀に参加するよう招かれています。しかし、参加するでしょうか。要するに、イエスはたとえ話を聞いている人たちに、自分自身の反応によってその物語の結末を決めさせておられるのです。
このたとえ話と、先の2つのたとえ話は、私たちの父である神の素晴さを告げています。神は思いやりと恵みと愛とあわれみに満ちた方です。この物語の父のように、神は私たちに自分で決断させるのであり、それがどんな決断となるか、その結果私たちがどんな状態となるかに関わらず、神は私たちを愛してくださいます。神は、さまよい出た人、いなくなった人、神との関係が壊れた人一人一人に、家に戻ってほしいと思っておられます。神は彼らを待っておられ、大きな喜びと祝賀で歓迎してくださいます。
二人の息子はともに、父に対する見方がゆがんでいました。現在、多くの人々の神に対する見方がゆがんでいるのと同様です。反抗的な弟は親子関係を絶って父から独立し、勝手気ままに生きたがりました。父の所有物からの恩恵は受けたかったのですが、親子関係は望みませんでした。忠実な兄の方は、一見、従順で忠実に見える行いをしましたが、彼もまた、父との関係をはき違えていました。弟が父に反抗する一方で、兄は努力によって受け入れられようとしたのです。息子は二人とも、関係を台無しにしました。二人とも「いなくなって」しまい、見つけられなければなりませんでした。二人とも、父から愛を与えられました。父は自分の方から息子たちの方に行ったのです。二人とも父をとてもがっかりさせ、傷つけたというのに、父は無条件に彼らを再び迎え入れたのでした。
それが、すべての人に対する神の態度です。神は一人一人を深く愛し、関係が修復されることを望んでおられます。神はいなくなった者を探し出し、彼らが家に戻ると、大いに喜ばれます。彼らが誰だろうが、今まで何をしたのであろうが、大手で彼らを歓迎なさいます。神はゆるし、愛し、歓迎してくださいます。昔の賛美歌のようにです。「帰っておいで、疲れはてた者よ、帰っておいで。」[賛美歌 517番『われに来よと主は今』]
クリスチャンはとても簡単に兄に似た態度を取ってしまいがちです。「神のためにこんなにたくさんしたのだから、神は私に報いるべきだ」という考え方に陥ってしまうのです。私たちは神を真に求めることなしに、神の霊的・物質的祝福をほしがることがあります。自分たちの方がずっと優れていると考えて、神との関係を持たないこの世の弟たちを、軽蔑と批判の目で見ることがあります。
私たちは常に、神の愛に気づいているべきです。それは神を信じる人に対してだけでなく、人類すべてに与えられているのです。人は一人一人、父なる神に深く愛されています。イエスはすべての人のために命を捨てられました。私たちの召しは、他の人たちにその知らせを分け合うことです。そして、そのためには、イエスのように、彼らを探し出し、手を差し伸べるための努力をして、神が彼らを愛し、関係を結びたいと願っておられるというメッセージを分け合わなければなりません。神は恵み深く、愛と憐れみに満ちた方です。一人一人を愛しておられます。そして、私たちを召して神を代表する者とし、私たちがイエスのなさったように、無条件の愛を示し、愛しづらい人を愛し、ルカ15章のたとえ話にある原則を体現して、いなくなって失われた人を探し出し、彼らが連れ戻されるようにし、いなくなった人が見つかった時には喜びと祝賀で応じるようにさせたがっておられるのです。私たち一人一人がそうできるよう、主が助けられんことを。
父と、いなくなった息子(ルカ 15:11–32)
11 また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。
12 ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください。』 そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。
13 それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。
14 何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。
15 そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
16 彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
17 そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。
18 立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
19 もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください。』
20 そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。
21 むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません。』
22 しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。
23 また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。
24 このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』 それから祝宴がはじまった。
25 ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、
26 ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
27 僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです。』
28 兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、
29 兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。
30 それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました。』
31 すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
32 しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである。』」
注:
聖書の言葉は、特に明記されていない場合、日本聖書協会の口語訳聖書から引用されています。
1 …長子であることを認め、自分の財産を分ける時には、これに二倍の分け前を与えなければならない。これは自分の力の初めであって、長子の特権を持っているからである。(申命記 21:17)
2 Bailey, Poet and Peasant, 145.
3 Hultgren, The Parables of Jesus, 74.
4 Hultgren, The Parables of Jesus, 75.
5 Hultgren, The Parables of Jesus, 77.
6 Hultgren, The Parables of Jesus, 78.
7 Bailey, Poet and Peasant, 181.
8 Jeremias, Rediscovering the Parables, 103.
9 Bailey, Poet and Peasant, 185.
10 Bailey, Poet and Peasant. 184–185.
11 Bailey, Poet and Peasant, 193.
12 Hultgren, The Parables of Jesus, 80.
13 Hultgren, The Parables of Jesus, 82.
14 ルカ 19:10.
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