5月 2017 の記事

  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート10)

    5千人を食べさせた直後にイエスが行われた奇跡があり、それはマタイ、[1] マルコ、[2] ヨハネ[3] の福音書に書かれています。ここでは、一番長いマタイの記述を用い、他の福音書からも幾つかの点を取り上げていきます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート9)

    3つの共観福音書[1] 全てに、イエスとともに舟に乗っていた人たち、そしておそらくは一緒に湖を渡ろうとしていた他の舟の人たちも含めて、彼らの命を脅かすほどの嵐を、イエスが静められた話が書かれています。以下の記述は、マルコの福音書からです。[2]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート8)

    5千人を食べさせる奇跡は、イエスが行われた奇跡の中で、4福音書全てに記録されている唯一のものです。[1] 各福音書の中での設定はまちまちですが、話に出てくる事実の主要部分は同じです。4福音書全てで一致しているのは、5千人がいたこと、5つのパンと2匹の魚があったこと、食べ残しを集めたら12かごあったこと、イエスが祝福(感謝の祈り)をされたこと、そして、皆を座らせるよう、弟子たちにお命じになったことです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • もっとイエスのように:謙遜(パート2)

    『謙遜(パート1)』で触れたように、私たちはイエスによる謙遜の手本にならうよう勧められています。パウロはキリストの謙遜について書いている時、クリスチャンのすべきこととして、こう告げました。「互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。」

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:謙遜(パート1)

    キリストに似た者となることを追求する上で一つ大切な要素とは、イエスの謙遜さにならうことです。そうやって謙遜を「身に着け」、誇り(高ぶり)を「脱ぎ捨て」ることによって、私たちはよりイエスのようになろうと努めるのです。古代ギリシャ・ローマ社会において、謙遜は良くない特性として見られ、下層階級とされた者が示す卑屈な態度を意味していました。

    著者:ピーター・アムステルダム