悲劇と変貌、パート4

6月 22, 2013

著者:マリア・フォンテーン

[Tragedies and Transformations, Part 4]

June 11, 2013

極貧から弟子へ

最近、ティフアナでのミッション活動について書きましたが、そこで私は薬物リハビリ兼弟子訓練センターを訪れる機会に恵まれました。弟子を訓練することに専念している人たちを見たことは、私にとって、彼らが成長し、数を増しているという明確なしるしでした。

そこの人たちは誠実で献身的なクリスチャンであり、キリストの憐れみを他の人たちに映し出すことを最大の願いとしています。彼らは多くの人たちを薬物やアルコールや、その他何であれ、その人が抱えている問題から救い出していますが、一番のゴールは、いかにしてイエス・キリストの弟子になるかを教えることなのです。彼らは来る人たちにこう告げます。「ドラッグをやめようとしているだけなら、違う所に行った方がいいです。私たちのゴールははあなたに麻薬をやめさせることだけではなく、あなたをイエスの弟子にすることなのですから。」


その日は雨の中、車で1時間の所にある33エーカーの農場に行きました。そこは薬物依存症のリハビリ施設と弟子訓練センターを兼ねた所です。チームは、私と私のパートナー、若者のための牧師とその奥さん、彼らの幼い子ども二人、そしてアイバンという19才の優しく知的な感じの青年でした。アイバンは農場のスタッフメンバーの息子さんです。最後の25分は水浸しの泥んこ道を行きました。その一車線だけの道は、時々通行不能のように見えたこともありました。

アイバンとは気さくに会話しました。農場にいる人たちのスケジュールはどんなものかとたずねると、彼は何時間ものスケジュールをすらすらと言ってのけました。明らかに細部に至るまで良く知っていたようです。後でわかったのですが、彼自身、深刻なドラッグの問題を抱えて路上生活をした後、農場に来て、1年間のプログラムに参加したのでした。身だしなみが良く、輝くような笑みを持つ今の彼からは、少し前まで、望みも失い、極貧で、ドラッグの奴隷となっていた頃のことは想像できません。

若者のための牧師が教えてくれたのですが、1年間のプログラムは無料で、参加のために特別な要求事項は何もないのだそうです。薬物依存症やアルコール依存症でなくても参加できますが、ほとんどはどちらかの依存症だそうです。中には、主との関係を強めたいので、その邪魔をするものから離れられるようにという理由で来ている人もいます。電気を供給する発電機は、夜8時に切られます。テレビもパソコンも、電子機器もありません。男性たちは一日に3回、聖書クラスを受け、一緒に祈ります。彼らは監督者たちから豊富な霊的サポートと訓練を受けます。監督者たちは自分自身、同じような戦いに直面し、信仰と主に頼ることを通して答と強さを見いだしたのです。彼らは毎日の雑事や、合同のスポーツを一緒に行い、キャンプファイアや歌、親睦を楽しむ時間もあります。

様々なミッション・プロジェクトを運営している16人のフルタイムのスタッフ・メンバーたちのほとんどが、以前、この農場の弟子プログラムに参加したか、教会で行われる聖書学校に参加し、その後で、神がいかに自分を変えてくださったかに心から感謝したゆえに、ここに残ってミニストリーに参加したいと希望した人たちです。彼らは霊的な意味においてばかりか、多くの場合、肉体的にも死から救われました。

結ばれた実を見ればはっきりわかるように、彼らは人生を変えるための鍵を見つけたのです。スタッフもまた、プログラムの参加者たちを神の御言葉と祈りにしっかり根付かせなければという深い確信があり、それがライフスタイルや習慣、思考パターンにおいて必要とされる莫大な変化を遂げるための強さを与えるのです。スタッフは憐れみと謙虚さを兼ね備えており、参加者と泣き、祈り、霊の内で共に戦い、文字通り、自分たちを必要とする人たちのために命を捨て、彼らが一歩ずつ小さな歩みを踏みながら、最後まで切り抜けるのに必要なだけの間、それを続けています。(1 ヨハネ 3:16)

ティフアナは、アメリカから追放された人たちが「捨てられる」場所ともなっています。この問題を取りあげたドキュメンタリーによると、「捨てられた」のはメキシコ人だけでなく、アメリカでの新生活のためのちゃんとした書類を持たずに自国から出た人たちも大勢いるということです。彼らはメキシコ経由で北上したものの、国境で追い返されたのでした。実際国籍がなく、行く当てもなくて、麻薬カルテルやその他、弱者を餌食にする者たちの「いいカモ」になっている人たちもいます。農場にいる多くの人たちは被追放者だったそうです。

私は英語を流暢に話す、29才の厨房係の青年と話しました。これは、彼が自分の言葉で語った経験の一部です。

マリア:メキシコで生まれたの?

モーリシオ:はい。幼い頃、父と母に連れられてアメリカに行きました。

マリア:ご両親はまだアメリカに?

モーリシオ:はい、両親はまだそこにいます。家族全員、そこにいます。

マリア:なぜあなたは追放されたの?

モーリシオ:無免許で運転している所を捕まったんです。1ヶ月留置場に入れられて、その後追放されました。家族がいるんです。子どもと元の妻がアメリカにいます。

追放されてから3年間、ここメキシコで暮らしました。国境を渡って向こうに戻るお金がなかったんです。でも、前の妻が私の母の所に子どもを置いて出て行き、もう一切関係を絶ちたがっていると聞いて、アメリカに戻って母と私の子どもの面倒を見なければと思ったんです。それで、国境を飛び越えようとしました。去年10月、2度目に飛び越えようとした時に成功しました。それで3ヶ月アメリカにいました。

でも、神にはとても感謝してます。僕は神に言ったんです。「神よ、子どもたちを世話してください。あなたに私の人生を捧げたいです。私の人生と子どもたちの人生をあなたに捧げたいです。だから、どうかここから出してください。子どもや母親に会いたいです。一緒にいたいです。子どもの面倒を見れるようになりたいです。でも、まず、私が良き父、良き息子となれるよう助けてください。」

神は今、私の人生でそれをなさっているんです。神はとても偉大であられ、私が国境を越えて、10月、11月、12月を子どもたちと一緒に過ごし、3年ぶりにハグしたり、キスしたり、学校に連れて行ったり、医者に連れて行ったりさせてくださいました。でも、アメリカで色々なことで道をそらしてしまって、主が言われたのです。「お前にはここにいてほしくない。間違った道に進んでいる。ここにいると、悪いことをし始めるだろう。戻って、あの人たちに助けてもらいなさい。」

私は追放されましたが、神には心から感謝しています。神はまたしても私の人生を救ってくださっているからです。それで、私は平安があるのです。私は神と良い関係にあります。

マリア:お子さんたちは誰かが面倒を見てくれているの? あなたのお母さんはお子さんたちを愛してくださっている?

モーリシオ:はい。いずれ神は子どもたちを私の所に連れて来てくださるか、私を子どもたちの所に連れて行ってくださると信じています。いずれにせよ、神はそうされます。わかっているんです。

マリア:素晴らしいテスティモニーね。何と強い信仰でしょう! あなたはいつ、主のことを真剣に考え始めたの?

モーリシオ:本当に真剣に考え始めた時ですか? 去年の7月ですね。最初に国境を越えて戻ろうとした時のことです。国境を飛び越えたことで捕まり、アリゾナの留置所に2ヶ月入れられました。それでも感謝していました。そのおかげで神の声に耳を傾けるようになったからです。入国管理局の留置所で、他の囚人たちと一緒にいる時に、神は私に語りかけ始めました。彼らは私たちを留置所に入れて私たちを懲らしめていると思っていますが、実際、それで神に真剣に耳を傾けることになるなら、彼らは私たちに良いことをしてくれているわけです。そういう時、神にもっと関心を寄せるものです。

私たちは農場の管理者の一人に会いました。以前、街中のシェルターで聖書を読んでいた所を見かけた人です。彼は週に一日休みがあって、普段は休みの日にシェルターに行き、日中の静かな時に御言葉を学習するのだと説明してくれました。ここのスタッフ・メンバーはとても良く働くので、貴重な自由時間を使って聖書を掘り下げて学習するというのは、彼らの献身度と、神の御言葉への愛、そして彼ら自身の人生やセンターにいる人たちの人生がそれにかかっているという認識を声高に物語っていると思います。

坂を上ってもう一つの建物に行くと、そこでアイバンにばったり出くわしました。一緒に農場まで車で来る途中、活気に満ちた様子で話していた青年です。彼は顔立ちの良い男性と一緒にいて、後にその人は彼の父親サミーだとわかりました。サミーは農場の副管理人です。彼はヘロインから驚くべき救出を遂げ、息子のアイバンがドラッグを絶つのも助けました。サミーとの短いインタビューがこれです。

マリア:では、サミー、あなたも麻薬をやっていたの?

サミー:ヘロインです。

マリア:何年間?

サミー:ああ、15年ですね。麻薬のせいで子どもたちの母親を失いました。私が麻薬に溺れて数多くの犯罪を犯したので、彼女は去っていったんです。

私は妻と子どもに逃げられてから、ティフアナで何とか生き延びるためにゴミ箱をあさりながら路上暮らしをしました。ひどい状態でした。まるで背中が曲がった老人のようでした。髪の毛は肩の下までぼうぼうに伸びて、やせこけていました。心はとてもかたくなになりましたが、イエスを知ってからはすべてが変わりました。今では頑張り続け、進み続けられるように、毎日聖書を読み、祈っています。

時々、逆戻りしそうになりますが、それはできません。イエスが私の中に生きておられるからです。だから、私は進み続けるのです。主はご自身の力を示すために、最も低く軽しめられている者を引き上げてくださいます。イエスは私を引き上げられました。今でも私は御言葉を読み、祈り、主を仰いでいます。

マリア:麻薬をやめた時、それは劇的な一夜の変化だったのですか、それとも離脱期間は長くかかったのですか?

サミー:誰かがシェルターのことを教えてくれたので、最初そこに行きました。変わらなければ人生は終わりだとわかりかけていました。私は死にかけていました。それで、この農場に来る決断ができて、それ以来昔の生活には戻っていません。でも、肉体的には大変でした。一ヶ月間眠れませんでした。まる一ヶ月間、禁断症状が強く出ました。

マリア:地獄みたいだったでしょうね!

サミー:そうです。他のところですが、実際、離脱期間に死んだ人もいます。私は禁断症状が出ている間、何も薬を使いませんでした。ヘロインを何年もやった後に、私を保ち、救い出してくれたのは、神の憐れみのみです。離脱期間には、死ぬほどドラッグがほしくなったことが何度もありました。そこにいるのを助けてくれたのは、ただ神のおかげです。私の体全体と思いが、そこから出たい、もうやっていけないと告げていました。肉体的な苦痛がひどく、心の中でもそこから出たいと思いました。熾烈なマインドバトルでした。マインドバトルは、肉体的な離脱期間よりも長く続きました。

マリア:ではなぜ、ここに留まったの?

サミー:麻薬から解放されたいという願いの方が、そこを出たいという願いよりも強かったんです。それで、神にしがみつかなければなりませんでしたが、厳しい戦いでした。とてつもないマインドバトルでした。子どももいなくて、妻も失いました。私は何もありませんでした。もう家族はいなかったのです。私にあるのは神だけでした。神がすべてだったので、神を手放すことはできませんでした。本当に自由になりたかったのです。そして神は私を助けてくださいました。私はもう、あの昔のもののとりこではありません。ただキリストのとりこなのです。

マリア:今、あなたは他の大勢の人たちを助けることができるのですね。

サミー:そうです、そして、私の息子もここに来て、人生が変わり、麻薬をやめることができました。息子は今、近所の子どもたちやその友だちを助けています。そして神は私に新しい妻と新しい家族を与えてくださいました。

サミーとその美しい奥さんジェシカはちょうど1年前に結婚したばかりです。私たちは彼女と二人の幼い男の子と、2ヶ月の赤ちゃんに会いました。ジェシカは32才で、12才の時からアメリカ国籍なしでアメリカに住んでいました。27才でギャング行為と麻薬で逮捕され、1才と2才の息子共々、国外追放されました。ここの宣教師たちが彼女を施設の一つに入れてくれたのです。彼女はすぐにイエスを見いだし、間もなく孤児院のスタッフとして働き始めました。

サミーの大人になった息子アイバンを含めたこの美しい家族を見た時、私は彼らの目に輝く光と、そこにおられるイエスの美しさに驚嘆しました。イエスは、イエスに手を伸ばすどんな人にも、不可能を可能にするために、これらの人々の人生の粉々に砕けたかけらを取り、神の力の美しい表れに形作られました。

私たちは別れの挨拶をして、教室に行きました。そこで、聖書学習を終えたばかりの何人かの男性と話しました。彼らはテスティモニーをちょこちょこと話してくれ、こう言いました。「どうか、どうか私たちのために祈ってください。このプログラムは簡単ではありません。必死にしがみつかなければなりません。」

神の言葉に生き、それを固く守ることで、彼らは共に生か死かの苦闘に立ち向かうことができています。勝利を得るまでどれだけかかろうとも、互いに祈り合い、励まし合うことで、彼らは互いの人生における神の奇跡的な力を目撃しています。

そのような変貌を見て、私は、神はご自身の子らを通して今も人々の人生を変えることに従事しておられることをまざまざと思い起こさせられました。神は、途方に暮れ、悪行のぬかるみにはまり、完全に砕け、粉々になり、ひん死の状態の人たちを受け入れて、彼らに人生の新しさ、輝き、御言葉の力を通して天国の輝きを与えるのです。イエスは彼らにご自身の輝く光を浴びせ、闇を追い出し、彼らを清め、すこやかにし、御言葉を通して命を与えておられます。(マタイ4:16、1ペテロ 2:9、イザヤ 53:5、ヨハネ 6:63)

イエスに従う者として、私たちが持つ最も貴重なものとは、御子による神とのつながりです。そのつながりは、私たちが他の人たちと分け合うこのできる、最も貴重な贈り物でもあります。

これらのクリスチャンが身を以て福音を証明する時、福音を分け合うことは、説教をするよりもはるかに意味のあるものとなります。それは実生活において実行されなければなりません。それを行い、感じ、生きなければならないのです。私たち一人ひとりにとって、どんな代価がかかろうと、それを実行するのにイエスがどう導かれようと、ゴールは常に、他の人たちが主との個人的なつながりを築くのを助けることなのです。

私は祈ります。学び、成長し、自分の人生に神の力を現したい人たちのために、私が安全な霊の宿り場を供給できる友になれるようにと。

 

若者のための牧師と奥さん。私たちを農場まで運転してくれました。

モーリシオとのインタビュー 

農場の管理者の一人の休日。シェルターで御言葉を学習するのが大好きな人です。

間に合わせの机に注目。

サミー、ジェシカ、息子のアイバン