主は常にそこにおられる

著者: マリア・フォンテーン

10月 11, 2022

[He’s Always There]

October 4, 2022

私は、アニー・ジョンソン・フリントが1919年に書いた、『神が約束されたのは(原題:What God Hath Promised)』という美しい詩に、大きな慰めとインスピレーションを感じます。その詩を読んでいただく前に、彼女がどんな人生を過ごしたのか、少し振り返ってみたいと思います。

アニーがまだ若かった頃、関節炎の症状が出始めました。何人もの医者に診てもらいましたが、症状は悪化するばかりで、歩行すら難しくなりました。そして、教師の仕事を辞めざるをえなかったのです。

クリフトン・スプリングス療養所の医師たちから、これからは「無力な病人」として生きることになるという宣告を受けた時のアニーが、いかに絶望的な状態にあったかを、もしできるものなら想像してみてください。

しかし彼女は、不自由な体にはなったけれど、無力だとも、自分の境遇を嘆くしかないとも、思いませんでした。それが何であるのか、まだはっきりしてはいなかったけれど、神が自分をある目的のためにその境遇に置かれたと信じていたのです。また、主が自分にさせたい仕事があるのだと信じて、力を尽くして詩を書き、その務めを主に対してするように行いました。

そうやって生まれた詩の言葉は、人の心にものすごく深く訴えかけるものとなりました。彼女は苦しみのるつぼの中から、自分が神から受けた慰めをもって、他の人を慰めることができたのです。

40年以上もの間、彼女が痛みを感じなかった日はほぼなく、その内の37年間は、体が不自由になる一方でした。体の関節は硬直していたけれど、頭を動かすことができ、かなりの痛みを伴いながらも、紙に数行ずつ書き留めていきました。

年月が経つにつれて病状が悪化し、新たな合併症が発生した時、彼女がどんな苦しみに耐えたかは、神と本人以外、誰も知り得ません。しかし、その間もずっと、神の慈しみと憐れみに対する信仰が揺らぐことはありませんでした。なぜ、このような苦しみに耐えなければならないのか、その謎が彼女の魂に重くのしかかったことは何度もあったはずです。その点では、彼女は私たちと同じ人間でした。けれども、驚くべきことに、彼女の信仰は決してぐらつくことがなく、常に『御心がなりますように』と言うことができたのです。」—ローランド・V・ビンガム [1]

 

神が約束されたのは

神が約束されたのは、空がいつも青いことではなく
生涯、花が咲き乱れる道を行くことでもない
神が約束されたのは、晴天ばかりで雨が降らず
喜びばかりで悲しみがなく、平安ばかりで痛みがないことではない

神が約束されたのは、私たちが決して
苦労も誘惑も、問題も災難も、味わわないことではない
神が言われたのは、私たちが決して
多くの重荷や多くの思い煩いを抱えなくてすむということではない

神が約束されたのは、案内人も要らないような平坦で広い道を
速やかに楽々と進むことではない
岩だらけで急勾配の山や
逆巻く深い川が一つもないことではない

そうではなく、神が約束されたのは、その日を生き抜く力であり
労苦からの休息、道を照らす光
試練の時の恵み、天からの助け
尽きることのない憐れみ、そして滅びることのない愛なのだ

 

私たちは、神が私たちを守ると約束されたこと、そして、その約束を守るにあたり、神にとって難しいことは何一つないことを知っています。

イエスは、必ずしも、私たちの苦難をすべて取り去られるわけではありません。むしろ、そうされないことが多いのです。しかし、その愛の内に、灰から美が生まれ、失敗から知恵が生まれ、弱さから強さが得られ、夜の悲しみが朝には喜びをもたらすように、取り計らってくださいます。

主は、私たちの抱える困難や苦闘の中を共に歩んでくださり、主の絶対的な力と愛によって、最悪の苦難や苦しみからも、私たちのために良きことをもたらすことができます。主は言われました。「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである。」(マルコ10:27)

主の約束は、困難な時にこそ生きてきます。苦闘や苦しみや悲しみの時、主の約束はよりはっきりと、私たちの祈りのより所となるのです。

聖書全体を通して、特に私に強い印象を与えるのは、感謝を捧げることの大切さです。イエスは、ご自身の子どもたちのために、どんな状況からでも最大の善をもたらすことができます。賛美は信仰の声であり、主への賛美と感謝によって信仰を表すことは、神が私たちの祈りに対して最善と知っておられる答えを与えてくださるという、神への信頼を表すことです。

困難な時に現される神の力に関する聖句で、ピーターと私がよく祈りの時間に、他の人や自分たちのために成就してくださるよう神に求めるものを、いくつか紹介したいと思います。これを手始めとして、あなたの心に特に響くお気に入りの聖句を、さらにいくつか付け加えてみてはどうでしょうか。聖句全体を覚えていなくても、その中の鍵となる部分を引用して、その約束が果たされるよう祈り求めることができます。

何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。—ピリピ4:6–7

あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。—詩篇55:22

「わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」—エレミヤ29:11

「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない。」—ヘブル13:5

「彼らが呼ばないさきに、わたしは答え、彼らがなお語っているときに、わたしは聞く。」—イザヤ65:24

あなたは全き平安をもってこころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである。—イザヤ26:3

「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」—イザヤ41:10

あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。—1ヨハネ4:4

わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。—ローマ8:38–39

わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。そして、わたしたちが願い求めることは、なんでも聞きいれて下さるとわかれば、神に願い求めたことはすでにかなえられたことを、知るのである。—1ヨハネ5:14–15

だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。—ヘブル4:16

神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。—1ペテロ5:7

強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。—ヨシュア1:9

「山は移り、丘は動いても、わがいつくしみはあなたから移ることなく、平安を与えるわが契約は動くことがない」とあなたをあわれまれる主は言われる。—イザヤ54:10

あなたのおきてを愛する者には大いなる平安があり、何ものも彼らをつまずかすことはできません。—詩篇119:165

「あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない。」—イザヤ43:2

ああ主なる神よ、あなたは大いなる力と、伸べた腕をもって天と地をお造りになったのです。あなたのできないことは、ひとつもありません。—エレミヤ32:17

「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか。」—エレミヤ32:27

神には、なんでもできないことはありません。—ルカ1:37

イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである。」—マルコ10:27

わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。—ピリピ4:13

わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。—ピリピ4:19

神は人のように偽ることはなく、また人の子のように悔いることもない。言ったことで、行わないことがあろうか、語ったことで、しとげないことがあろうか。—民数記23:19

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。—ローマ8:28

「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」—ヨハネ16:33

「今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。」—ヨハネ16:24

しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。—ローマ8:37

神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。—ヘブル10:36

主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい。—出エジプト14:14

しかし、主は真実なかたであるから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるであろう。—2テサロニケ3:3

どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さるように。—2テサロニケ3:16

エリシャは言った、「恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから。」 そしてエリシャが祈って「主よ、どうぞ、彼の目を開いて見させてください」と言うと、主はその若者の目を開かれたので、彼が見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあった。—列王記下6:16–17

「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください。」—ルカ22:42


[1] http://www.homemakerscorner.com/ajf-annie.htm

 

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