人生に欠かせないもの—コミュニケーション

著者: マリア・フォンテーン

6月 21, 2022

[Life Essentials—Communication]

May 17, 2022

イエスが私たちの日常生活の一部になっている時には、万事がより良くなりますが、そのほかにも、私たちの行動ほとんどすべてに浸透している非常に重要な要素があります。それはコミュニケーションです。この重要な媒体はさまざまな形で表され、時には無意識のうちに使っていることさえあります。誰もが何らかの形で他の人とコミュニケーションをとっていますが、他の人が自分に何を伝えているのかを理解し、いかにして自分が伝えようとしていることを他の人に理解してもらうかは、私たちの最大の課題の一つです。

私たちは、することすべてを通じてコミュニケーションをとっていると言っていいほどです。目くばせやうなずき、表情、体の姿勢などを含む「ボディランゲージ」を使います。また、話すこと、読み書き、手話を使うこともあるし、手ぶりや身ぶりで人々を励ましたり、指示したり、警告したりすることもあります。口調、言葉の選び方、さらには何も言わないことによっても、コミュニケーションをとります。また、行動によって意思を伝えることもあります。

神とのコミュニケーションは通常、目に見える形で行われることはありません。神は聖霊と共に、御言葉を通して、あるいは心の中の静かで小さな声を通して私たちに語りかけておられます。そして、被造物や他の人を通して、また、神の愛を理解するのを助けてくれる多くの愛の感触によって、私たちとコミュニケートなさいます。そのように、神は私たちともコミュニケートしておられるのです。

科学は、私たちが意識によって認識できない方法で意思を伝達していることを発見しました。このようなコミュニケーションは、それを検出できる高感度の機器ができたため、実際に存在するとして認識され始めています。私たちの脳は、そのようなコミュニケーションを伝達したり受信したりするよう配線されていますが、意識は、それを漠然としか感じなかったり、まったく感知しなかったりすることがあるのです。他のことに気をとられているときには、なおさらでしょう。

多くの人が、私たちにメッセージを伝えたり、何かの行動を促したりする、予感や直感、第六感と呼ばれるものを経験したことがあると思います。どうしてそうすべきか、論理的な理由は見つからないけれど、ただそれが正しいと感じるのです。また、私たちは祈りや、心の中でささやく主の声を聞くことによっても、コミュニケーションをとります。

店やオフィスでの単純な売買取引から、道行く見知らぬ人への簡単な挨拶、他の人への敬意や重要性を伝える礼儀作法、カジュアルな友人関係から、時には何十年もかけて成長し培われる配偶者やその他の親族との深い生涯にわたる関係まで、私たちは他の人との交流の中でこれらの多くのコミュニケーション形態を用いています。他の人との関係において、意味あるコミュニケーションに熱心に取り組み続けないと、その関係は弱まり始め、混乱し、馴れ合いになり、あるいは消え去ることさえあるのです。

言葉は私たちの最も一般的なコミュニケーション手段の一つです。けれども、言葉だけに頼ることで伝達された内容が理解できるとは限りません。現代社会では、コミュニケーションはますます複雑化し、その多くについては直接会って行われることが少なくなっています。

私たちは、メール、ソーシャルメディア、電話、ショートメッセージ、チャット、あるいは画面上で対面するオンライン会議など、さまざまな媒体を使ってコミュニケーションをとっています。その人の意図を十分に理解しようとして、相手の顔やボディランゲージや、目を見たりすることができないと、相手の素早いメールやショートメッセージの意味を読み解こうとしたり、何か深い意味があるのだろうかと考えたりすることがよくあります。そのようなコミュニケーションでは、他の人とのやりとりを含む相手の全てを見る機会が与えられません。

私たちはしばしば、その人の全貌を垣間見るだけなので、他人の不正確な発言や完全に間違っている発言を深読みしてしまうことがあります。私たちは相手の意図や動機を理解していると思い込んでいますが、悲しいことに、限られた個人的なやり取りの中で、相手が表現しようとしていることを誤解してしまうことがあるのです。

最近、ある人が、天国で最も素晴らしいことの一つは、お互いの考えや気持ちを完全に理解できるようになることだと思う、と言っていました。聖書によると、天国では何も隠されることはなく、私たちは他の人を完全に理解し、他の人からも完全に理解されるようになります。

理解し、理解されることは、私たちに対する主の愛の力強い表れです。困難な時には、イエスが本当に私たちを完全に理解してくださっていることを思い出すと、とてつもない慰めになり得ます。主は私たちを知っておられ、ありのままの私たちを愛しておられます。そして、その愛を伝えるために手を差し伸べられます。すると、私たちの中に、成長し、発展していこうという願いが生まれるのです。私たちは時々、物事を逆に考えます。私たちが変わったり、ありとあらゆる正しいことをしたりするので、イエスがもっと私たちを愛してくれると思ってしまいます。けれども、イエスは私たちをありのままに愛してくださっているのです。イエスの大きな愛に確信を持つようになるにつれ、イエスを喜ばせるためにできることをしようという意欲がわいてきます。

人間関係において効果的なコミュニケーションを学ぶことは非常に重要ですが、それはすぐに身につくものではありません。一生かけて練習し、試行錯誤する必要があるのです。そして、私たちは皆、お互いを理解し、サポートしたいという心からの願いを深めつつ、お互いに忍耐強くなることを学ぶ必要があります。

何年も前、私の秘書で、他の人が明確に理解できるよう物事を伝えるのが特に苦手な人がいました。後になって、その人は、コミュニケーション能力の向上に本当に役に立ったのは、私から聞いたあること(その人に告げるよう主が私に言われたこと)だと教えてくれました。私はこう言ったのです。「真にコミュニケーションを図ろうとするならば、自分の伝えたいことを表現する言葉だけでは不十分です。相手の立場に立って考えなければなりません。自分が伝えたいことを相手がきちんと理解できるような言葉を探す努力が必要なのです。」

これは言うまでもないことのように思えますが、実行するとなると、実に難しいものです。なぜなら、相手を理解するには、時間と労力、そして質問し、耳を傾ける謙虚さが必要だからです。一つの言葉や概念が、ある人にとって、その人の性格、過去の経験、文化、イエスとの関係などに基づいて何を意味するかは、あなたにとっての意味とはまったく異なる場合があります。

親族、友人、仕事仲間など、さまざまな人との関わりの中で、私たちはコミュニケーション能力を高めていかなければなりません。結婚というのは、その最たる例だと思います。本やインターネットの記事で、「あなたの配偶者は男性だから、女性だからこうなのです」と、一般論として説明されていることがあります。

それをもとに、相手が一般的にどのように考え、感じている可能性があるのか、だからこう接するのが望ましい、といった説明がさらになされています。けれども、すべての男性や女性に当てはまる基準やルールがあるわけではないことは分かっています。男性に多い傾向、女性に多い傾向はありますが、人は誰でも愛され、大切にされる必要があるし、神の御霊とのつながりを求める生来の欲求は、すべての人に備わっていることを私たちは知っています。

私たちは時間をかけて、表面には現れないものを見ようとすることで、初めて相手のことをよく知ることができるのです。そのためには、自分自身と相手の間に信頼とオープンさを育む必要があります。そこで大きな部分を占めるのは、お互いを尊重し合うことを学ぶことなのです。効果的なコミュニケーションをとるには、先入観を持たずに相手を見ることが必要です。

有意義な関係を築きたい相手には、その人の話を聞き、もっとよく知るための時間をつぎ込むことに代わるものはありません。良いコミュニケーションには時間がかかりますが、多くの場合、共に困難や課題を通っているなら、そのプロセスは加速されます。

良好な夫婦関係を築くコミュニケーションの原則は、基本的に、長続きする友人関係や効果的な仕事上の関係、さらには新しい人間関係を築くための原則と同じです。他の人とのつながりは、私たちの人生と相手の人生を形作ります。一方、他の人とのつながりがないと、しばしば精神疾患、怒り、暴力行為、うつ病、薬物乱用、その他今日急増しているように見える多くの疾病の大きな要因となっています。

コミュニケーションには時間がかかり、忍耐と辛抱が必要です。私たち人間の性質とは、何事も早く終わらせて、その恩恵を享受したがることが多いものです。けれども多くの場合、特にコミュニケーションにおいては、手っ取り早い解決策はありません。辛抱してやり抜かなければならないのです。

イエスが人間関係をこのようにされたのは、私たちが馴れ合いにならないように、また、どんな関係でも定期的に関心を寄せなければならないことを理解させるためだと私は思っています。オープンで正直なコミュニケーションが私たちの生活にもたらす価値を覚えておくには、時に協力することが必要かもしれません。主の助けによって、私たちは人間関係の礎である喜びと深みを取り戻すことができるのです。

私はコミュニケーションなど、長期的な成長の過程には苛立ちを覚えることもあります。「どうして最初からコツをつかめなかったのだろう」と考えたくなるのです。「どうして正しい行動をし、要領を得て、他の大事なことに移れないのだろう」と。

けれども、この人生における多くの事柄と同様、これは時間をかけて育っていくプロセスなのです。それを他の人に提供するのを学ぶことは、私たちが他の人を愛し、尊重し、ひいては仕事や人間関係においてより効果的になるための方法の一部です。

この人生は学びの冒険です。人を愛することから得られる大きな喜び、満足、充足感を見出すには、私たちは成長し、自分のことよりも他の人のことを考える必要があります。

説得の基本的な仕組みが自然に身につく人もいるかもしれませんが、それが難しい人もいるでしょう。コミュニケーションの核となるスキルは、経験を通じて、また本や講習、指導などの他の方法を通じて培うことができ、それは、他のどんなスキルについても言えることです。しかし、この分野や他の分野で最も熟練した人でも、1コリント13章が適切に表現していることを考慮すべきことを覚えておくのが重要です。主の愛が動機となってこのスキルが使われるのでなければ、それは、希望を必要とする世界に神の愛を示し、この世が塵と化した後も長く続くものを思い出させるという、最も重要な可能性を果たせなくなってしまうのです。効果的なコミュニケーションは、非常に価値のあるツールです。それを最大限に活用し、できるだけ多くの人のために役立てましょう。

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