イースターを想う

3月 22, 2016

著者:ピーター・アムステルダム

March 22, 2016

初めてのイースター(復活日)に起きた出来事は、私たちの世界に劇的な変化をもたらしました。神は人類と新しい契約を結ばれたのであり、その契約は私たちが神と永遠に共にいることを可能にするものでした。神の御子は私たちのために十字架上で死なれました。それによって私たちの罪が許され、神の家族の一員となることが可能になったのです。1 イースターを祝うことは、神が私たちを深く愛されるがゆえに、私たちを神の家族となるようにしてくださったという事実を喜ぶことなのです。イエスが死んでよみがえられたがゆえに、私たちもまた、死からよみがえり、イエスと共に永遠に生きることができます。

イースターはイエスの復活という出来事と、その意味やそれが象徴するものを祝う日です。以下に、イエスの復活の出来事とその影響、それが教えるもの、またその全ての栄光について、聖句や歌を選んでみました。キリストの復活を祝うにあたり、これが皆さんの霊を動かすものとなるよう祈ります。

 (音楽とリンクについて:クリックしてもつながらない場合は、ブラウザにリンクをコピーしてみてください。たいていそれでアクセスできるはずです。万一、あなたのいる国でそのリンクがつながらない場合は、YouTubeで歌のタイトルを検索して、別の動画が見つけられるか、試してみてください。これらはすべて現代の歌ですが、1730年にチャールズ・ウェスレーが歌詞を書いた『Christ The Lord Is Risen Today』(聖歌171番、よびとようたえ)だけは別です。パフォーマンスつきの歌もありますが、音楽と共に歌詞が字幕で表示されるだけのものもあります。歌詞はすべて以下の本文に掲載されていますが、ここにある歌詞は、歌われているものと完全に一致しない場合があることをご了承ください。)

オープニングソング

Love Crucified Arose (十字架にかけられた愛がよみがえった)

昔々、ずっと昔に彼は生まれ、 

この地を祝福した 

そして、馬小屋から十字架を見た 

生まれて初めて流した涙の向こうに

家もなく、さすらう人生 

見捨てられ、悲しむ者の道で 

羊飼いは失われた者を探している 

自分の人生を犠牲にして

十字架にかけられた愛がよみがえった 

栄光のうちによみがえった 

ヤーウェからのただ一人の擁護者が 

勝利を勝ち取ったのだ

十字架にかけられた愛がよみがえった 

墓は希望の場所となった 

罪と悲しみに砕かれた心は 

ふたたび鼓動を始めた

あなたは生涯を通して 

自分が与えることになるものの重圧を感じておられた 

私たちのために血の杯を飲むこと 

それは私たちが真に生きるようになるため

愛し、死ぬ時がついに来た 

暗い運命の日が来た 

父に顔を背けられ 

見捨てられる瞬間が

十字架にかけられた愛がよみがえった 

私のために生き、そして死んだ方は 

サタンに釘を刺され、傷つけられたが 

今ではふたたび息をしている

十字架にかけられた愛がよみがえった 

墓は希望の場所となった 

罪と悲しみに砕かれた心は 

ふたたび鼓動を始めた

十字架にかけられた愛がよみがえった 

栄光のうちによみがえった 

ヤーウェからのただ一人の擁護者が 

勝利を勝ち取ったのだ

十字架にかけられた愛がよみがえった 

墓は希望の場所となった 

罪と悲しみに砕かれた心は 

ふたたび鼓動を始めた

十字架にかけられた愛がよみがえった 

私のために生き、そして死んだ方は 

サタンに釘を刺され、傷つけられたが 

今ではふたたび息をしている

作詞・作曲:マイケル・カード


序幕

イエスは十字架にかけられて亡くなる少し前に、友人であるマリヤとマルタの家に行きました。そのつい数日前に、彼女らの兄であるラザロが死に、すでに葬られていました。イエスがそこに着くと、こんな会話が交わされました。「マルタはイエスに言った、『主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています。』 イエスはマルタに言われた、『あなたの兄弟はよみがえるであろう。』 マルタは言った、『終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています。』 イエスは彼女に言われた、『わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。』」2

この会話が交わされて間もなくイエスは逮捕され、ユダヤ人長老たちの前で裁判にかけられて、神への冒涜のかどで有罪となりました。そして、ローマからの総督であるピラトの前に連れて行かれ、死刑の宣告を受けました。イエスはムチで激しく打たれ、十字架にかけられて、とうとうお亡くなりになりました。その後、イエスは墓に寝かせられ、入り口には大きな石が置かれて、ローマ兵士がそこを警備していました。数日後、その当時の慣習にならい、イエスに従っていた女性たちが香辛料を持って、イエスの体に油を塗りに来ました。3


第1部:発見

そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。 (マルコ 16:2–5[新共同訳]).

「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか。」 そこで女たちはその言葉を思い出し、墓から帰って、これらいっさいのことを、十一弟子や、その他みんなの人に報告した。 (ルカ 24:5–9).

この日、ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、このいっさいの出来事について互に語り合っていた。語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。イエスは彼らに言われた、「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか。」 彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。そのひとりのクレオパという者が、答えて言った、「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか。」

「それは、どんなことか」と言われると、彼らは言った、「ナザレのイエスのことです。あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけたのです。わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。しかもその上に、この事が起ってから、きょうが三日目なのです。ところが、わたしたちの仲間である数人の女が、わたしたちを驚かせました。というのは、彼らが朝早く墓に行きますと、 イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。それで、わたしたちの仲間が数人、墓に行って見ますと、果して女たちが言ったとおりで、イエスは見当りませんでした。」

そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか。」 こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。

それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています。」 イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか。」

そして、すぐに立ってエルサレムに帰って見ると、十一弟子とその仲間が集まっていて、「主は、ほんとうによみがえって、シモンに現れなさった」と言っていた。そこでふたりの者は、途中であったことや、パンをおさきになる様子でイエスだとわかったことなどを話した。こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。〔そして「やすかれ」と言われた。〕 (ルカ 24:13–36).

彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。そこでイエスが言われた、「なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ。」(ルカ 24:37–39).

それから彼らに対して言われた、「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する。」 そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらの事の証人である。 (ルカ 24:44–48).

Hes Alive (主は生きている)

門も扉もかんぬきがかけられ 

窓はすべて固く閉じられている 

私は眠れぬ夜を過ごし 

小さな物音にも目を覚ました 

絶望に満ちた悲しみと 

恐ろしさが入り混じる 

これから兵士たちが押し入って 

私たち皆を引きずり出すのだろうかと

もうじき日の出というときに 

壁のあたりで何かが聞こえた 

門がガタガタと鳴り 

呼び声がした 

急いで窓まで行き

道路を見下ろした 

剣やたいまつや兵士たちの足音を 

覚悟して

しかし、そこにいたのはマリアだけ 

それで私は彼女を中に入れた 

ヨハネは私の脇に立っている 

マリアはどこに行っていたかを話し始めた 

そして、夜の間に兵士たちが主を動かしたと 

私たちの知らないどこかへ 

石は動かされていた

そして主のお体は、
もはやそこにはないと

私たちは園に向かって走り出した 

ヨハネが私の先を行く 

私たちが見つけたのは石と空っぽの墓 

マリアが言った通りだ 

イエスをくるんだ布は 

ただの抜け殻となっていた 

彼らが主をどこに、どうやって連れて行ったか 

私にはわからない

そこで何か不思議なことが起こったのだ 

私にはわからない何かが 

ヨハネは奇跡だと信じた 

しかし、私は向きを変えてそこを去った 

状況や推測で私は興奮などしない 

主が十字架にかけられ 

亡くなるのを見たのだから

家に戻ると 

罪の意識と苦悩に襲われた 

あれほど主に約束したすべてが

私をさらに恥じ入らせる

ついに選択の時が来ると 

私は主の御名を否定したのだから 

たとえ主が生きておられたとしても 

元のとおりとはいかないだろう

しかし突然部屋の空気が 

不思議で甘美な芳香で満たされた 

あらゆる方角から差す光が 

部屋から影を追い出した 

そして、イエスが私の前に立ち 

両腕を大きく広げられた 

私はひざまずき 

主にしがみついて泣き崩れた

すると主は私を立ち上がらせてくださった

私が主の目を見つめていると 

主から愛が輝きだした 

空に輝く陽光のように 

罪の意識と混乱は 

優しく解き放たれ、消え去った 

私が抱いていたすべての恐れは 

溶け去って平安に変わった

主は生きておられる、主は生きておられる 

主は生きておられ、私は許された 

天の門が大きく開いている 

主は生きておられる、主は生きておられる 

主は生きておられ、私は許された 

天の門が大きく開いている 

主は生きておられる、主は生きておられる 

主は生きておられ、私は許された 

天の門が大きく開いている 

主は生きておられる、主は生きておられる 

主は生きておられる

作詞・作曲:ドン・フランシスコ


第2部:宣言

使徒ペテロ:

あなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。 (使徒 10:37–43[新共同訳]).

イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っているとおり、ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされた者であることを、あなたがたに示されたかたであった。このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである。…このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。 (使徒 2:22–24, 32–33).

使徒パウロ:

わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。(1 コリント 15:3–8).

Christ Is Risen (キリストはよみがえった)

誰一人として、罪に囚われ 

内なる恥という偽りに囚われたままにならぬように 

私たちは十字架に目を止め 

私たちのために大いなる愛を示し 

惜しみなく血を流してくださった方の元へ 

主の元へと走る

キリストは死からよみがえり 

死を次々と踏みつけた 

目を覚ませ、目を覚ませ 

来て墓からよみがえれ

キリストは死からよみがえり 

私たちはふたたび主と一つになった 

目を覚ませ、目を覚ませ 

来て墓からよみがえれ

すべての罪の重荷を負いつつ 

あなたは天の御心以外には何ものにも屈しない 

地獄のたくらみも、嘲る者の冠も 

いかに大きな荷でもあなたを抑えつけることはできない 

あなたが力をもって統べ治めることを 

あなたの教会が永遠に宣言するように

キリストは死からよみがえり 

死を次々と踏みつけた 

目を覚ませ、目を覚ませ 

来て墓からよみがえれ

キリストは死からよみがえり 

私たちはふたたび主と一つになった 

目を覚ませ、目を覚ませ 

来て墓からよみがえれ

死よ、お前のトゲはどこにあるのか 

地獄よ、お前の勝利はどこにあるのか 

教会よ、光の中に立て 

神の栄光が夜を打ち負かした

死よ、お前のトゲはどこにあるのか 

地獄よ、お前の勝利はどこにあるのか 

教会よ、光の中に立て 

われらの神は死んでいない、
主は生きている、主は生きている

キリストは死からよみがえり 

死を次々と踏みつけた 

目を覚ませ、目を覚ませ 

来て墓からよみがえれ
キリストは死からよみがえり 

私たちはふたたび主と一つになった 

目を覚ませ、目を覚ませ 

来て墓からよみがえれ
墓からよみがえれ

作詞・作曲:マット・マーハー 


第3部:その影響

すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。(ローマ 10:9).

ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである。 (1 ペテロ 1:3–5).

しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。(エペソ 2:4–7).

もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。(ローマ 8:11).

彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。 (2 コリント 5:15).

キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。 (ローマ 8:34).

Christ Is Risen Today(主キリストは今日よみがえった)[聖歌171番、よびとようたえ]

主キリストは今日よみがえった、アレルヤ 

すべて造られたものは声を合わせて言う、アレルヤ 

喜びいさんで勝利を掲げよ、アレルヤ 

歌え、天よ、地よ、繰り返せ、アレルヤ

栄光の王が生き返った、アレルヤ 

死よ、お前のトゲはどこにあるのか、アレルヤ 

一度死なれた主が、すべての人を救ってくださる、アレルヤ
墓よ、お前の勝利はどこにあるのか、アレルヤ

愛のあがないのわざが成された、アレルヤ 

戦いを戦い、勝利を得た、アレルヤ 

死はむなしくも主のよみがえりを止めようとする、アレルヤ 

キリストはパラダイスを開かれた、アレルヤ

私たちはキリストが導かれた高みに舞い上がる、アレルヤ 

高く上げられた主に従え、アレルヤ 

主のようになり、主のようによみがえれ、アレルヤ 

十字架も墓も空も私たちのもの、アレルヤ

作詞:チャールズ・ウェスレー

作曲:ライラ・ダヴィディカ


第4部:指導

あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。キリストは、天地が造られる前から、あらかじめ知られていたのであるが、この終りの時に至って、あなたがたのために現れたのである。あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである。 (1 ペテロ 1:18–21).

もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。 (1 コリント 15:14–17, 20–22).

わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。 (ローマ 7:4).

それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエスと共によみがえらせ、そして、あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからである。(2 コリント 4:14).

このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。 (コロサイ 3:1–4).

次の言葉は確実である。「もしわたしたちが、彼と共に死んだなら、また彼と共に生きるであろう。もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者となるであろう。」 (2 テモテ 2:11–12). 

Jesus Saves (イエスは救ってくださる)

(この動画には『Jesus Saves』と『He Is Risen』の2曲が入っています。)

天国の鼓動を聞きなさい 

イエスは救ってくださる、イエスは救ってくださる 

憐れみの静かな呼吸を聞きなさい 

イエスは救ってくださる、イエスは救ってくださる 

天の軍勢の歌声を聞きなさい 

「生まれたばかりの王に栄光を」 

そして、幾たびも鳴り響く喜びの声を 

イエスは救ってくださる

見なさい、もっとも謙虚な心を持つ者が主を敬う 

イエスは救ってくださる、イエスは救ってくださる 

見なさい、もっとも賢い者がイエスのみ前に頭を下げる 

イエスは救ってくださる、イエスは救ってくださる 

見なさい、空が賛美で生き生きとし 

その輝きで闇を溶かしている 

永遠に続く光がそこにある 

イエスは救ってくださる

私たちと悲しみを共にされる主は生き続ける 

イエスは救ってくださる、イエスは救ってくださる 

主は私たちの荷を負って死なれるのだ 

イエスは救ってくださる、イエスは救ってくださる 

十字架は叫ぶ、「それは成された」と 

キリストがあがないの代価を払ってくださった 

空っぽの墓がそう宣言している 

イエスは救ってくださる

自由が声を上げ 

鎖は落ちる 

明るく真実な
望みが見え始める
一日が始まろうとし 

夜が震える 

神はすべてのものを新しくされる 

イエスは救ってくださる

キリストに対して、どれだけの借りがあることか 

イエスは救ってくださる、イエスは救ってくださる 

聖徒たちは共に叫ぶ 

イエスは救ってくださる、イエスは救ってくださる 

素早く、強くよみがえり 

救いの歌を高く掲げる 

あがなわれた者たちは永遠に歌うだろう 

イエスは救ってくださる

作詞:プリシラ・J・オーウェンズ
作曲:ウィリアム・J・カークパトリック

He Is Risen (主はよみがえった)

鐘の音を聞きなさい 

あなたも生まれ変われると歌っている 

鐘の音を聞きなさい 

キリストが死からよみがえったと歌っている

墓石の上にいた天使は 

主がおっしゃっていたとおりによみがえったと言った

さあ急いで弟子たちに告げなさい 

イエス・キリストはもはや死んではいないと

世界よ、喜べ、主はよみがえった、ハレルヤ 

主はよみがえった、ハレルヤ 

主はよみがえった、ハレルヤ

鐘の音を聞きなさい、 

あなたは今すぐにいやされると歌っている 

鐘の音を聞きなさい、 

キリストは今それを明らかにすると歌っている

天使たちが皆私たちを取り囲み、 

イエスの力を与えてくれる 

さあ急いで手を伸ばし、受け取りなさい 

これがあなたの栄光の時かもしれないのだから

世界よ、喜べ、主はよみがえった、ハレルヤ 

主はよみがえった、ハレルヤ 

主はよみがえった、ハレルヤ

墓石の上にいた天使は 

主がおっしゃっていたとおりによみがえったと言った

さあ急いで弟子たちに告げなさい 

イエス・キリストはもはや死んではいないと

世界よ、喜べ、主はよみがえった、ハレルヤ 

主はよみがえった、ハレルヤ 

主はよみがえった、ハレルヤ 

ハレルヤ

作詞・作曲:キース・グリーン


第5部:その後

どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。(エペソ 1:17–23).

また、ひとりの強い御使が、大声で、「その巻物を開き、封印をとくのにふさわしい者は、だれか」と呼ばわっているのを見た。しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることのできる者は、ひとりもいなかった。巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当らないので、わたしは激しく泣いていた。すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる。」 わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。…小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を受けとった。巻物を受けとった時、四つの生き物と二十四人の長老とは…小羊の前にひれ伏した。

彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう。」(黙示録 5:2–10).

さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい。」 またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように。」 (黙示録 5:11–13).

Agnus Dei (Worthy Is the Lamb) (アニュス・デイ、神の小羊)

アレルヤ 

アレルヤ 

全能の神なる主は統べ治める

アレルヤ 

アレルヤ 

全能の神なる主は統べ治める

アレルヤ 

聖なる方

全能の神なる主よ、あなたは聖なる方 

ふさわしき小羊

ふさわしき小羊

聖なる方

全能の神なる主よ、あなたは聖なる方

ふさわしき小羊

ふさわしき小羊

アーメン

作詞・作曲:マイケル・W・スミス


注:

聖書の言葉は、特に明記されていない場合、日本聖書協会の口語訳聖書から引用されています。


1 エペソ 2:19.

2 ヨハネ 11:21–26.

3 福音書では、イエスの死と復活についての記録が、マタイ 26:1–28:20; マルコ 14:1–16:20; ルカ 22:1–24:53; ヨハネ 18:1–21:25に記載されています。