クリスマスの希望

著者: マリア・フォンテーン

12月 2, 2022

[Christmas Hope]

November 29, 2022

私は、クリスマスについて、またクリスマスが意味し、クリスマスについて言われているあらゆることについて、考えていました。クリスチャンは長年にわたり、イエスの誕生の奇跡や、それがいかに世界に影響を与えてきたかについて、考えをめぐらせてきました。クリスマスには美しいメッセージがあり、私はそれが大好きです。

イエスは、人類が神の愛の力と偉大さを、よりはっきりと理解できるようにしてくださいました。天地創造と時間が始まる前にすでに存在していた、「わたしはある」という偉大な方でありながら、身をかがめて、私たちが理解できる形をとり、誰もが理解し受け入れられる方法で愛を示してくださったのです。

私たちが頭で完全に理解できるようなことは、科学や信仰が私たちの周りにあると語るさまざまな不思議に比べると、かなり少ないようです。私たちは、日々人生に触れるさまざまなことの全容について、想像することしかできません。なぜなら、この物質界のことだけ考えても、私たちの感覚では感知し理解できないことがたくさんあるからです。

私たちは、狭い範囲の音しか聞くことができません。光のスペクトルのほんの一部しか見ることができないし、他の多くの形態のエネルギーについても、最近になって発見されるまで、それを理論化できた人は少数でした。

以上のことを念頭に、私たちがクリスマスについて、また、イエスがこの世界に来られるまでの経緯について、実際に何を知っているのか考えてみましょう。

私たちは、聖書の至る所に記された預言にあるように、また、イエスご自身の言葉によって、イエスが神の子であり、神でもあることを知っています。

私たちは、イエスが天地創造の前に、また時間が始まる前に、すでに存在しておられたことを知っています。

「父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。」—ヨハネ17:5

私たちは、イエスが神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であることを知っています。

御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。—ヘブル1:3

御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。—コロサイ1:15–17

私たちは、神の霊が愛であることを知っています。

愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。愛さない者は、神を知らない。神は愛である。神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。—1ヨハネ4:7–9

私たちは、イエスがすべての被造物を統治しておられることを知っています。

「わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。」—黙示録22:13

ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、 ひとりの男の子がわれわれに与えられた。 まつりごとはその肩にあり、 その名は、「霊妙なる議士、大能の神、 とこしえの父、平和の君」ととなえられる。—イザヤ9:6

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。…そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。—ヨハネ1:1, 14

信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。—ヘブル11:3

私たちは、イエスが人間の姿となり、時間と肉体という束縛と制約の中で人生を歩み、私たち人間が直面することを何でも経験するのを選ばれたことを知っています。

この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。—ヘブル4:15

私たちは、イエスが私たちのために選択されたことはすべて、神の性質と栄光の表れであることを知っています。

神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。—ヨハネ1:18

神は、私たちを愛しておられるので、私たちを救出するために、最大限の犠牲を払うことを選ばれました。御子イエスが私たちの罪のために死ぬことを許されたのです。しかも、私たちが神に反抗していたにも関わらず。神が私たちを救い出されたのは、純粋な愛による究極の行為です。

「それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである。」—マタイ20:28

「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、主のめぐみの年を告げ知らせるのである。」—ルカ4:18–19

イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。—ルカ4:20–21

しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。—ローマ5:8–9

だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。—ヘブル4:16

イエスがこの地上に来られたのは、私たちが理解しうる最も無私な行為です。それだけでも充分に驚くべきことであるのに、イエスは究極の犠牲を払い、私たちのために命を捨ててくださいました。私たちの罪の報いを自ら引き受け、十字架の上で残酷で苦痛を伴う死に方をされたのです。神はこの究極の愛の犠牲を通して、私たちに神と共に生きる永遠の命を与えようとしておられます。

すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており…。—ローマ3:23

罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。—ローマ6:23

神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。—2テモテ1:9–10

しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。—ヨハネ1:12

クリスマスは単にある特別な赤ちゃんのお祝いのように思える人もいるかも知れませんが、その誕生は、すべての人に対する神の愛の力を宇宙全体に示すものだったのです。

クリスマスは、ある小さな国の小さな町で2千年前に起きた、たった一つの出来事でした。しかし、その一つの出来事によって、神の愛の光が人類の心と知性に注ぎ込まれたのです。

クリスマスの物語の背後にある愛の深さと、それが意味するすべてのものを少しでも想像できるなら、そして、もしまだイエスの救いの贈り物を受け取っていないのであれば、ぜひこちらを読んで、そうされるようお祈りします。そのためには、ただ祈って、自分の罪をゆるして心に入ってきてくださるよう、イエスにお願いすればいいのです。そして、もしあなたがすでにイエスを自分の救い主として受け入れているのであれば、他の人も神のご計画にあずかることができるように、あなたがこの素晴らしい知らせを伝える機会を見つけられるようお祈りします。

 

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