'聖霊' というタグの付いた記事

  • ガラテヤ書:第3章(1–14節)

    パウロは、ガラテヤ第2章で、自分はキリストと共に十字架につけられ、今はキリストが自分の内に生きておられると書いた上で、さらに、自分は神の御子を信じる信仰によって生きているのだと述べました。それから、第3章へと移ります。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 第1テサロニケ:第5章(パート2)

    パウロは、テサロニケの信徒たちから受け取った、信者同士の愛や、キリストにある死者に起こること、また主の日の時期についての質問に答えた後、テサロニケ教会の指導者に話を移しました。「兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの最後の出現(パート2)

    マルコによる福音書の最後の章(マルコ16章)には、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、イエスの体に塗るための香料を持って墓へ行ったと書かれています。[1] 墓に入ってみると、右手に真白な長い衣を着た若者(天使)が座っているのを見て、非常に驚きました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:復活(パート4)

    先回の記事では、それがイエスだとは気づかずに、一緒にエマオに向けて歩いていた2人の弟子(クレオパと、名前が明かされていないもう1人)について見てきました。彼らはイエスが十字架につけられたことで落胆を示し、こう言いました。「わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人[イエス]であろうと、望みをかけていました。」

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ16:23–33

    イエスは弟子たちに、ご自分がこの世を去ることで世は喜ぶけれど、弟子たちは泣き悲しむことになると告げた後、[1] 彼らが味わう悲しみは一時的なものであって、イエスは再び彼らと会うのであり、その時に彼らの心は喜びに満たされ、その喜びを奪えるものは誰もいない、と付け加えられました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ16:13–22

    イエスはこの福音書の前の方で、弟子たちにつかわそうとしている助け主、聖霊について、このように言われました。「助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。」 [1] ヨハネ16章では、御霊の働きについて、さらに詳しく語られています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ16:1–12

    ヨハネ16章では、15章からイエスが弟子たちに語り始められた話が続きます。15章では、世がイエスや弟子たちを憎むことについてや、将来弟子たちが直面することになる迫害について話されていました。

    「わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくことのないためである。...

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ15章:もしこの世があなたがたを憎むならば

    イエスはヨハネ15章の少し前のところで、弟子たちは友であると、彼らに言われました。また、父から聞いたことを皆、彼らに伝えたことや、イエスが彼らを選んで立てたこと、それは彼らがいつまでも残る実を結ぶためであることを、彼らに知らされました。イエスはまた、「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さる」 [1] と言われました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ14章:わたしは父のもとに行く

    イスカリオテのユダが夕食の場を去ってから、イエスは弟子たちに話をしておられましたが、ヨハネ14章のこの最後の部分でも、まだそれは続いています。イエスが話している言葉はご自身のものではなく、イエスをつかわされた父の言葉だと弟子たちに告げてから、次のように話を続けられました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ14章:助け主

    前回の記事に引き続き、ヨハネ14章は、イエスが逮捕され、裁判にかけられる直前に、弟子たちに語っておられる場面が続きます。少し前には、イエスを信じることについて話をされていました。また、とても素晴らしい約束を弟子たちにしておられます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 信条(パート9)

    前回は、イエスが再び来て(再臨)、生者と死者とを裁き、その国は終わることがないという未来の出来事について見てきましたが、今回、ニカイア・コンスタンティノポリス信条が扱うのは聖霊(御霊:みたま)です。

    次のように述べています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:聖霊―御霊の賜物、パート2

    今回の記事は、パート1で始めた様々な御霊の賜物についての簡単な説明の続きです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:聖霊―御霊の賜物、パート1

    福音書の随所にイエスの人生と宣教が聖霊によって力を与えられていたことが書かれています。イエスの宣教が始まったのは、ヨルダン川でヨハネからバプテスマをお受けになり、天が開いて御霊が鳩のように下って来られた後のことです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:聖霊―私たちの人生における聖霊の働き

    聖霊がペンテコステの日に最初の弟子たちの内に現れ、それ以降も信者たちに与えられてきたことは、ヨエル書にある預言の成就です。それは、ペテロが聖霊に満たされてから引用しているとおりです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:聖霊―聖霊と歴史

    前回の記事では、聖霊がいかにして信者たちに下られたのかを説明する使徒行伝の様々な記述を読みました。その人が信じたとき、同時に聖霊が与えられたこともあれば、まずは信じて、後になってから御霊が与えられたこともあります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:聖霊―聖霊と原始教会

    このシリーズの最初の2つの記事では、旧約聖書において、またイエスの生涯において、聖霊がいかにして特定の個人に、また特定の目的のために、下って来られたかを見てきました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:聖霊―聖霊とメシア

    前回の記事では、主の霊が旧約聖書においてどのようにあらわれたかを見てきました。神の霊は特定の人のうちに動き、その人に力を与え、預言をさせ、様々な 能力で塗油します。旧約聖書では全般的に言って、主の霊は特定の人に、また一時的にのみ、下ってきて交わりを持たれました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:聖霊―旧約聖書における聖霊の記述

    旧約聖書では、ひとつの神のうちに三つの位格、つまり父と子と聖霊とがあることは、まだ啓示されていませんでした。それはイエスの宣教、死、復活や昇天、そしてペンテコステの日の聖霊降臨などがあった時やその後になってから、啓示され始めたことです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • たったひとりの人生が

    これは、私が普段DCサイトに載せるのとは一風変わった記事です。たいていの場合、ここに掲示される読み物はメンバーに向けられています。けれども、クリ スマス・シーズンの精神にあやかり、今はイエスが与えてくださる愛と贈り物を強調するための素晴らしい機会ということもあって、‥‥

    著者:マリア・フォンテーン

  • パピエ・マシェの刑務所

    ピーターと私が長期に渡ってしている証しについて話させてください。驚嘆したり大勝利と言ったりできるようなものではありません。ただ毎日種を蒔き続け、主が水をやって下さるよう祈っているというだけのことです。‥‥

    著者:マリア・フォンテーン

  • 神はどれだけ気にかけておられるのか

    最近、ほんの1週間の間に3人の人が別々に、3つの関連しあった事を話しているのを聞いて、神が私の人生にどう関わり、関与しておられるかを考えさせられました。・・・

    著者:ピーター・アムステルダム