「わたしの羊はわたしの声を聞き・・」

著者: マリア・フォンテーン

7月 12, 2022

[“My Sheep Hear My Voice…”]

August 14, 2021

この人生は、創造主が私たちを神の愛の現れとして成長させるためにデザインされた、さまざまな経験の壮大な集合体です。主が示そうとしておられることのすべてを見逃さずにいようとするほどの賢明さがあるなら、自分自身の経験からだけではなく、他の人たちの人生からも、学ぶべきことはたくさんあります。それが、私たち一人ひとりを主に近づけるために主が用いられるさまざまな方法を示すような証を、私が聞きたい理由の一つです。

主は私を、どのようにイエスを見いだしたかを説明する、マイクという人が書いたオンラインの記事に導いてくださいました。救いの証がいつもそうであるように、この証はとても心動かされるものだったので、皆さんにも伝えたいと思いました。この話の中で特に私の目を引いたのは、彼が主を知るに至るまでにさまざまな人が果たした役割が、いかに重要であったかということです。

この記事を書いたマイクは、現在70代で、これまで長年牧師をしてきました。奥さんと共に、他の宗教や信仰を持つ人たちが主について理解するのを助けるため、いくつものウェブサイトを立ち上げています。

マイクは、イエスこそ道だという確信を常に持っていたわけではありません。それどころか、若かった頃、最初はヒンドゥー教にかなりのめり込みました。

子どもの時は両親と同様カトリックで、祭壇奉仕者をしていたほどです。カトリックの学校に通い、謙遜さや献身、犠牲的な愛、親切の模範であった司祭や修道女を尊敬し、敬服していました。ただ、彼の人生に欠けていたのは、イエスとの個人的な関係の持ち方を知らなかったということなのです。

17歳になる頃には、教会にうんざりしていました。そして、ロックミュージシャンになり、それらしいライフスタイルに没頭したのです。18歳になると、臨死体験をしました。自分が命を失いかけたことに気づき、人生の意味を真剣に考え始め、真理を探すために大学まで中退しました。それは、ジーザス・ピープル革命の黎明期(そして、私たちのグループの初期の頃)のことです。

1969年、友人からあるインド人グル(ヒンドゥー教の導師)のことを知らされ、まもなくその信者となりました。彼にとって、これは単に新しい概念ではありませんでした。そうではなく、できる限りのことを学ぼうと、完全に集中し、ほぼ取り憑かれていると言えるほどだったのです。この生き方は、「自分が神であるという意識」を見いだす方法であるとうたわれていました。彼は真理を探していたので、それを見つけるためには何でもするつもりでした。

この目標を達成しようとすることで、彼の心は蝕まれていきました。朝3時半から夕方の5時まで、瞑想し、マントラを唱え、ヒンドゥー教の聖典を読んで過ごしました。また、ヒンドゥー教に全時間を捧げて、俗世の利益や財産を捨てきりたい人たち数人と共に、アシュラム(僧院)まで創設しました。

そうしている内に、彼は自分の求めている神意識に近づいているように感じ、すべては順調に進んでいるようでした。ただ、その間ずっと、神は舞台裏で働きかけ、ご自身の約束を成就しようと、いくつか重大な出来事を準備しておられたのです。つまり、エレミヤ29章13節にあるこの約束のことです。「あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば。」

マイクには人を導く才能があったので、いくつもの大学で何百人もの学生にヨガを教え、彼らからグルとして慕われました。彼は、これが自分の召命であり、自分自身が神を見つけるだけではなく、他の人たちも同じことができるよう助けるべきなのだと信じました。

このことを知った新聞記者が、マイクや、「神への道を学ぶ」ために彼のレッスンに集まってくる若者たちにインタビューをして、特集記事を書きました。マイクは、この記事で評判になり、もっと多くの学生を助けることができると見込んで、大喜びでした。

この特集記事を読んだたくさんの人たちの中に、ある重要な人たちから成る小さなクリスチャングループがありました。この人たちは、24時間の祈りの鎖のメンバーで、断食による祈りを信じ、実践していました。彼らは、神がマイクと、マイクにその気はなくても道に迷わせてしまった若者たちとを救いたいと思っておられると確信し、この記事を掲示板に貼って、祈り始めました。

その頃、マイクは大学時代の友人であるラリーから、自分はボーンアゲイン(新生)体験をしたという手紙を受け取りました。この友人というのは、自分と一緒に大学を中退して、ヨガや東洋の宗教を学んだ人だったので、マイクは当惑し、頭が混乱しました。ラリーが示した概念は、マイクが思いもしなかったものであり、それは、神と聖霊が、自分の外側から来て内に入り、人生を導いてくださるというものです。

東洋の宗教では、神を見いだすには内側を見るべきであり、「神の本質」は私たちの内側から呼び起こされる、としています。しかし、ラリーは、ご自身を受け入れる人の内に入り、その心の中に住んでくださる神について話しているのです。ラリーはマイクに、イエスが彼の心に入ってくださるようお願いするなら、聖霊が彼の内に入ってくださり、彼は霊的に生まれ変わると言います。神の霊が彼の内に住まれるのだと。マイクは悩みました。それまで、正反対の信仰体系のために、たくさんの時間と労力をつぎ込んできたからです。

それでも、マイクは真理を探し求めていたので、何時間もかけて友人の手紙について考え、ついに重要な決断を下しました。週に4回のヨガ教室とヒンドゥー教の実践を除いて、すべてを脇にやり、ただイエスだけに祈り、聖書だけを読むことに丸一日を捧げることにしたのです。

マイクは、こんな感じで祈りました。「イエスよ、今日はあなたの日です。たくさんの人が言うように、あなたが本当にこの世の救い主であるなら、どうか私に見せてください。あなたが確かにメシアであり、救い主であり、万物の主であることを示す、はっきりと認識でき、否定しようのないしるしを。」

この祈りは、軽々しく祈られたものではありません。マイクは、この一歩を踏み出すことによって、彼の人生も、それまで信じてきたことすべても、完全にひっくり返ってしまうかもしれないと承知の上でした。それでも、一日かけて、聖書からヨハネの福音書と黙示録を読みました。そしてその日は、自分で決めた通り、ただイエスだけに祈り、しるしを見せてくださいと祈ったのです。

その後、まだなんの「しるし」を見ぬまま、予定されているヨガ教室の準備に取り掛かりました。

その頃、マイクは知りませんでしたが、街の反対側ではこんなことがありました。マイクのために祈っていた例の24時間の祈りグループのメンバーであるケントという名の若者が、洗濯をするためにコインランドリーへ行ったのです。しかし、今は洗濯しているべきではないという強い印象を受けました。洗濯するよりも、車に戻って運転すべきだという気がしたのです。そこで、聖霊によって「左折しなさい」「右折しなさい」と導かれるままに、車を走らせました。するといきなり、道端に立っている一人の人が目に入ったのです。普段なら、ヒッチハイクしている人を拾うのは絶対にしないのですが、その人を乗せなさいと聖霊が言っているように感じました。

そうやって、マイクはケントのワゴン車に乗ることになったのですが、ドアを開けて最初に目についたのは、車のルーフに貼り付けてあるイエスの絵でした。それこそが、彼の求めていたしるしだったのです。車が目的地に着く前に、マイクはケントとイエスという2人の新しい友人の助けを得て、天にある新しい故郷と、生きがいのある人生とを見いだしました。

神はよく、ご自身の子どもたちや、一件偶然起きたように見えるたくさんの出来事を用いて、人生の意味を知りたいという気持ちを生み出されます。たとえば、マイクの場合はドラッグの世界に入り込んだことがその一つでした(皆さんの中には、自分もそうだったという人もいるかも知れません)。人生のあらゆる状況を通じて、真理を求める人を、主のもとに引き寄せようと働きかけておられるのです。

私は、神がしばしば思いもよらない、私たちにとっては神秘的に見える方法で、誰かの心に手を伸べようとしておられることを、思い出させてくれるものを読むのが大好きです。私たちの受胎から救いに至るまで、神は絶えることなく私たちの人生を形作っておられ、私たちを主に近づけて、神が将来与えようとしておられる召命に私たちを備えるべく、物事をアレンジしておられます。

マイクの体験談で特に印象に残ったのは、真理を求めているかぎり、他の宗教であれ、考え方であれ、何であれ、それにどっぷりとのめり込んだとしても、イエスがその人に手を差し伸べられないことはないということです。

主は、一人ひとりの心をご存じです。そして、人々がご自身に向かうよう導くために、すべてのことを(悪いことも良いことも、その中間のことも)用いることができます。

新生体験の必要性について手紙を書いた、マイクの友人ラリーのことを考えてみてください。そうするにはたくさんの時間と努力を要したでしょうし、おそらく悪魔は、彼が手紙を書くべきではない「もっともな」理由をたくさん挙げたことでしょう。しかし、ラリーが聖霊の声に耳を傾けたので、この手紙がマイクの人生において、イエスについての真理を探し求めようとする大きなきっかけとなったのです。

そして、あの24時間の祈りグループが、マイクを縛っていた鎖を外す上で重要な役割を果たしました。この祈りの戦士たちは、神にはその鎖を断ち切って彼を解放することがおできになると知っていたのです。

それから、神はその祈りのグループのメンバーであり、少し前にヨガの世界から改宗していたケントを使われました。そして、訳の分からないおかしいことをいくつかするよう、ケントに求められましたが、神はそれを用いて、素晴らしい結果をもたらされたのです。

それだけではなく、ケントは、この新しい改宗者であるマイクのヨガ教室に参加して、彼の身に起こったことを証するのを助けるなど、彼の面倒を見続けました。自分の生徒たちに、意図せずして彼らを誤った方向に導いてしまったことや、神への道はイエス・キリスト以外にないと分かったことを説明する間、この新しい友人が隣りにいて、祈りで支えてくれたことで、マイクは自分の確信が強まるのを感じたことだろうと思います。それから彼は、ヨガを教えるのをやめ、アシュラムも閉めると発表しました。

この話は、これで終わりではなく、まだ続きがあります。マイクが言うには、祈りのグループの嘆願への答えとして、彼がヨガのライフスタイルを離れ、心の変化について公に証をしたことで、生徒の多くもイエスを受け入れるに至ったとのことです。

マイクの人生を変えたその決断が、多くの人にどれほどのインパクトを与えたかは、天国に着くまで完全に分かることはないでしょう。彼を通して改宗した生徒が第一波となり、その人たちが他の人を主に導き、それが神の愛の力によって繰り返されることで、改宗者が増えていったのです。そして、天国に着いた時でさえ、それは始まりに過ぎないのかもしれません。

もう一つ、私の注意を引いた点は、マイクが新しい友人ケントに導かれて救いの祈りを祈り始めた時、マイクにはたくさんの質問があったということです。彼を救いの祈りに導こうとしていたケントは、聖霊に導かれてマイクにこう言いました。「それ(分からないこと)は気にしないで、ただイエスを受け入れたら良いよ。そうすれば、後になってから分かるようになるから。」

当然のことながら、主はすべての証の状況において同じことを言われるというわけではありません。でも、これは非常に大切な原則であるし、場合によっては、それこそ主が私たちに言ってほしいと望まれていることでしょう。また、相手の質問に答えて、救いについて詳しく説明すべき場合もあると思います。私たちはイエスに従い、主がその時に示されたことをして、その結果については主に信頼すべきなのです。そうすれば、私たちにできないことを主が行ってくださいます。主をほめたたえよ。

YouTubeでマイク・シュリーブの証全体を見るなら、あなたも多くを得られると思います。私にとって、彼の証は神の驚くべきわざと、神が私たちそれぞれに重要な仕事を与えておられることを思い出させるものでした。[1]

「わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。植える者と水をそそぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。」—1コリント3:6–8


1 My Spiritual Journey, Mike Shreve

https://www.youtube.com/watch?v=xHnl7uDG3qc

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