'反対と迫害' というタグの付いた記事

  • 第2テサロニケ:第3章(パート1)

    第2テサロニケ第3章は、パウロがテサロニケの信徒たちに書いた手紙の最後の章になります。「最後に、兄弟たちよ。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、また、あがめられるように。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 第2テサロニケ:第1章

    テサロニケの信徒への第2の手紙は、第1の手紙が書かれた後すぐ、紀元51–52年頃に書かれたと考えられます。第1の手紙と同じく、著者はパウロとシルワノ(シラス)とテモテで、受取人はテサロニケの教会です。テサロニケ人に関する情報は、『第1テサロニケ:前書き』を参照してください。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 第1テサロニケ:第3章

    迫害のためにテサロニケから逃れた使徒パウロは、テサロニケ教会に手紙を書いて、何度も彼らの所に戻ろうとしたけれど、「それだのに、わたしたちはサタンに妨げられた」と告げています。その時、パウロやその同労者シラスとテモテは、アテネにいました。・・・

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 第1テサロニケ:第2章(パート2)

    パウロは、第1テサロニケ第2章の最初の部分で、テサロニケのクリスチャンたちに、自分たちは栄誉を求めることも、クリスチャンになったばかりの彼らに金銭を求めることもしなかったことを思い起こさせました。むしろ、パウロたちは、彼らの経済的負担にならないよう、日夜働いていたのです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ16:23–33

    イエスは弟子たちに、ご自分がこの世を去ることで世は喜ぶけれど、弟子たちは泣き悲しむことになると告げた後、[1] 彼らが味わう悲しみは一時的なものであって、イエスは再び彼らと会うのであり、その時に彼らの心は喜びに満たされ、その喜びを奪えるものは誰もいない、と付け加えられました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ16:1–12

    ヨハネ16章では、15章からイエスが弟子たちに語り始められた話が続きます。15章では、世がイエスや弟子たちを憎むことについてや、将来弟子たちが直面することになる迫害について話されていました。

    「わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくことのないためである。...

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ15章:もしこの世があなたがたを憎むならば

    イエスはヨハネ15章の少し前のところで、弟子たちは友であると、彼らに言われました。また、父から聞いたことを皆、彼らに伝えたことや、イエスが彼らを選んで立てたこと、それは彼らがいつまでも残る実を結ぶためであることを、彼らに知らされました。イエスはまた、「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さる」 [1] と言われました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:神殿に関する予言(パート3)

    マルコ13章同様、マタイ24章もユダヤ教の神殿(宮)が破壊されることに関するイエスの予言から始まります。

    イエスが宮から出て行こうとしておられると、弟子たちは近寄ってきて、宮の建物にイエスの注意を促した。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:神殿に関する予言(パート2)

    前回の記事で扱ったのは、ペテロとヤコブ、ヨハネとアンデレが、イエスの予言された出来事について、それが起こる時にはどんなしるしがあるのかと尋ねた件でした。

    それに対して、イエスはまず、多くの人がイエスを名乗って現れ、人々を惑わすと警告し、さらに、戦争と戦争のうわさとがあり、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震や飢饉が起きると言われました。そして、「これらは産みの苦しみの始まりである」 [1] と付け加えたところまで見てきました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ: ベタニヤで香油を塗られる

    ヨハネ11章には、イエスがラザロを生き返らされたことが書かれています。[1] この奇跡の結果、祭司長たちやパリサイ(ファリサイ)人たちは、イエスは殺されなければいけないということで意見が一致したので、イエスを逮捕するため、居所を知っている者は届け出なければいけないという命令を出しました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:家庭内のもめごと、真の幸い、ヘロデの脅し

    福音書には、短い挿話として収められた、イエスや他の人たちの言動が数多く見られ、そのような出来事や発言の中には、わずか2~3文のものもあります。本記事と、これに続くいくつかの記事で、そのような話や発言について触れていこうと思います。これらの話はお互いに繋がりがないので、別々のセクションに分けて説明していきます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:迫害

    マタイの福音書で、イエスは弟子たちに、彼らが福音を伝えに出ていく時に受けるであろう反対や迫害について話されました。第10章では、イエスが弟子たちを送り出すにあたり、異邦人を避け、サマリア人の町に入ることもせず、もっぱら「イスラエルの家の失われた羊」 [1] つまりユダヤ人同胞を相手に伝道するよう指示されました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 生きる価値のある人生

    イエスの時代から現代に至るまで、クリスチャンは迫害を経験してきました。私たちの主は、それは主に従う者としての人生の一部であることを、聖書の言葉で説明しておられます。主は言われました。「わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを、おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう。」

    著者:マリア・フォンテーン