'ピーター・アムステルダム' というタグの付いた記事

  • 第1コリント:第1章(26-31節)

    パウロは、第1コリント第1章の最後の6節で、神には神ご自身の物事のなし方があることを指摘しています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 第1コリント:第1章(17-25節)

    パウロは、このように書いています。「キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである。」

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 第1コリント:第1章(4-16節)

    パウロは、コリントの信徒たちの間に分争がないように、彼らが一致するよう勧告しています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 第1コリント:前書き

    ペロポネソス地方とギリシャ本土を結ぶ地峡に位置するコリントは、パウロの時代、その立地の良さと港のおかげで繁栄していました。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ガラテヤ書:第6章(6-18節)

    これは本シリーズの最後の記事であり、パウロがガラテヤの信徒たちに宛てた手紙の最後の章を取り上げていきます。

    御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ガラテヤ書:第6章(5:25–6:5)

    今回説明する最初の2つの節は、ガラテヤ書第5章の一部ですが、ほとんどの解説者は、これを第6章の最初の2節と捉えています。そこで、ここでもガラテヤ書第6章に含めて説明していきます。…

    著者:ピーター・アムステルダム


  • ガラテヤ書:第5章(13-24節)

    前回の記事では、第5章の前半、第12節までを扱いました。今回は第13節から引き続き説明します。

     兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:赦しについての言葉

    赦しはキリスト教の中心にあるものです。イエスは、私たちの罪が赦されるよう、十字架にかけられて死んでくださいました。聖書は、私たち信者は自分たちを傷つけた人を赦すことによって、イエスの犠牲を自分の身に映し出すべきであると教えています。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:忠実と聖さについての言葉

    キリスト教信仰を日々生きる上で重要な2つの側面は、忠実さと聖(きよ)さです。忠実であるとは、自らの決意や原則、信念を曲げずに固く守ることを意味します。忠実とは、おのれの信念を貫き、その信念をしっかりと行動に移すことです。聖さとは、品性の純粋さや高潔さのことです。そして、クリスチャンにとっての聖さとは、聖書にある神の言葉に沿って考え、信じ、行動することです。…

    著者:ピーター・アムステルダム


  • ガラテヤ書:第5章(2–12節)

    使徒パウロは、ガラテヤの信徒たちに対し、彼らはキリストを信じる信仰によってモーセの律法を守ることから解放されていると教えました。しかし、彼らは割礼を受ける必要があると信じて、古い契約に立ち戻っていたのです。第5章では、パウロが引き続き、割礼やモーセの律法を守る必要がない理由を説明しています。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ガラテヤ書:第4章(4:21–5:1)

    使徒パウロは、引き続き、旧約聖書の律法から解放されて自由に生きるよう、読者に勧めています。彼は、ガラテヤの信徒たちに、律法に逆戻りすることの愚かさを理解させようとし、(律法よりも)神の約束に信頼する者は、聖霊の働きに信頼を置いているので、大きな希望があることを思い起こさせています。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ガラテヤ書:第4章(1–20節)

    パウロは、ガラテヤ書第3章の終わりに、こう語っています。「もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。」 そして、第4章では、アブラハムの相続人であることの意義を説明していきます。…

    著者:ピーター・アムステルダム


  • ガラテヤ書:第3章(15–29節)

    ガラテヤ書第3章の前半で、使徒パウロは、ガラテヤの信徒たちが神の民の一員となり、アブラハムの家の一員となるために割礼を受ける必要はないことを指摘しました。アブラハムの祝福を受けるために必要なのは、アブラハムの信仰を持つことです。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ガラテヤ書:第3章(1–14節)

    パウロは、ガラテヤ第2章で、自分はキリストと共に十字架につけられ、今はキリストが自分の内に生きておられると書いた上で、さらに、自分は神の御子を信じる信仰によって生きているのだと述べました。それから、第3章へと移ります。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ガラテヤ書:第2章(11–21節)

    (第2章の最初の10節については、先回の記事で扱っています。)

    ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった[非難した]。

    アンテオケ(アンティオキア)はローマ帝国でも有数の大都市で、人口は25万人、そのうち2万5千人がユダヤ人であったと推定されています。…

    著者:ピーター・アムステルダム


  • ガラテヤ書:第2章(1–10節)

    ガラテヤ書第1章で、パウロは自分が回心したことや、アラビヤに行き、その後ダマスコに戻ったことについて、個人的な証を述べています。その3年後、パウロはエルサレムへ行き、15日の間滞在して、ペテロやヤコブと会い、その後、シリヤとキリキヤとの地方に行きました。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:親切と善意についての言葉

    『もっとイエスのように』シリーズで扱ったトピックに関する引用句集で、今回取り上げたいのは、「親切(優しさ)」と「善意(恵み深さ)」です。神の属性としての優しさと恵み深さは、旧約聖書と新約聖書のいたるところに記されています。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ガラテヤ書:第1章(11–24節)

    パウロは、ガラテヤの信徒への手紙第1章第10節で、自分は人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのかという問いを投げかけ、もし人の歓心を買おうと努めているのなら、自分はキリストの僕ではないと述べました。…

    著者:ピーター・アムステルダム


  • もっとイエスのように:優しさと喜びについての言葉

    『もっとイエスのように』引用句シリーズのパート7である本記事では、優しさと喜びという2つのトピックについての引用句を紹介します。そのどちらも、キリストに似た性質になることや、他の人に主を反映させることの大切な側面です。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ガラテヤ書:前書き

    ガラテヤ書は、使徒パウロがアナトリア(現在のトルコ)のガラテヤという地域にある諸教会に宛てて書いた手紙(書簡)です。パウロの時代、ガラテヤ州は、北は黒海、南は地中海にまで及んでいました。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:キリストに似た者となることについての言葉

    クリスチャンとして、私たちの主要な目標の一つは、イエスに倣うこと、つまりイエスの足跡をたどることであり、イエスの行動、態度、そして父への信仰と信頼を見習うことです。…

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 第2テサロニケ:第3章(パート2)

    パウロは、第2テサロニケ第3章の前半に、自分と同労者たちはテサロニケの教会から経済的援助を受け取る権利はあるけれど、そこの信者たちが見習うべき模範となるために、援助を受け入れなかったことを記しています。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 第2テサロニケ:第3章(パート1)

    第2テサロニケ第3章は、パウロがテサロニケの信徒たちに書いた手紙の最後の章になります。「最後に、兄弟たちよ。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、また、あがめられるように。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 第2テサロニケ:第2章(パート2)

    前回扱った第2章1–8節では、パウロがこのように述べていました。「不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。」 パウロは続けて、この「不法の者」について説明しています。…

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 第2テサロニケ:第2章(パート1)

    パウロは、テサロニケの教会に宛てた2通目の手紙である「第2テサロニケ書」の序章となる第1章を終えて、第2章では手紙の本文に移ります。

    「さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちがみもとに集められることとについて、あなたがたにお願いすることがある。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 第2テサロニケ:第1章

    テサロニケの信徒への第2の手紙は、第1の手紙が書かれた後すぐ、紀元51–52年頃に書かれたと考えられます。第1の手紙と同じく、著者はパウロとシルワノ(シラス)とテモテで、受取人はテサロニケの教会です。テサロニケ人に関する情報は、『第1テサロニケ:前書き』を参照してください。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 第1テサロニケ:第5章(パート2)

    パウロは、テサロニケの信徒たちから受け取った、信者同士の愛や、キリストにある死者に起こること、また主の日の時期についての質問に答えた後、テサロニケ教会の指導者に話を移しました。「兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。…

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 第1テサロニケ:第5章(パート1)

    パウロは、第1テサロニケ4章の終わりに、キリストにあって死んだ人々がまず復活し、それから生きている人々が彼らと共に引き上げられて、空中で主に会い、それからいつまでも主と共にいることになると語っています。そして、テサロニケの信徒たちに、「あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい」と指示しました。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 第1テサロニケ:第4章(パート2)

    パウロは、3–8節で不品行について取り上げた後、テサロニケ教会で起こっていた別の問題に話を移します。「兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられており、また、事実マケドニヤ全土にいるすべての兄弟に対して、それを実行しているのだから。」…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 第1テサロニケ:第4章(パート1)

    パウロがテサロニケの信徒に書いた第1の手紙の第4章は、「最後に」という言葉で始まり、それは、これから別の主題に移ることを示しています。

    最後に、兄弟たちよ。わたしたちは主イエスにあってあなたがたに願いかつ勧める。あなたがたが、どのように歩いて神を喜ばすべきかをわたしたちから学んだように、また、いま歩いているとおりに、ますます歩き続けなさい。…

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 第1テサロニケ:第3章

    迫害のためにテサロニケから逃れた使徒パウロは、テサロニケ教会に手紙を書いて、何度も彼らの所に戻ろうとしたけれど、「それだのに、わたしたちはサタンに妨げられた」と告げています。その時、パウロやその同労者シラスとテモテは、アテネにいました。・・・

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 第1テサロニケ:第2章(パート2)

    パウロは、第1テサロニケ第2章の最初の部分で、テサロニケのクリスチャンたちに、自分たちは栄誉を求めることも、クリスチャンになったばかりの彼らに金銭を求めることもしなかったことを思い起こさせました。むしろ、パウロたちは、彼らの経済的負担にならないよう、日夜働いていたのです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 第1テサロニケ:第2章(パート1)

    使徒パウロ、シルワノ(別名シラス)、テモテは、迫害のためテサロニケを発ち、マケドニアの南にあるローマの属州、アカヤ(アカイア)に向かいました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 第1テサロニケ:第1章

    パウロと同労者たちがテサロニケの人々に書いた手紙の1通目は、5つの部分に分かれています。最初の部分は前文(1テサロニケ1:1–10)で、一番短く、10の節から成っています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 第1テサロニケ:前書き

    新約聖書にあるテサロニケ人への手紙第1と第2は、使徒パウロによって紀元49-51年頃に書かれたものであり、パウロの初期の書簡と考えられています。使徒行伝にも、パウロがテサロニケで体験した出来事が書かれているので、本シリーズではそれらの出来事も扱っていきます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ルツ物語(パート4)

    前回の記事では、ボアズがルツを「あがなう」者として彼女と結婚することに同意しています。息子が生まれたら、その子が、彼女の最初の夫であるマロンの子とみなされるようにです。しかし、ルツをあがなえる人(買い戻しの権利のある親類)がもう1人いて、...

    著者:ピーター・アムステルダム


  • ルツ物語(パート3)

    前回の記事の終わりで、ボアズはルツに、刈入れが全部終わるまで、彼の畑で落ち穂を拾っていいと言いました。そこでルツは、大麦と小麦の刈入れの間ずっと(2~3ヶ月)、他の女性たちと一緒にボアズの畑で作業を続けました。...

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ルツ物語(パート2)

    モアブで夫と2人の息子を亡くしたユダヤ人女性ナオミは、故郷であるベツレヘムに戻ることを決意しました。亡くなった息子たちのモアブ人妻オルパとルツは、ナオミが旅立った際、一緒についていきましたが、ベツレヘムに向かい始めてから、ナオミは嫁たちに、モアブに帰って、新しい夫を見つけた方がいいと言いました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ルツ物語(パート1)

    ルツ記は、旧約聖書の歴史書の1つで、士師記とサムエル記上の間に置かれています。聖書で女性の名がつけられた2つの書の1つであり、もう1つはエステル記です。ルツ記は、あるモアブ人女性が、イスラエルの偉大な王であるダビデ王の曽祖母になるまでの物語を、4章にわたって記しています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:昇天(ルカ24:50–53)

    今回は、ルカの福音書の最終章の最後の数節を見ていきましょう。同じ章の少し前のところで、イエスが弟子たちに現れると、彼らは恐れおののき、霊を見ているのだと思いました。そこで、イエスは手足の傷を見せて、それが自分だと分かるようにし、また、食べ物を食べて、霊ではないことを示されました。そして、「聖書を悟らせるために彼らの心を開い」 たと書かれています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:希望についての言葉

    希望は、使徒パウロが第1コリント13章13節で挙げた3つの徳の1つです。「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」 希望(英語のhope)は、一般的な用法として「願い」「願望」を意味しますが、キリスト教で言う希望は、望んでいる良きものが得られるという期待を意味しています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネによる福音書の結び(パート2)

    前回は、ヨハネによる福音書から、弟子の何人かがガリラヤ湖としても知られるテベリヤの海へ漁に出た話を読みました。彼らは夜通し漁をしましたが、何もとれません。岸にいたイエスから、舟の反対側に網をおろしてみるよう言われたので、彼らがそうすると、153匹もの魚が網にかかりました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • もっとイエスのように:クリスチャンとしての人格についての言葉

    『もっとイエスのように』シリーズでは、これまで毎回2つの主題について引用句をまとめてきましたが、今回の第4弾では1つの主題だけを取り上げます。それは、クリスチャンとしての人格です。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネによる福音書の結び(パート1)

    ヨハネの福音書の最後の章は、復活のキリストがガリラヤに現れる場面で始まります。

    そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた。そのあらわされた次第は、こうである。[1]

    テベリヤの海は、一般にガリラヤ湖と呼ばれる湖で、イスラエル北部にあります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:自制と正直さについての言葉

    私は少し前から、『もっとイエスのように』シリーズを読み直しています。他の人たちからの引用句を調べることは役に立つことが分かったので、それをまとめたものを、これまでに2つ出版しました。『感謝の心と謙虚さについての言葉』と『忍耐と思いやりについての言葉』です。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの最後の出現(パート2)

    マルコによる福音書の最後の章(マルコ16章)には、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、イエスの体に塗るための香料を持って墓へ行ったと書かれています。[1] 墓に入ってみると、右手に真白な長い衣を着た若者(天使)が座っているのを見て、非常に驚きました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:忍耐と思いやりについての言葉

    私は最近、『もっとイエスのように』シリーズを読み直しています。他の人からの引用句を調べることは役に立つことが分かったので、それをまとめたものの第一弾として、『もっとイエスのように:感謝の心と謙虚さについての言葉』を出版しました。このシリーズを読み直しながら、それぞれの主題について、引用句をまとめてきました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの最後の出現(パート1)

    共観福音書[1] はすべて、イエスと弟子たちとの最後の交流と、それに続くイエスの昇天の話で締めくくられています。本記事とこれに続くいくつかの記事で、それを福音書ごとに見ていきたいと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • もっとイエスのように:感謝の心と謙虚さについての言葉

    最近、『もっとイエスのように』シリーズを読み直していました。私の言葉や思考、決断、人とのやり取りが、イエスの教えに沿ったものであるかどうかを評価するための「霊的健康診断」をするのにいい方法だと思ったからです。その過程で、私はこのシリーズのトピックのいくつかについて、いろいろな引用句を調べてみました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:復活(パート4)

    先回の記事では、それがイエスだとは気づかずに、一緒にエマオに向けて歩いていた2人の弟子(クレオパと、名前が明かされていないもう1人)について見てきました。彼らはイエスが十字架につけられたことで落胆を示し、こう言いました。「わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人[イエス]であろうと、望みをかけていました。」

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:復活(パート3)

    復活されたイエスに会った後、女性たちはイエスから言われたとおり、そこから出ていって、イエスが生きておられることを弟子たちに話しました。[1] ルカの福音書には、弟子たちは「それが愚かな話のように思われて」、 女性たちの言うことを信じなかったとあります。[2]

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:復活(パート2)

    四福音書すべて(そして使徒行伝)に、イエスが復活の後に弟子たち(男女共)に姿を現された時のことが記されています。マタイによれば、何人かの女性の弟子たちが、イエスの遺体に香料を塗ろうとして墓に行ってみると、墓が空になっていました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • これからのより良い日々(パート8)

    毎日を有意義なものとする
    私たちの誰もが、有意義な人生、まわりに良い影響を及ぼせるような人生を送りたいと願っています。あなたも私のように、神が与えてくださった時間を最大限に活用する方法を学ぼうとして、目標の設定、良い習慣の築き方、チームワーク、目的に導かれた生き方などについて書かれた記事や本を読んだことがあるかもしれません。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:復活(パート1)

    十字架刑の後、イエスの体は十字架から降ろされ、アリマタヤのヨセフの墓に納められました。そして、大きい石が転がされて、墓の入口はふさがれました。ユダヤ教の律法によれば、遺体の埋葬に関わる作業を安息日に行うことはできず、安息日の間、遺体を埋葬しないままで置いておくこともできませんでした。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの死(パート5)

    マタイとマルコの福音書には、3時頃にイエスが大声で叫ばれたと書かれています。「イエスは大声で叫んで、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言われた。それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」 して、ある人が「海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした」 ことも記されています。その後、イエスはもう一度だけ叫んでから死なれました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの死(パート4)

    四福音書それぞれに、イエスの十字架刑に立ち会った女性たちのことが書かれています。マタイの福音書には、こうあります:

    また、そこには遠くの方から見ている女たちも多くいた。彼らはイエスに仕えて、ガリラヤから従ってきた人たちであった。その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、またゼベダイの子たちの母がいた。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • これからのより良い日々(パート7)

    喜びの再発見

    クリスチャンとして、自分の心と人生にイエスを迎え入れて聖霊に満たされる時、私たちの人生は変わります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの死(パート3)

    イエスの十字架上の死については、四福音書すべてに同様のことが書かれていますが、それぞれに他の福音書にはない詳細も含まれています。本記事では、マタイの福音書の記述を用いつつ、他の福音書からも部分的に引用していきます。

    マルコの福音書には、彼らがイエスを十字架につけたのは第3時であったと書かれており、....

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの死(パート2)

    イエスがピラトから審問され、ヘロデやその兵卒たちから嘲弄されて侮辱的な扱いを受け、さらにむちを打たれた後、死刑が執行される時となりました。四福音書すべてにイエスの死に関する記述があり、それぞれの福音書作家は、他の著者が書いていない詳細を含めています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの死(パート1)

    四福音書すべてに、イエスの十字架での死が記されています。同じ出来事を扱っているわけですが、4人の著者は自分なりの方法でこの話を記録しています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:ヘロデの前のイエス

    四福音書それぞれに、イエスがポンテオ・ピラトの前で受けた裁判について書かれています。しかし、イエスがピラトによってヘロデ王のもとに送られたことを記している福音書は一つだけです。それはルカの福音書です。ローマ総督ポンテオ・ピラトは、イエスが無罪であると言いました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ピラトによる裁判

    イエスは逮捕された後、大祭司カヤパ(カイアファ)の家に連れて行かれ、そこにいた「祭司長たちと全議会」 の前で裁判を受けました。大祭司が「あなたは神の子キリストなのかどうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ」 と言うと、イエスは「あなたの言うとおりである」と返事されました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ゲツセマネ(パート3):イエスの裁判とペテロの否認

    4つの福音書[1] すべてに、ユダヤ教指導者によって行われたイエスの裁判についての記述があります。描かれている出来事は同じですが、それぞれ他の福音書にはない側面が含まれています。本記事では、マタイによる福音書の記述を中心に進め、他の福音書から補足の説明を加えていきます。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • これからのより良い日々(パート6)

    戦いを立派に戦う

    イエスに従うとは、受身的で気楽なことではなく、余暇に自己満足で行うようなことでもありません。それはチャレンジであり、ライフスタイルであり、召命です。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ゲツセマネ(パート2):逮捕

    四福音書には、それぞれ、イエスが逮捕された時の様子が記されています。本記事では、マタイの福音書を中心に扱うと共に、他の福音書からも部分的に引用していきます。

    ゲツセマネの園で、イエスは、「この杯」つまり十字架刑と死を過ぎ去らせてくださいと、父にお願いされました。しかし、それに付け加えて、自分の思いのままにではなく、父の御心を行いたいとも言われたのです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • これからのより良い日々(パート5)

    失望への対処法
    祈ったり、神の言葉について瞑想したりする際に私がよくするのは、祝福を数え、神が私の人生において示してこられた神のいつくしみを思い出すことです。そうすると、私は感謝の気持ちでいっぱいになります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:ゲツセマネ(パート1):イエスの祈り

    弟子たちとの最後の食事を終えてから、イエスは彼らをオリーブ山へ連れて行かれました。弟子たちに「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう」 と言われたのは、この場所でのことです。すると、ペテロも他の弟子たちも、自分たちは「決してつまずきません」 と言いました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • これからのより良い日々(パート4)

    精神的・情緒的健康を育む

    私たちの人生に何が起ころうと、私たちの思いを確かなものとし、歩みを導いてくださるイエスを信頼して仰ぎ見ることができると知れるのは、素晴らしいことです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • これからのより良い日々(パート3)

    神は豊かに必要を満たしてくださる

    弟子たちが祈り方を教えてくださいとお願いした時、イエスは幾つかのことを取り上げた中で、日ごとの糧のためにも祈るよう教えられました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • これからのより良い日々(パート2)

    孤独の時に慰めを見出す

    人生において困難な時期にある時、孤独に感じ、自分一人で闘っているように思えることがよくあります。そして、孤独で独りぼっちに感じていると、絶望感が生み出されることがあるものです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • これからのより良い日々(パート1)

    すべてのことは共に働いて益となる

    [私たちのことを深く気にかけておられる]神は、すべてのことが[一つの計画として]共に働いて、神を愛する者たち、すなわち、神の計画と目的に従って召された者たちにとって、益をもたらすようにしてくださることを、私たちは[大きな確信を持って]知っている。—ローマ8:28 英語詳訳聖書より

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ17章:イエスの祈り(パート2)

    先回の記事で見てきた、弟子たちのためのイエスの祈りはヨハネ17章の終わりまで続きます。12節で、イエスはそれまで弟子たちを守り、保護してきたことや、彼らのうち誰も滅びず、ユダ(イエスから「滅びの子」と呼ばれている)だけが滅びたと言われました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ17章:イエスの祈り(パート1)

    イエスは弟子たちに、ご自分が「わたしをつかわされたかた」のところに行こうとしている(ヨハネ16:5)ことと、助け主である聖霊が彼らをあらゆる真理に導いてくれる(ヨハネ16:13)ことを告げた後、父に祈り始めました。まず祈られたのは、ご自身の栄光が現されることについてです。次に祈られたのは弟子たちのためで、それがこの章の主な焦点となっています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ16:23–33

    イエスは弟子たちに、ご自分がこの世を去ることで世は喜ぶけれど、弟子たちは泣き悲しむことになると告げた後、[1] 彼らが味わう悲しみは一時的なものであって、イエスは再び彼らと会うのであり、その時に彼らの心は喜びに満たされ、その喜びを奪えるものは誰もいない、と付け加えられました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ16:13–22

    イエスはこの福音書の前の方で、弟子たちにつかわそうとしている助け主、聖霊について、このように言われました。「助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。」 [1] ヨハネ16章では、御霊の働きについて、さらに詳しく語られています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ16:1–12

    ヨハネ16章では、15章からイエスが弟子たちに語り始められた話が続きます。15章では、世がイエスや弟子たちを憎むことについてや、将来弟子たちが直面することになる迫害について話されていました。

    「わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくことのないためである。...

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ15章:もしこの世があなたがたを憎むならば

    イエスはヨハネ15章の少し前のところで、弟子たちは友であると、彼らに言われました。また、父から聞いたことを皆、彼らに伝えたことや、イエスが彼らを選んで立てたこと、それは彼らがいつまでも残る実を結ぶためであることを、彼らに知らされました。イエスはまた、「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さる」 [1] と言われました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ15章:わたしの愛のうちにいなさい

    ヨハネ14章の最後の方で、イエスは弟子たちに、「父のもとに行く」 と知らされました。「父がわたしより大きいかたであるからである。今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。」 [1] そして、15章は、「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」 [2] という言葉で始まります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ14章:わたしは父のもとに行く

    イスカリオテのユダが夕食の場を去ってから、イエスは弟子たちに話をしておられましたが、ヨハネ14章のこの最後の部分でも、まだそれは続いています。イエスが話している言葉はご自身のものではなく、イエスをつかわされた父の言葉だと弟子たちに告げてから、次のように話を続けられました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ14章:助け主

    前回の記事に引き続き、ヨハネ14章は、イエスが逮捕され、裁判にかけられる直前に、弟子たちに語っておられる場面が続きます。少し前には、イエスを信じることについて話をされていました。また、とても素晴らしい約束を弟子たちにしておられます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ14章:道、真理、命

    ヨハネ14章は、13章と同じく、イエスが弟子たちと食事をしておられる場面が続きます。裏切り者ユダがその場を去ると、イエスは使徒パウロに彼が3度イエスを否認すると告げ、その後、11人に向けて、イエスはまもなく彼らがついてくることのできない場所に行くと言われました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:弟子の足を洗う(パート3)

    前回の記事は、イエスが「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」 [1] と言われたところで終わりました。また、弟子たちが「だれのことを言われたのか察しかねて」 [2] いたことも書かれています。弟子たちにとって、この知らせは思いがけないものだったのです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:弟子の足を洗う(パート2)

    前回の記事[1] では、イエスが弟子たちの足を洗っておられる時に、使徒ペテロが自分の足を洗っていただくことに反対したという話を扱いました。ペテロへの答えの中で、イエスはこう言われました。「あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない。」 [2] つまり、弟子のうち一人がきれいではないということです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:弟子の足を洗う(パート1)

    ヨハネの福音書では、12章で、イエスの公の宣教が終りを迎えます。それに続く5つの章は、イエスが弟子たちに与えられた最後の教えを中心に書かれています。

    過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。[1]

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 時のしるしと昨今の出来事

    この1年は、世界中の多くの人にとって、間違いなく「苦難の時」となりました。ある意味では、前代未聞の年とも言えます。現代的なテクノロジーによって、地球上のあらゆる場所で起きていることがリアルタイムで見られることや、大量の移民によって、幾つもの国で文化的衝突が生じていることも、その要因です。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:過越

    過越の日が近づいてきたので、弟子たちはイエスに、過越の食事をするためにどんな準備をすればいいか尋ねました。一方、過越祭と除酵祭の数日前から、祭司長、民の長老、律法学者たちは、イエスを殺すため、ひそかに捕らえる方法を探っていました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:受難と死に向かって進む

    前回の記事は、イエスの公の宣教の終わりについてでした。共観福音書[1] でも、ヨハネの福音書でも、ここから焦点はイエスの受難と死に移ります。

    いずれの共観福音書も、ユダヤ人がエジプトでの奴隷状態から救い出されたことを祝うために毎年行われている過越祭が間近であることに触れています。ある人は、次のように説明しています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:公の宣教の終わり

    ヨハネ12章で、イエスはこう言われました。

    「光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい。」 イエスはこれらのことを話してから、そこを立ち去って、彼らから身をお隠しになった。[1]

    ヨハネの福音書では、イエスの公の宣教がここで終りを迎えます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ギリシャ人

    ヨハネの福音書には、共観福音書[1] には記されていない、イエスの受難と死の直前に起きたある出来事が書かれています。それは、何人かのギリシャ人がイエスに会いたいと言ってきた時の話です。この出来事は、彼らの要望を耳にした時にイエスがご自身の宣教の終わりに近づいていることを認識されたという点で、重要な意義があります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:人の子による最後の審判

    本シリーズでは、先の記事『人の子の来臨(パート1と2)』で、マタイ24章にある終りの時やイエスの再臨についての箇所を扱ってきました。マタイ24章後半の45–51節と、25章1–30節には、3つのたとえ話が記されています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:人の子の来臨(パート2)

    前回の記事は、イエスが言われた「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない」 [1] という言葉で終わりました。イエスは続けてこう言っておられます。

    「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」 [2]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:人の子の来臨(パート1)

    ユダヤ教神殿についての一連の記事は前回で終了し、その最後に書かれていたのは、イエスがユダヤの住民に対して、彼らに患難が訪れると話されたことです。それはローマ軍が神殿とエルサレム市を破壊することでした。次のように語られたのです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:神殿に関する予言(パート3)

    マルコ13章同様、マタイ24章もユダヤ教の神殿(宮)が破壊されることに関するイエスの予言から始まります。

    イエスが宮から出て行こうとしておられると、弟子たちは近寄ってきて、宮の建物にイエスの注意を促した。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:神殿に関する予言(パート2)

    前回の記事で扱ったのは、ペテロとヤコブ、ヨハネとアンデレが、イエスの予言された出来事について、それが起こる時にはどんなしるしがあるのかと尋ねた件でした。

    それに対して、イエスはまず、多くの人がイエスを名乗って現れ、人々を惑わすと警告し、さらに、戦争と戦争のうわさとがあり、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震や飢饉が起きると言われました。そして、「これらは産みの苦しみの始まりである」 [1] と付け加えたところまで見てきました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:神殿に関する予言(パート1)

    エルサレムの神殿が破壊されるというイエスの予言は、3つの共観福音書[1] 全てに記録されています。そこには、神殿が破壊されることと共に、終りの時に関する情報も含まれています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの質問とやもめの献金

    マルコの福音書12章は、小作人のたとえ話、納税問題、復活など、いくつもの話題を取り上げており、章の最後には、メシアはダビデの子かという問題とやもめの献金についても書かれています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:悪い小作人(ルカ20:9–19)

    悪い小作人のたとえ話は3つの共観福音書全てに記されています。[1] 本記事ではルカの福音書に記されたものを中心に扱い、マタイとマルコの福音書からもいくつかのポイントを紹介していきます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:7人の兄弟

    共観福音書の全てに、サドカイ派の人たちがイエスに死者の復活に関する質問をした話が記されています。[1] 本記事では、ルカの福音書に焦点を合わせていきます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:権威問題

    共観福音書[1] の全てに、ユダヤ教指導者たちが、イエスのされていることについて、そうする権威を与えたのは誰なのかをイエスに尋ねた話が記されています。[2] これらの福音書には、この宗教指導者たちが、ローマ帝国に税金(貢)を納めることについて尋ねた時のイエスの返答についても書かれています。[3] 本記事では、この2つの出来事について、ルカ書にある記述を見ていきます。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:実を結ばないいちじくの木

    マタイとマルコの両福音書に、イエスが空腹を覚え、いちじくの木から実を摘もうとされた話が記されています。[1] 本記事では、マルコ書の記述を中心に扱います。

    彼らがベタニヤから出かけてきたとき、イエスは空腹をおぼえられた。...

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:エルサレム入城

    本記事では、イエスが最後にエルサレムへ行かれた時に関する福音書の記述を見ていきます。四福音書全てに、イエスのエルサレム入城(入市)の記述があります。[1] 本記事で焦点を当てるのは、ルカの福音書にある記述で、それはイエスがエルサレムに旅される場面から始まります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ようこそ2021年!

    2020年は確かに、私たちの多くがこれまでに味わったことのないような年でした。COVID-19(新型コロナ)のパンデミックにより、私たちの生活はさまざまな点で混乱させられ、思いがけない困難や難題や苦難が引き起こされました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 2020年のクリスマスのご挨拶

    このクリスマス・シーズンに、私たちから愛を送ります! 皆さんや皆さんの愛する人々が、安全で健康で幸せでありますように。

    著者:ピーター・アムステルダムとマリア・フォンテーン

  • イエス、その生涯とメッセージ: ベタニヤで香油を塗られる

    ヨハネ11章には、イエスがラザロを生き返らされたことが書かれています。[1] この奇跡の結果、祭司長たちやパリサイ(ファリサイ)人たちは、イエスは殺されなければいけないということで意見が一致したので、イエスを逮捕するため、居所を知っている者は届け出なければいけないという命令を出しました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ザアカイ

    ルカの福音書には、イエスがザアカイとされた意外なやり取りが記されています。ザアカイはユダヤ人であり、ローマの政府のために税を取り立てる取税人(徴税人)のかしらでした。

    さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。[1]

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:ゼベダイの子たち

    共観福音書[1] の全てに、兄弟で弟子となったヤコブとヨハネの2人がイエスにしたある要望について書かれています。[2] 本記事では、マルコの福音書の記述を中心に扱い、マタイの福音書からも幾つかのポイントを見ていきたいと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ツァラアトに冒された10人の人の癒やし

    ルカの福音書には、イエスがツァラアトと呼ばれる皮膚病[1] に冒された10人の人を癒やされたことや、その後に起きた出来事が記されています。

    さて、イエスはエルサレムに向かう途中、サマリアとガリラヤの境を通られた。ある村に入ると、ツァラアトに冒された十人の人がイエスを出迎えた。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:パリサイ人の策略

    ヨハネの福音書には、ユダヤ教指導者たちが会合して、イエスのことをどうすべきか協議し、行動計画を立てたという舞台裏の出来事が書かれています。この会合の前には、イエスがラザロを生き返らせており、....

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:3つの挿話

    福音書には、イエスの生涯に起きたことやイエスの発言として、前後の文の内容とはつながりのない、独立した挿話がいくつもあります。そのような箇所を、これから時折、本シリーズで扱っていく予定です。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:離婚と再婚

    (離婚と再婚という主題に関しては、『キリスト教を生きる:離婚と再婚』〈英語〉という記事で、キリスト教倫理の観点から書かれています。本記事では、 福音書の注釈として説明します。)

    共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)のすべてが、離婚と再婚という主題に触れています。ルカの福音書にある記述は、以下のとおり、ただ一つの節のみです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:あなたはキリストですか

    ヨハネの福音書に、イエスがユダヤ教の祭に出かけた際、反対者たちから、イエスはメシアなのかどうか問いただされたことが書かれています。それに対する回答によって、イエスは命を失いかけました。

    そのころ、エルサレムで宮きよめの祭が行われた。時は冬であった。イエスは、宮の中にあるソロモンの廊を歩いておられた。[1]

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:2つの珍しい癒やし

    マルコの福音書に、癒やしを必要とするある2人の人をイエスが癒やされた話が書かれています。1人は耳が聞こえず、発話障害のある人で、もう1人は目の見えない人です。どちらの場合も、イエスはかなり珍しい方法を用いて癒やしを行われました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスと律法学者

    イエスの教えに対して好意的な印象を持っていたある律法学者(律法の専門家)とイエスのやり取りが、3つの共観福音書すべてに記されています。[1] 本記事では、マルコの福音書の記述に焦点を合わせていきます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスと子どもたち

    共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)それぞれに、イエスが、祝福を受けるために連れて来られた子どもたちと触れ合う場面が描かれています。本記事では、ルカの福音書の記述を中心に、他の福音書からもいくつかの点を付け加えていきます。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:家庭内のもめごと、真の幸い、ヘロデの脅し

    福音書には、短い挿話として収められた、イエスや他の人たちの言動が数多く見られ、そのような出来事や発言の中には、わずか2~3文のものもあります。本記事と、これに続くいくつかの記事で、そのような話や発言について触れていこうと思います。これらの話はお互いに繋がりがないので、別々のセクションに分けて説明していきます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:兄弟の罪

    マタイの福音書で、イエスは弟子たちに、弟子や信者が別の弟子や信者に対して罪を犯した時にどうすべきかを教えています。信者のどのコミュニティにおいても、互いを不当に扱う事態は生じるものであり、それは避けられないことです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:12人への委託

    共観福音書[1] すべてに、イエスが弟子たちを宣教の旅に派遣された話が記されています。[2] イエスは弟子たちに、何を宣べ伝え、何を持っていくべきでなく、どんな場所に泊まるべきかについて、指示を与えられました。本記事では、マタイ10章5–15節の記述に焦点を当てつつ、ルカとマルコの福音書からも引用していきます。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:支援者また弟子である婦人たち

    ルカの福音書7章には、「罪の女(罪深い女)」が涙でイエスの足をぬらして自分の髪の毛でぬぐい、その足に接吻して、高価な香油を塗ったことが書かれています。[1] そのすぐ後のこととして、次の章でも女性についての言及があり、この場合はイエスの弟子であった婦人たちのことです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 信条(パート10)

    父なる神、御子イエス、そして聖霊に続き、ニカイア・コンスタンティノポリス信条が最後に扱うのは、極めて重要なキリスト教信仰の4つのポイントです。

    私たちは、唯一の、聖なる、公同の、使徒的な教会を信じます。私たちは、罪のゆるしのための唯一の洗礼を認めます。私たちは、死者の復活と来たるべき世の命を待ち望みます。アーメン。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 信条(パート9)

    前回は、イエスが再び来て(再臨)、生者と死者とを裁き、その国は終わることがないという未来の出来事について見てきましたが、今回、ニカイア・コンスタンティノポリス信条が扱うのは聖霊(御霊:みたま)です。

    次のように述べています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 信条(パート8)

    ニカイア・コンスタンティノポリス信条は、イエスが復活して天に昇り、その天で父の右に座しておられることを述べた上で、次のように、聖書で預言された未来の出来事に触れています。

    主は、生者と死者とをさばくために、栄光をもって再び来られます。その国は終わることがありません。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 信条(パート7)

    前回の記事では、「ポンテオ・ピラトのもとで、私たちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ」 という箇所について話しましたが、その後は、「聖書にあるとおり三日目に復活し」 と続きます。これは、使徒パウロが第1コリント15:4で書いた、「聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえった」 という言葉と同じことです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 信条(パート6)

    ニカイア・コンスタンティノポリス信条に関する本シリーズの前回記事では、イエスが「私たち人間のため、また私たちの救いのために天より下」 られたことに焦点を当てました。本信条の次の部分は、イエスの誕生、生涯、死、復活、昇天という主要な出来事についてです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 信条(パート5)

    ニカイア・コンスタンティノポリス信条は、「父と同質」である神の子としてのイエスの神性について述べた後、イエスの人性と生涯の出来事(死んだ際の状況、復活、昇天、その後)を扱います。

     

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 信条(パート4)

    本シリーズのパート3では、ニカイア信条でイエスを「唯一の主イエス・キリスト」と呼んでいる箇所について見てきました。イエスは、神性を表す「主」という呼称で呼ばれています。「イエス」という名前は、人々を罪から救う者であることを示し、「キリスト」という称号は、油を注がれた者、つまりメシアとしての使命を示しています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 信条(パート3)

    先回の記事では、ニカイア・コンスタンティノポリス信条(以後、「本信条」)の最初の部分、「私たちは、唯一の神、全能の父…を信じます」 について説明しました。今回は、それに続く、「天と地と、すべての見えるものと見えないものの造り主を信じます」 という部分に焦点を当てていきます。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 信条(パート2)

    ニカイア・コンスタンティノポリス信条(以後、「本信条」)には、キリスト教の主要教理が比較的短い声明の形で要約されています。ほんの数センテンスの中に、神に関するキリスト教信仰の土台が示されているのです。キリスト教の教理すべてを扱っているわけではありませんが、クリスチャンとなるために信じなくてはいけない、神に関する基本的な事柄を述べています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 信条(パート1)

    キリスト教の歴史を通じ、様々な信仰声明によって、キリスト教信仰の基本的信条が比較的短い文章に要約されてきました。全般的に「信条」と呼ばれるものです。英語の「クリード(creed/信条)」は、「私は信じる」を意味するラテン語の「クレド」に由来します。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:盲人の癒やし

    イエスが盲人の目を癒やされた話は、共観福音書[1] 全てに書かれています。ルカとマルコの福音書には、イエスが1人の盲人を癒やされたことが書かれており、マタイの福音書では、2人の盲人が癒やされています。ここでは、ルカの福音書をもとに説明し、マルコやマタイからもいくつかのポイントを紹介していきます。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスと取税人

    福音書には、イエスが、ユダヤ人の間で最も軽蔑された人たちとされる取税人(徴税人)と関わられたことについて、いくつもの記述が見られます。3つの共観福音書[1] 全てに、イエスが取税人たちと一緒に食事をされた時のことが書かれています。[2]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:姦淫の女

    ヨハネの福音書にある仮庵の祭の話には、姦淫の場で捕らえられた女性のエピソード(ヨハネ7:53–8:11)が挿入されています。仮庵の祭について解説する際、[1] 私はその箇所を含めませんでした。なぜなら、祭での出来事の流れからそれたものであるし、記事の焦点は祭の間にイエスが律法学者やパリサイ(ファリサイ)人と持たれたやり取りであったけれども、それともまた違う内容となっているからです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ライフバランスチェック(パート6):ストレス管理

    ストレスを味わったことのない人はいません。生活にストレスを抱えるのは、自然なことであり、避けられないことです。ただ、問題が生じるのは、ストレスがありすぎ、特にそんなストレスの多い状態が何ヶ月も延々と続く時です。私に起きたのもそれであり、かなり苦しい経験でした。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:仮庵の祭(パート7)

    先回の記事は、アブラハムが自分たちの父であると主張するユダヤ人聴衆が実際にはアブラハムの子ではない、とイエスが指摘された箇所で終わっています。

    「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。ところが今、神から聞いた真理をあなたがたに語ってきたこのわたしを、殺そうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。」 [1]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • クリスマスの約束

    クリスマスが来て、イエスの誕生を祝うたびに、私たちは歴史を振り返って、神がこの世に救い主を送ると誓われた旧約聖書の約束の成就を見ます。この栄光に満ちた出来事を記念するたびに、私たちは救い主の奇跡的な受胎やその誕生のいきさつを祝い・・・

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ライフバランスチェック(パート5): 交わり、家族、友人

    最近、他の人との有意義な人間関係によって、私の人生がどれほど祝福されてきたかを考えていました。私たちは、人生で他の人を必要とするようにできています。肉親もそうだし、個人的また仕事上のさまざまな人間関係を必要としており、他の人との有意義な関わりは、自己成長や充足感、情緒的安定に不可欠な要素です。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • ライフバランスチェック(パート4):自己成長

    生涯を通じて、私たちは生活のさまざまな分野で、自然に成長と向上を重ねます。ポジティブな経験とネガティブな経験、成功と失敗、人間関係、読書、勉強などを通して、物事を身につけていくのです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:父と子(パート3)

    前回の記事は、「父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている」 [1] とイエスが言われた時のことで締めくくられました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:父と子(パート2)

    前回の記事の最後に、イエスの言葉を聞いて、イエスをつかわされた方を信じる者は、永遠の命を持ち、すでに「死から命に移っている」 [1] とイエスが言われたことに触れました。その後に、こう語っておられます。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:父と子(パート1)

    ヨハネによる福音書第5章で、イエスは38年も病気だった男の人を癒されました。[1] それは、どんな仕事もしてはいけないことになっている、安息日のことでした。イエスはこの男に言われました。「『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい。』 すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。」 [2]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ライフバランスチェック(パート3):運動

    運動について書きたいと思います。これは目新しい話題ではなく、ここ数十年、かなり多くの情報が飛び交い、私たちも過去の記事や出版物で扱ってきました。けれども最近、同労者の一人が運動について調べていて、いくつか私にも助けになったものがあります。それは運動に関する新たな洞察を与え、確信を強めてくれました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ライフバランスチェック(パート2):健康

    愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。—ヨハネの第三の手紙 2節

    私たちの体は神からの驚くべき贈り物であり、それを大切にすることは私たちの務めです。自分たちの体は聖霊の宮であって、私たちは自分自身のものではないのです。[1]

    著者:ピーター・アムステルダム


  • ライフバランスチェック(パート1):主と過ごす時間

    私たちは皆、主と過ごす時間は何よりも重要であることを承知していますが、「御言葉の時間」や「デボーション」「祈りの時間」という概念に慣れきっていて、悲しいことに、それがマンネリ化してしまうことがあります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ライフバランスチェック:前書き

    昨年の後半から今年の初めにかけて、背中の痛みがおさまらず、そのため、パソコンに向かって仕事をするのが難しくなり、睡眠や運動も妨げられました。他にも、その頃受けた歯の治療に不備があったせいで、何本かに激しい痛みが出て非常に食べづらくなり、噛むたびに痛みが走りました。そこで、別の歯医者にかかって、治療をやり直してもらわなければいけなかったのです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:仮庵の祭(パート6)

    7日間の仮庵の祭の中ほどに、イエスはガリラヤを去ってエルサレムに行き、そこに滞在中、宮(神殿)に入って教え始められました。ユダヤ教指導者たちはイエスに反対し、逮捕しようとしましたが、できませんでした。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:仮庵の祭(パート5)

    仮庵の祭に関するこれまでの4つの記事では、ヨハネ7章に描写されている、祭の間にイエスが他の人たちと持たれたやり取りを扱ってきました。第7章の終わりで、ニコデモがイエスを擁護したところ、パリサイ(ファリサイ)人たちは皮肉な質問をして、それをはねつけました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:仮庵の祭(パート4)

    ヨハネの福音書には、イエスが仮庵の祭でエルサレムに行かれた際、幾度もパリサイ(ファリサイ)人に遭遇されたことが書かれています。最初の遭遇は祭の半ばであり、2度目はその数日後、祭の終わりの日のことでした。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:仮庵の祭(パート3)

    先の2つの記事で見てきたように、イエスは仮庵の祭に出るためにガリラヤを発ち、祭の半ば頃にエルサレムへ着かれました。エルサレムにいる間、イエスは宮(神殿)で教えられましたが、その教えを聞いて、イエスに反対する人たちもいました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:仮庵の祭(パート2)

    兄弟たちが仮庵の祭に参加するためにエルサレムへ行ったしばらく後、イエスもそこへ足を運ばれました。「人目にたたぬように、ひそかに」 [1] 行かれたと書かれています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:仮庵の祭(パート1)

    ヨハネによる福音書7章と8章には、イエスが仮庵の祭の途中からエルサレムへ行かれた際の教えが書かれています。仮庵の祭とは、ユダヤ人が9月か10月に祝う7日間の祭で、彼らはその間、「仮庵」(仮小屋)に住みます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:神殿税

    マタイ17章の終わりに、カペナウムで起きたある出来事が書かれています。

    彼らがカペナウムにきたとき、宮の納入金を集める人たちがペテロのところにきて言った、「あなたがたの先生は宮の納入金を納めないのか。」 [1]

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:マルタよ、マルタよ

    福音書の3箇所に、イエスの親しい友人である2人姉妹とその兄弟、つまりマルタ、マリヤ、ラザロとの交流の様子が書かれています。「イエスは、マルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた」 [1] とあるように、イエスはこの家族とごく親しい関係にありました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:エリヤ、ヨハネ、イエス

    先の記事で、山上でのイエスの変容の際に、輝く雲がイエスや同行の弟子たちを覆い、イエスの顔は輝き、その衣は白くなり、モーセとエリヤがイエスと語り合ったことを見てきました。変容の後、イエスはペテロとヤコブとヨハネに、ご自身が死人の中からよみがえるまでは、この出来事について誰にも話してはならないと命じられました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:変容

    イエスの公生涯において、「変容」は異例の出来事でした。唯一それに匹敵するのは、少し前に、イエスがヨルダン川に入って、バプテスマのヨハネ(洗礼者)からバプテスマをお受けになった時に起きたことです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:ペテロのいさめ

    前回の記事では、「あなたがたはわたしをだれと言うか」 [1] というイエスの質問に対して、シモン・ペテロが「あなたこそ、生ける神の子キリスト[メシア]です」 [2] という核心を突く答えを与えたことを、マタイ16章から読みました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ペテロの信仰告白

    弟子たちはイエスと共に生活し、イエスから学び、イエスのされた奇跡を目にしているうちに、この方は長く待ち望んでいた約束されたメシア(救い主)であるという理解を深めていきました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:イザヤの預言

    『パリサイ人との衝突』パート1~4では、イエスの時代にパリサイ人(ファリサイ派)として知られていた宗教指導者たちが、イエスとそのメッセージに対していかに激しく反対してきたかを見ました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • キリスト教が及ぼした影響(パート4)

    キリスト教が世界に及ぼした影響に関する4本目かつ最後になるこの記事では、キリスト教や個々のクリスチャンが世界を変えるのを大いに助けた3つの分野に触れていきます。それらの分野とは、肉体労働に対する見方を変えること、金貸しに関する認識を変えること、そして、様々な科学的発見をすることです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • キリスト教が及ぼした影響(パート3)

    (本記事にあるポイントは、アルバン・J・シュミット著『How Christianity Changed the World(キリスト教はいかに世界を変えたか)』[1] からのものです。)

    本シリーズ3件目となったこの記事では、イエスの死と復活以来、キリスト教が世界に及ぼしてきた良い影響を引き続き調べていきたいと思います。今回の焦点は2つで、病院と学校の出現についてです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • キリスト教が及ぼした影響(パート2)

    (本記事にあるポイントは、アルバン・J・シュミット著『How Christianity Changed the World(キリスト教はいかに世界を変えたか)』[1] からのものです。)

    復活祭(イースター)の季節[本記事の発表時]にあたり、イエスの死と復活以来の人類の歴史において、キリスト教が及ぼした絶大な影響を引き続き見ていきたいと思います。今回の記事では、女性の尊厳と地位に関してキリスト教がもたらした根本的変化に焦点を合わせます。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • キリスト教が及ぼした影響(パート1)

    (本記事にあるポイントは、アルバン・J・シュミット著『How Christianity Changed the World(キリスト教はいかに世界を変えたか)』[1] からのものです。)

    まもなく復活祭[本記事原文の執筆時]であり、それはイエスが世界に救いをもたらすために墓からよみがえって死を征服されたことを祝う時なので、イエスの生涯と死と復活が、それ以降の2千年間、人類に及ぼしたポジティブな影響を見ていくのにいいタイミングに思えます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • キリスト教を生きる:十戒(人命を守る、パート3)

    (本記事にあるポイントは、ウェイン・グルーデム著『Christian Ethics』[1] からのものです。)

    自殺に関してリサーチした際、ある人の書いた序説を読んだのですが、それはこの主題について執筆する難しさをよく表しており、思慮と祈りが込められたものであると感じました。私にそれよりもよい表現はできそうにないので、単純にその文章を引用したいと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • キリスト教を生きる:十戒(人命を守る、パート2)

    先回の記事で見たように、「あなたは殺してはならない」 という第6戒では、自分の命や他の人の命を守るため、道徳的に自衛手段を用いることが許されています。その原則をより大きな規模で当てはめるならば、どうなるでしょうか。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • キリスト教を生きる:十戒(人命を守る、パート1)

    聖書には、神が人間をご自身の「かたち」に創造されたと書かれています。

    神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって[似せて]人を造り…。」…神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。[1]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • キリスト教を生きる:十戒(権威、パート4)

    本シリーズでは、これまで、親の権威と統治機構の権威について見てきました。今回は、権威に関する別の側面を、雇用主と被雇用者(従業員)の関係から見ていきます。雇用主の権威について聖書に導きを求めるのは、親や統治機構の権威の時ほど単純ではありません。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • キリスト教を生きる:十戒(権威、パート3)

    聖書は、国家政府が神によって立てられたものであり、クリスチャンはそれに従うべきである[1] と語っていますが、政府には人権や選択の自由を確保・保障する責任があることも強調されています。自由意志は、人間であるために不可欠な要素であり、神にかたどられ、神に似たものとして作られたことの一部です。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • キリスト教を生きる:十戒(権威、パート2)

    前回の記事で見てきたように、信者は父母を敬うよう命じられています。小さい子から成人に至るまで、年齢と関係なく、親を敬い、敬意を払うようにと。敬意の示し方は年を取るにつれて変わりますが、いつになっても、その時々において適切な形で示されるべきです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • キリスト教を生きる:十戒(権威、パート1)

    先の3つの記事では、十戒のうち、人間と神との関係をおもに扱う最初の4つの戒めを見てきました。続く6つの戒めの焦点は、人と人との関係に移ります。本シリーズの最初の方で説明したように、それぞれの戒めはディレクトリの役割を果たし、その下には、戒めの適用法を扱う幾つものサブディレクトリがあります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 2018年クリスマスのご挨拶

    (カードの下に、文章の日本語訳があります。)

    著者:ピーター・アムステルダムとマリア・フォンテーン


  • キリスト教を生きる:十戒(パート3)

    第4戒は、神に対する人間の義務に焦点を合わせた戒めの最後のものです。「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざ[仕事]をせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • キリスト教を生きる:十戒(パート2)

    前回の記事では、神に対する私たちの義務に関する最初の2つの戒めを見てきました。第3戒も、神に対する人間の義務に焦点を当てています。「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。」

    著者:ピーター・アムステルダム

  • キリスト教を生きる:十戒(パート1)

    本シリーズでは、最初の方で説明されているように、キリスト教的道徳倫理を扱うために、その骨組みとして十戒を用いていきます。全般的に言って、解説者たちは十戒を2つのグループに分けています。多くの場合、最初の4戒は「神に対する私たちの義務」と呼ばれ、残りの6戒は、「人に対する私たちの義務」として知られています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:パリサイ人との衝突(パート4)

    本記事は、イエスとパリサイ人(ファリサイ派)との衝突について、マタイ23章でイエスが言われたことに焦点を合わせた短いシリーズの最後のものになります。イエスは先回の記事の終りの方で、汚れているとされる昆虫とラクダの比喩を用いて、清浄規定について触れられました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:パリサイ人との衝突(パート3)

    『パリサイ人との衝突』のパート2では、マタイ23章の最初の12節を掘り下げて見てきました。その中でイエスは群衆や弟子たちに、パリサイ(ファリサイ)派の人たちは自分の説くことを実行しないので、彼らの手本にならうなと言っておられます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:パリサイ人との衝突(パート2)

    4福音書全てを通して、パリサイ(ファリサイ)派の人たちがイエスとその教えに継続的に反対していたことが書かれています。彼らとは別に、イエスの時代に存在したもう1つの宗教グループにサドカイ派があります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:パリサイ人との衝突(パート1)

    4福音書全てに、イエスとパリサイ人(ファリサイ派)が緊張状態にあったことが書かれています。パリサイ派とはユダヤ人の宗教指導者の一派で、トーラー(旧約聖書の最初の5書)にある成文律法と、口伝の伝統または「先祖(昔の人)の言い伝え」[1] とも呼ばれた口伝律法との両方を注意深く忠実に守っていました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:6つの格言(ルカ 12:1–10)

    ルカ12章の冒頭に、イエスの話を聞くためにおびただしい数の人が集まってきたと書かれています。その群衆のいる場で、イエスは弟子たちに6つの格言的な言葉の形で教えを語られました。イエスが教えておられることは他の人たちにも聞こえたし、そのメッセージは彼らにも当てはまるものでしたが、イエスがこの教訓をお与えになった対象は最も近い弟子たちでした。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • キリスト教を生きる:罪のもたらす結果

    前回の記事では、神の戒めに従うことから来る祝福を見てきました。[1] 私たちの人生における罪の結果について考慮することも、賢明で有益です。[2] 神学者ウェイン・グルーデムは、罪をこのように定義しています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • キリスト教を生きる:神への従順がもたらす祝福

    私たちは誰もが、道徳的なものも道徳とは無関係なものも共に、日頃から決断を迫られています。たとえば、レストランでどんな料理を注文するか、寝室の壁を何色に塗るか、新しい手袋を買うべきかどうか、といったものは、道徳とは無関係な決断です。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • キリスト教を生きる:古い契約と新しい契約

    本シリーズの前書きで、キリスト教的道徳倫理を掘り下げていくために、その骨組みとして十戒を用いることを説明しました。神がイエスの時代以前のユダヤ人と交わされた契約の一部である、旧約時代のモーセの律法を用いることが、現代において適切なことなのかと疑問に思う人もいることでしょう。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • キリスト教を生きる:前書き

    クリスチャンは、自分たちが神の言葉にかなった生き方をすべきであることを聖書が教えていると心得ています。私たちは、「あらゆる霊的な知恵と理解力とをもって、神の御旨を深く知り、主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至る」 [1] よう求められています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:光

    イエスは、その時代(世代)の、しるしを求めていた者たちを叱り、彼らがしるしを与えられることはない[1] と言われたのに続けて、3つの格言の形で光について話をされました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨナと女王

    福音書の至る所で、律法学者(律法の専門家)とパリサイ人(ファリサイ派)は、イエスの対立者として描かれています。イエスを疑い、批判し、告発し、ついには処刑に至らせました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:迫害

    マタイの福音書で、イエスは弟子たちに、彼らが福音を伝えに出ていく時に受けるであろう反対や迫害について話されました。第10章では、イエスが弟子たちを送り出すにあたり、異邦人を避け、サマリア人の町に入ることもせず、もっぱら「イスラエルの家の失われた羊」 [1] つまりユダヤ人同胞を相手に伝道するよう指示されました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • もっとイエスのように:愛

    第1ヨハネ書には、「神は愛である」[1] また「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである」 [2] と書かれています。旧約聖書には、「神は愛である」という表現は見られないものの、その全体を通して、神の愛について書かれています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:72人に与えられた任務(パート2)

    前回の記事では、イエスの72人の使者を受け入れなかった町が受ける裁きが、旧約聖書時代の町ソドムが受けた裁きより大きなものとなることについて、イエスの語られたことを見てきました。ソドムは天からの火によって滅ぼされています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:72人に与えられた任務(パート1)

    前回の記事(『天からの火』)で触れたように、ルカの福音書には、イエスの生涯について、他の福音書にはない記述が含まれています。それには、解説者たちが「旅行記」(エルサレムへの旅)と呼ぶ、およそ10章からなる部分も含まれています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:天からの火(ルカ9:51–56)

    ルカの福音書には、イエスの生涯における出来事のうち、他の福音書には記録されていないものが数多くあります。そのあるものを本記事と、これからのいくつかの記事で扱うことにします。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:羊と山羊のたとえ(マタイ25:31–46)

    「人の子」が戻ってこられることについて書かれた羊と山羊のたとえは、マタイ25章にある3つのたとえ話の1つです。他の2つは、「十人のおとめ」と「王としもべ[1] で、後者は「タラントのたとえ」とも呼ばれています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:待っている僕(マルコ13:34–37およびルカ12:35–38)

    マルコとルカの福音書で、イエスは2つの別々のたとえを用いて、ご自身の再臨(時の終わりに再び来られること)について語っておられます。内容は若干異なりますが、どちらも同じことを伝えているので、一緒に取り上げたいと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:愛に関するイエスの教え(パート2)

    パート1では、イエスが弟子たちに敵を愛せよという原則を教えられたことについて読みました。イエスは、その原則の実践にはどのような行動があるのか、幾つかの例をあげられました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:広場の子供たち(ルカ7:31–35)

    広場の子供たちのたとえは、あまり有名でないたとえ話のひとつです。ルカの福音書の少し前の方に、バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)が弟子を何人かイエスのもとに送り、次のように尋ねさせたと書かれています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:愛に関するイエスの教え(パート1)

    イエスは、共観福音書[1] の各書で、旧約聖書から、ある2つの戒めを引用されています。最初のものは申命記からです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:食卓で座る位置(ルカ14:7–11)

    ルカ14章は、イエスが安息日にパリサイ人(ファリサイ派)のある指導者の家へ食事に招かれた話で始まります。イエスは到着すると(家に入る前に水腫を患っている男を癒やしてから)、たとえを語られました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスの神性(パート4)

    新約聖書の大部分で中心的に扱われているのは、イエスの生涯と犠牲的な死と復活であり、また、イエスが救い主として人類に与えた影響です。その受肉と犠牲のおかげで、私たちは神との永遠の関係を結ぶことができます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスの神性(パート3)

    先の2つの記事では、父なる神に向けられる栄光、誉れ、礼拝、祈りが、子なる神であるイエスにも同じく捧げられていることを見てきました。また、全知全能や遍在という神の属性も、イエスは同じく有しておられます。その他、神の名前についても、イエスは同じ呼ばれ方をされているのです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスの神性(パート2)

    本シリーズのパート1では、新約聖書でイエスに帰される栄光や誉れが、父なる神に帰される栄光や誉れと同じであることに焦点を合わせました。私たちは、神への崇拝においてしているのと同じく、イエスを拝し、また、イエスに祈りと愛を捧げ、従います。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスの神性(パート1)

    クリスチャンは、神が三位一体の神であること、つまり、父なる神、子なる神、聖霊なる神という三つの位格が一体となった方であることを信じています。[1] 私たちは、子なる神が受肉し、聖霊によって母マリヤの胎に宿られたことを信じています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:「わたしはある」宣言―ぶどうの木

    イエスの最後の「わたしはある」宣言は、先回の「わたしは道であり、真理であり、命である」 という宣言と同様、死ぬ前の晩にされました。イエスを裏切るユダが集まりの場を去った後、イエスは最後の数時間を用いて、残りの弟子たちを慰め、また教えられました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:「わたしはある」宣言―道であり、真理であり、命

    今回取り上げるイエスの「わたしはある」宣言は、弟子たちとの最後の晩餐で語られたものです。これはヨハネ第14章に記録されており、その背景は前の章を見ると分かります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:十人のおとめ(マタイ25:1–13)

    十人のおとめのたとえ話は、自分の主人がいつ帰宅するかに全く注意を払わない僕(しもべ)に関する、忠実な僕と悪い僕のたとえ話[1] のすぐ後に記録されています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 神を賛美する

    神に栄光を帰すことは、信仰生活の鍵となる要素です。神は私たちの創造主、救い主、王、そして神であり、私たちの賛美と愛慕と礼拝を受けるにふさわしい方です。私は、すべきほど十分に賛美とほまれを神に捧げていない、ということがよくあります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:「わたしはある」宣言―良い羊飼い

    ヨハネ第10章の前半で、イエスはこう言われました。

    はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。‥‥わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。[1]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:忠実と正直

    旧約聖書でも新約聖書でも、忠実について多くが語られています。定義上、忠実とは、いかなる状況においても、誰か、あるいは何かに対して常に真心をもってことを行うという概念を表しています。また、自分のした約束をしっかりと実行することも表しています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:「わたしはある」宣言―門

    イエスはヨハネ第10章で、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である」 [1]「わたしはよい羊飼である」 [2] という2つの「わたしはある」宣言をしておられます。1つ目は最初の10節に出てくるもので、それを本記事で扱いたいと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • あなたは大いなるかな

    私とマリアが住む家のリビングルームの窓からは、なかなか美しい景色が見られて幸せなことです。山や木々、青草を眺めていると気分が高揚するし、被造物の美しさを主に感謝し、賛美したくなります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:「わたしはある」宣言―復活であり、命

    イエスは、ラザロを生き返らせる[1] 直前に、その姉妹のマルタにこう言っておられます。

    「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 [2]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 無条件の愛

    神の本質を短く言い表そうとする時、私には「無条件の愛」という言葉が思い浮かびます。言うまでもなく、神の性質は多様であり、たった一言で言い表せるものではありませんが、....

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 契約(パート3)

    本シリーズのパート2で見たように、イスラエル人は偶像礼拝をしたことで契約を破りました。その後、モーセの嘆願により、神は彼らを赦し、契約を更新されました。後にモーセは、神の指示のもとに、神の臨在が宿る場所である幕屋を造りました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 契約(パート2)

    本シリーズのパート1では、モーセに従ってエジプトから出て来たユダヤ人が皆、シナイ山の麓に来て、神が十戒を授けられるのを耳にしたことについて読みました。彼らはそれを守ることに同意することによって、神との契約関係に入りました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 契約(パート1)

    昨年、朝のデボーションの際に、レビ記を読みました。私にとって、レビ記が「聖書の中でも大好きな書」リストの上位に来たことはないのですが、読み通してみることにしたのです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • ビリー・グラハム、天での報酬を受けに旅立つ

    2018年2月21日、福音伝道師ビリー・グラハムは、素晴らしい救い主のもとへ行くために、この世を去りました。彼は1940年代に21歳で公の伝道を始めてから、99歳で死去するまで、忠実に福音を伝えました。

    著者:ピーター・アムステルダムとマリア・フォンテーン

  • イエス、その生涯とメッセージ:「わたしはある」宣言―世の光

    イエスの「わたしはある」宣言の2つ目は、ヨハネの福音書第8章にあります。

    イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。」 [1]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:忠実な僕と悪い僕(マタイ24:44–51)

    忠実な僕(しもべ)と悪い僕のたとえ話は、マタイとルカ、2つの福音書に記されています。内容は非常に似ており、わずかの違いがあるだけです。ここでは、マタイ24章の記述に焦点を当てていきます。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:「わたしはある」宣言―命のパン(パート2)

    パート1では、イエスがご自分は命のパンであり、[1] 「天から下ってきて、この世に命を与える」 [2] 神のパンである、そして、「わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない」 [3] と宣言されたことについて読んできました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:「わたしはある」宣言―命のパン(パート1)

    ヨハネの福音書では、イエスが様々なメタファー(隠喩)を用いてご自身のことを述べておられるのが分かります:「わたしは命のパンである」、[1] 「わたしは世の光である」、[2] 「わたしは羊の門である」、[3] 「わたしはよい羊飼である」、[4] 「わたしはよみがえりであり、命である」、[5] 「わたしは道であり、真理であり、命である」、[6]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:実を結ばないいちじくの木(ルカ13:1–9)

    実を結ばないいちじくの木のたとえ話はルカによる福音書第13章に書かれています。ルカによれば、イエスは群衆に向けて話をしておられました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:費用の計算(ルカ14:25–33)

    ルカの福音書14章には、弟子となることについてイエスが言われた最も厳しい言葉の幾つかが含まれています。たとえば、盛大な宴会のたとえ話[1] では、神との交わりに入るようにとの招きよりも個人的な関心を大切にする人たちのことが語られています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 祝福された新年

    元旦には、いつも旅の始まりのように感じます。終えたばかりの前年の旅を振り返り、新しい年の希望や夢、ゴール、コミットメントについて思いをはせる時です。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:盛大な宴会(ルカ14:15–24)

    イエスが盛大な宴会のたとえ話を語られたのは、著名なパリサイ人の家で安息日の食事をされていた時のことです。食事中、イエスは宴会の招待客について、あとで返礼として自分を招き返してくれるような人たちだけを招待すべきではないという教訓をお与えになりました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:離れた場所からの癒やし(パート3)

    ヨハネの福音書に、イエスが離れた場所からされた癒やしの3つ目かつ最後のものが出てきます。過越祭の間、イエスがエルサレムにおられ、そのなさった奇跡によって多くの人がイエスを信じたと書いてあります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:離れた場所からの癒やし(パート2)

    イエスが百卒長(百人隊長)の僕を癒やされた時、[1] それは離れた場所から奇跡を行ったというだけではありません。癒やされたのは外国人であり、それはイエスの宣教活動において珍しいことです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:離れた場所からの癒やし(パート1)

    福音書には、物理的にその場にいない人をイエスが癒やされた話が3回出てきます。そのうちの2回は癒された人が非ユダヤ人です。3回目もユダヤ人でなかった可能性はあります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:仲間を赦さない僕のたとえ(マタイ18:21–35)

    マタイの福音書18章の中で、使徒ペテロが赦しを話題に持ち出して、こんな質問をしました。

    「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか。」 イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。」

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスは神

    私は最近の記事の中で、昇天後のイエスのあとを継ぐ方として、聖霊がいかにしてイエスと同様に弟子たちのために働かれたか、聖書から幾つかの例をあげました。[1] イエスは神として、また同じく神である聖霊を、信者たちと共にいるようにと送られました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:希望

    (本記事の一部は、ランディー・フレイジー著『Think, Act, Be Like Jesus』[1] から要約されたポイントをもとに書かれています。)

    福音書を読むと、イエスはご自身がいずれ苦しみにあって殺されることを前もってご存知であり、また、死からよみがえるのもご存知であったことが明らかです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • もっとイエスのように:あわれみ

    イエスの生涯について福音書に書かれていることを読んでいくと、イエスが他の人にあわれみを示し、弟子たちにも同様にあわれみ深くあることを教えられたことが極めて明白になってきます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:弟子となること(パート6)

    弟子たることについて書かれた、これまでの5つの記事で見てきたように、イエスを信じて従うには、私たちの優先順位を改め、それによってイエスを第一の忠誠の対象とすることが求められることを、イエスは教えられました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:従順な僕のたとえ(ルカ17:7–10)

    ルカの福音書には、答えが明白な質問で始まるたとえがいくつも出てきます。例えば、イエスは次のような質問をしておられます。「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、.....

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:弟子となること(パート5)

    弟子たることに関するこれまでの4つの記事で、イエスに従うには、人生の方向性を定め直して、自分の忠節、個人的関係、持ち物、願望においてイエスを優先することが要されるということを見てきました。今回は、イエスが弟子たちに対して、自分の命にもまさってイエスを優先することを求められた点について見ていきましょう。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:弟子となること(パート4)

    弟子としてイエスの教えを信じ実践することについてイエスが言われたことを見てみると、イエスを真に信じるならば自分の優先順位を変えなくてはいけないことが分かります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:弟子となること(パート3)

    弟子たることに関する先回の記事では、イエスに従うことについて、イエスご自身がいくつか強い発言をされたことを見てきました。イエスは、弟子となるには犠牲が伴い、必要条件はたやすいものではないことを、はっきりさせたいと思われたのです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:弟子となること(パート2)

    本シリーズの前の方で、イエスから最初の弟子たちへの召命を扱いました。中でも、福音書の随所で名前が言及されている弟子たちがいます。ペテロとアンデレ兄弟、ヤコブとヨハネ兄弟、(ペテロやアンデレと同じく)ベツサイダ出身のピリポ、‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:弟子となること(パート1)

    福音書には、イエスの生涯、宣教、死、そして復活について書かれており、また、弟子として従ってきた者たちにイエスが教えられたことも記録されています。4福音書全体を通して、ご自身に従ってきた者たちとのイエスの触れ合い、そして、彼らがイエスとは誰なのかを理解するに至る霊的な旅路について読むことができます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:赦すようにとの呼びかけ

    福音書には、イエスが鞭打たれ、殴られ、そして十字架に釘付けにされたことが書かれています。十字架にかけられて死にゆく中でイエスが語られた最後の言葉の中に、「父よ、彼らをおゆるしください」[2] というものがあります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • もっとイエスのように:親切と善意

    使徒パウロは、敬けんな生活を送ること、聖霊の内に、また聖霊に導かれて生きることについて書いており、その中で、敵意、争い、そねみ、怒り、ねたみ[1] など、彼が「肉の働き」(肉の業、肉の行い)と呼ぶものをリストアップしました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:優しさ

    キリストのようになることの一つの側面で、他の多くのものと比べてあまり注目されないのは、優しさです。少々意外なことに、優しさや柔和という言葉は、イエスと父の両方を指して、聖書の随所で用いられています。また、聖霊の実の中にも含まれています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:平和・平安

    聖霊の実の一つである平和(平安)は、私たちがよりイエスのようになるために重要な役割を担います。それは神と正しい関係にあることに根ざしており、そのような関係を持てるのは神からの救いの贈り物ゆえのことです。また、平和は神に対する私たちの信頼と、神が私たちを愛しておられるという確信の結果として表れたものです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート18)

    マルタがイエスと話をして、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」 という信仰宣言をした後に、次のようなことが起きています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート17)

    イエスが死者を生き返らせた3つ目の、そして最後の事例は、ヨハネの福音書にのみ見られます。この話には、共観福音書[1] にある他の2例よりかなり多くの詳細が含まれているため、2つの記事に分けて掲載します。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート16)

    イエスがやもめの息子を生き返らせた話はルカの福音書にしか記録されていませんが、若い娘を生き返らせた話は3つの共観福音書全てに書き残されています。マルコの記述が最も詳しく、ルカでは短めになっており、

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート15)

    このシリーズでは、これまでに様々な病気の癒やしの奇跡や、悪霊を追い出すイエスの権威について見てきましたが、ここで、死人を生き返らすことのできるイエスの力に焦点を移したいと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート14)

    イエスの悪霊追い出しと、それを行う権威とに関する記事はこれが最後で、今回は、悪霊を追い出せたのはイエスがサタンと組んでいることを示しているという、宗教指導者たちの主張に対するイエスの返答を中心に扱います。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート13)

    本シリーズで扱うイエスの悪霊追い出し2例の内、2つ目は、ガリラヤ湖の南東で起きました。それはデカポリスと呼ばれる地方で、東パレスチナに古代ギリシャから存在していた10の都市の同盟です。紀元前63年にローマ軍が征服した後、形成されました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート12)

    共観福音書[1] の随所に、イエスが悪霊を追い出された時のことが書かれています。悪霊追い出しは、「捕らわれている人に解放」を告げ、「圧迫されている人を自由」[2] にするというイエスの仕事の大切な一部でした。福音書には、イエスが様々な場所で幾度も悪霊を追い出されたことについて、一般的な記述がいくつもあります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート11)

    福音書の至る所に、イエスの行われた奇跡について書かれており、それはイエスの力と権威を証明するものです。中でも、奇跡を起こすイエスの力の一側面であり、その権威と共に愛や思いやりを示しているものとは、悪霊(あくれい=悪しき霊)を追い出すことです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:忍耐

    出エジプト記には、モーセがシナイ山に登った時に、神がその性格をいくらか明らかにされたことが書かれています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • もっとイエスのように:自制

    ガラテヤ5章で、パウロは御霊の実を9例あげており、それは愛から始まり、自制(節制)で終わっています。クリスチャン的性格を培い、よりイエスに似た者となることの一環に、聖霊の力によって自分を、つまり自分の情緒や欲望や感情をコントロールする能力をつけることがあります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート10)

    5千人を食べさせた直後にイエスが行われた奇跡があり、それはマタイ、[1] マルコ、[2] ヨハネ[3] の福音書に書かれています。ここでは、一番長いマタイの記述を用い、他の福音書からも幾つかの点を取り上げていきます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート9)

    3つの共観福音書[1] 全てに、イエスとともに舟に乗っていた人たち、そしておそらくは一緒に湖を渡ろうとしていた他の舟の人たちも含めて、彼らの命を脅かすほどの嵐を、イエスが静められた話が書かれています。以下の記述は、マルコの福音書からです。[2]

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート8)

    5千人を食べさせる奇跡は、イエスが行われた奇跡の中で、4福音書全てに記録されている唯一のものです。[1] 各福音書の中での設定はまちまちですが、話に出てくる事実の主要部分は同じです。4福音書全てで一致しているのは、5千人がいたこと、5つのパンと2匹の魚があったこと、食べ残しを集めたら12かごあったこと、イエスが祝福(感謝の祈り)をされたこと、そして、皆を座らせるよう、弟子たちにお命じになったことです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:謙遜(パート2)

    『謙遜(パート1)』で触れたように、私たちはイエスによる謙遜の手本にならうよう勧められています。パウロはキリストの謙遜について書いている時、クリスチャンのすべきこととして、こう告げました。「互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。」

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:謙遜(パート1)

    キリストに似た者となることを追求する上で一つ大切な要素とは、イエスの謙遜さにならうことです。そうやって謙遜を「身に着け」、誇り(高ぶり)を「脱ぎ捨て」ることによって、私たちはよりイエスのようになろうと努めるのです。古代ギリシャ・ローマ社会において、謙遜は良くない特性として見られ、下層階級とされた者が示す卑屈な態度を意味していました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート7)

    福音書には、数多くの人を癒し、悪霊を追い出し、さらには死者をよみがえらせるといった、イエスの奇跡がたくさん記録されています。他にも、イエスが自然の作用を覆す奇跡を行われたというものもあり、解説者はそのような奇跡をよく自然奇跡と呼んでいます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート6)

    本記事では、ベテスダ(ベトザタ)と呼ばれる池にいた男の癒しについて見ていきます。安息日の癒しは、本シリーズのこのパートで扱うのはこれで最後ですが、福音書には他にもいくつか出てきます。[1] 今回の出来事は、ヨハネの福音書に記されています。[2]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イースター効果

    本記事は、F・リロイ・フォーラインズ書『Classical Arminianism』の中の1つの章をベースにして書かれています。イエスの受難と死をめぐっては神学的に諸説ありますが、この著書はとても意味深い部分を強調しており、1年のこの時期に瞑想するにふさわしい内容

    著者:ピーター・アムステルダム


  • もっとイエスのように:喜び(パート2)

    キリスト教的喜びについて調べていた時、私は、喜びが信仰、希望、そして感謝の心と密接に結びついていることに興味を覚えました。この主題に関する最初の記事で触れたように、信者にとって喜びとは、神への信仰、聖書を通して神が語られたことへの信頼、そして‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:喜び(パート1)

    イエスとその教えを模範として生きようとする時、その努力において喜びが重要な役割を果たします。イエスが福音書で喜びについて具体的に言及されたのは2度だけですが、イエスの生涯の出来事や教えには喜びが満ち満ちています。また、新約聖書にも旧約聖書にも、喜びに関する言及や例が数多く見られます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート5)

    片手のなえた人が安息日に癒やされた(『奇跡 パート4』)以外にも、安息日の癒やしについては福音書にいくつも書かれており、本記事ではそのうちの2つを取り上げます。それは、腰の曲がった女と水腫のある男の癒やしで、どちらもルカによる福音書にのみ書かれているものです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート4)

    福音書の随所に、イエスが安息日に人を癒やされたこと、そして、その際に反対を受けたことが書かれています。安息日に癒やすことは、論争を招くものでした。なぜなら、それは、モーセの律法で禁じられている、安息日に働くことだと理解する人たちがいたからです。

    創世記にある創造物語に、安息日の起源が書かれています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:人の子

    四福音書全体を通して、「人の子」という表現がイエスによって幾度も使われています。それほども頻繁に使われているので、その背景や意味を理解しておくと、助けになります。それが、本記事の目的です。

    この言葉はイエスによって、ご自身が天から来られたこと、地上でのミッション、将来の帰還を表すために使われました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート3)

    イエスが中風の男をいやされる話は、各共観福音書に記されています(マルコ 2:1–12; マタイ 9:1–8; ルカ 5:17–26)。それはいやしの話であると同時に、物議が醸されたことについての話でもあり、それによって、イエスについての重要な情報が読者に明されています。マルコにはどのように記されているのか、見てみましょう。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート2)

    福音書を読んでみても、イエスが正確にいくつの奇跡を行われたのかはわかりません。病苦に悩む者が皆イエスに触ろうとして押し寄せてきたとか、イエスは様々の病いを患っている多くの人をいやされたとか、イエスがどこにいても病人が皆連れてこられたなどという節がいくつもあります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:奇跡(パート1)

    イエスの公生涯の重要側面の一つは奇跡でした。福音書には、34件もの具体的な奇跡が記されています。他にも15回、別々の箇所で、イエスの奇跡的なわざ全般について書かれています。[1] 以下は、その例です。

    イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。[2]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:感謝の心(パート4)

    感謝の心とは、神への感謝というレンズを通して状況を見たり、感謝の気持ちを表すような振る舞いができるようにしてくれる思考態度です。そういった振る舞いとは、これまでの記事にも書かれているように、満ち足りた気持ちを育むこと、神が与えてくださった全てのものを感謝すること、そして、感謝の心を破壊するねたみ、貪欲、強欲を克服しようとすることなどです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • もっとイエスのように:感謝の心(パート3)

    前回の記事で、満ち足りた気持ちを「身に着ける」ことは、感謝の心を持つことの大切な要素であることを見てきました。今回は、感謝の気持ちの3つの「破壊者」を中心に扱います。感謝の気持ちを強めるために、取り除いておいたほうがいいもので、その破壊者たちとは、ねたみ、貪欲、そして強欲です。まず、ねたみから行きましょう。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:感謝の心(パート2)

    新約聖書に書かれ、また本シリーズでも随所に出てくることですが、キリストに似た性質を育てるには、「身に着ける」ことと「脱ぎ捨てる」ことが求められます。感謝の心は、よりイエスのようになる上で重要な要素なので、感謝の心を培うために踏むといいステップや感謝の気持ちの欠如を打ち消すためにできることについて学ぶことは、私たちが帆を上げる助けとなります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:感謝の心(パート1)

    よりキリストに似た者になるとは、聖書の教えをより熱心に適用することによって、また、聖霊の導きと恵みによって、より良いクリスチャンになることです。このような適応には二つの側面があります。第一に、神の教えにかなわないことを捨て去ることが求められます。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 2017年—振り返り

    1年が過ぎ去り、新しい年が始まろうとするとき、何百万もの人が新年の誓いを立て、何らかの形で人生を改善する計画を実践しようと決意します。私自身も以前はそうしていましたが、決意をしても守れない92%の人と同じで、私の新年の誓いは、1月の終わりぐらいにはたいてい消えて無くなりました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • クリスマスのための9つのデボーショナル

    クリスマスは、私たちクリスチャンにとって極めて重要なお祝いです。私たちの主の誕生と、それにまつわる様々な出来事、そして主の誕生の意味を記念する時だからです。昨年(2015年)、私は1918年以来毎年イギリスで行われている「9つの聖書日課とクリスマスキャロル」という伝統的なクリスマス礼拝のことを知りました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • クリスマスの前日談

    マタイとルカの福音書には、イエスの誕生にまつわる話が載っています。天使がマリヤを訪れたことや、彼女の奇跡的な妊娠。婚約者であるヨセフが妊娠について知った時の苦悩や、妊娠は聖霊によるものだという夢を見たこと。マリヤが親戚のエリサベツを訪問したこと。ローマ皇帝アウグスト(カエサル・アウグストゥス)の勅令や、マリヤとヨセフがガリラヤからベツレヘムへ旅しなければいけなかったこと。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • もっとイエスのように:クリスチャン的性格(パート2)

    少し前の記事である「キリストに似た者となることの基盤」で扱ったように、よりイエスのようになるには神への献身を要します。それは神に対して敬意の念を抱くことと、私たち一人一人に対する神の愛を理解することとに根ざしています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:クリスチャン的性格(パート1)

    イエスのようになることについて鍵となる要因は、神の教えにかなった性格を育むことです。全ての人に性格があります。性格は個人に特有の性質と定義されており、それがその人の感じ方、考え方、振る舞い方に反映されます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:キリストに似た者となることの基盤

    信心深さやキリストに似ることを追い求めるにあたり鍵となる要素は、よりイエスのようになることは神との正しい関係の上にのみ築かれるということです。信心深さとは、神との個人的な関係であり、また、その関係から生じる行動であると言えます。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―結び

    山上の説教も最後になり、マタイ7章には次のように書かれています。

    イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―4つの概略(パート2)

    イエスはマタイ7章の、山上の説教も終わりに差し掛かる所で、信者たちがいかにしてこの説教にあるイエスの教えに従って行動すべきかをまとめた、4つの概略を与えられました。本記事のパート1では、2つの門や偽預言者について読みました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―4つの概略(パート1)

    黄金律についてのイエスの教えで、「山上の説教」に含まれる弟子についての説教部分が締めくくられます。マタイ7章後半にある、山上の説教のまとめ部分は、4つの概略からなっています。そこにはイエスが山上の説教で教えられたことへの正しい反応の仕方が描かれており、そうしない場合に起こる結果について警告しています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―人々にもそのとおりにせよ

    山上の説教も終盤に差し掛かり、「黄金律」と呼ばれることも多い重要な金言が登場します。

    何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:聖性(パート4)

    『聖性』パート1から3では、神が善と聖の基準であることを見てきました。神は聖書を通してご自身の道徳的御心を明らかにされており、そのように聖書で示された御心は神の性質のあらわれです。よりイエスのようになりたいのであれば、神の性質をあらわすような生き方をするのを目指すことでしょう。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:聖性(パート3)

    (本記事は、ギャリー・フリーゼンの著書『Decision Making and the Will of God』[1] からのキーポイントをもとに書かれています。)

    「聖性」のパート1とパート2で見てきたように、キリストに似ること、神のさまに似ることは、自分の意志を神の意志に沿ったものに変えていくことによって、もたらされます。もっとイエスのようになりたいなら、まず、神の御心を理解して、それによって、自分の意志を神の意志に合わせられるようにすることです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―求めよ、捜せ、門をたたけ

    山上の説教の最後の章であるマタイ7章には、必ずしも節から節へとつながりがあるわけではないものの、神の国に入った者にとって重要な幾つかの点が、簡潔な文章となって収められています。人を裁く態度を持たないことについての箇所(前回の記事)の後、焦点は再び祈りに戻り、山上の説教の少し前に出てきた点とつながります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―人をさばくな

    山上の説教が書かれている最後の章であるマタイ7章に移ると、イエスは弟子たちに、他の人に対して批判めいた態度を取らないように話しておられます。それは、次のような言葉で表現されました。人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―思い煩い

    地上ではなく天に宝をたくわえること、惜しみなく与えること、そして富ではなく神に仕えることについて話をされた後、イエスは思い煩いについて語られました。

    それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • もっとイエスのように:聖性(パート2)

    (本記事は、ジェリー・ブリッジズの著書『The Pursuit of Holiness』[1] からのキーポイントをもとに書かれています。)

    よりイエスのようになる方法を探る時に大切なのは、神の聖性とは何を意味するのか、そしてどうすれば私たちもそれにあずかれるのかを考察することです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:聖性(パート1)

    このシリーズで引用された、鍵となる聖書の言葉の一つにエペソ4:22–24があります。

    あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―宝―地上と天のどちらにたくわえるか

    マタイ6章の前半では、貧困者への援助や祈りと断食をするにあたっての正しい動機が取り上げられていました。また、イエスが弟子たちに教えられた祈りとともに、祈り方についての教訓もありました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • もっとイエスのように:新たにされること

    今回の2つ前の記事、「神に似せて造られた」パート1と2で触れたように、イエスのようになるには私たちの「内なる人」――心、意思、情緒、思い(意識と潜在意識)、魂、霊――が新たにされる必要があります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―どのように祈るべきか(パート6)

    これは、山上の説教の中でイエスが弟子たちにどのように祈るべきかを教えられた箇所についての記事の最後のパートです。

    先回の記事では、私たち自身やクリスチャンである兄弟姉妹が必要とするものに焦点が合わせられた、3つある「私たち」のための願い事のうちの2つを扱いました。今回は、3つ目の願いに話を進めましょう。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―どのように祈るべきか(パート5)

    最初の3つの願いとして、神があがめられるように、御国が来るように、御心が天に行われるとおり地にも行われるように、という祈りを見てきましたが、ここで、次の3つの願いに移ります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―どのように祈るべきか(パート4)

    これは、山上の説教の中でイエスが弟子たちにどのように祈るべきか(また、どのように祈るべきではないか)を教えられた箇所についての記事のパート4です。

    主の祈りの導入部として、祈りの対象を「天にいます父」とした後、イエスはまず神の栄え、御国、御心に関する3つの願いを述べ、それに続いて私たちに必要なものについて3つの願いを述べられます。神に関する最初の3つの願いは、次の通りです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:神に似せて造られた(パート2)

    「神に似せて造られた」のパート1では、私たちが構成的かつ機能的に神に似せて造られたことに触れました。神と同様に理性的で道徳的な存在であるため、私たち は神がされるのと同じように考え、感じ、行動します。私たちには、考えるための知性(思い)や、ものを感じる心、そして自己決定能力があります。罪が人類 に入り込んだことで、人間は罪を犯さないでいる能力を損なわれ、私たちの罪が神と私たちの間を隔てるようになりました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:神に似せて造られた(パート1)

    本シリーズの初めのころに指摘したように、もっとイエスのようになるには、二つの方面における努力が必要とされます。罪を「脱ぎ捨て」、キリストを「身にまとう」ことです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―どのように祈るべきか(パート3)

    これは、山上の説教の中でイエスが弟子たちにどのように祈るべきか(また、どのように祈るべきではないか)を教えられた箇所についての記事のパート3です。

    イエスは弟子たちに、次のような「主の祈り」を教えられました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―どのように祈るべきか(パート2)

    イエスは、祈りの正しい動機とは神とコミュニケーションを取って交わりたいことであると弟子たちに教え、また、意味もなくくどくどと祈ることはやめるようにと忠告されて後、神との交わりの時に用いられる祈りを弟子たち(そして私たち)に教えてくださいました。

    通常、「主の祈り」あるいは「主祷文」と呼ばれているこの祈りは、山上の説教の一部として記録されています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:家を建てた二人の人(マタイ7:24–27)

    イエスは山上の説教で、ご自身の教えらておられたことの重要性を理解させるために、弟子たちに一つのたとえを話されました。山上の説教は、マタイの記述もルカの記述も[1] ともに、この家を建てた二人の人のたとえで締めくくられています。一人の家は持ちこたえ、もう一人の家は倒れました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―どのように祈るべきか(パート1)

    イエスは山上の説教で、正しい動機を持って祈ることについて話されました。他の人に気づいてもらおうとして祈るべきではないことや、そうする人にとって は、それ自体が報いであって、それ以上の報いを受けることはないと言っておられます。それから、どう祈るべきではないかを熱心に説き、さらに主の祈りを弟 子たちに教えて、正しい祈り方を示されました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―正しい動機(パート2)

    先回の記事では、正しい動機をもって宗教的な活動を行うことについて、イエスがマタイ6章であげられた3つの例のうち最初のものである、生活に困っている 人に施すことについて見てきました。次に、イエスは祈りと断食に話を移しておられます。何と言われたのかを読んでみましょう。先ずは祈りについてです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―正しい動機(パート1)

    信者の義がいかにしてパリサイ人の義にまさっていなければならないのかを詳しく述べたマタイ5章が終わり、これから6章に移ります。この章は、先ず、貧し い人に施すことや祈り、断食を例にとって、間違った類の「義」を扱います。6章の後半には、私たちの宝を天に積み、暮らしについて神を信頼するようにと の、イエスの指示が含まれています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 信仰の女性たち:今日の教会における女性

    本シリーズの初めの3つの記事に書かれているように、イエス、パウロ、そして初代教会は、当時のユダヤ人の宗教的、文化的な壁や性別の壁を打ち破りました。イエスは弟子たちに、ユダヤ民族だけではなく、すべての民に福音を伝えるようにと命じられました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 信仰の女性たち:使徒行伝と書簡に登場する女性

    イエスは宣教活動のあいだの女性とのかかわり方によって、女性に関する1世紀の伝統的、ユダヤ的な型を破られました。イエスの復活後、最初期の信者たちは、男女平等に弟子となれるし、福音の普及に携うことができるというイエスの考えを引き継いでいました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 信仰の女性たち:福音書に登場する女性(パート2)

    先回の記事では幾つかのことを見てきました。イエスが女性をいやされたこと。サマリヤ人と話をされると、彼女が証しをしたこと。ある姉妹との関係につい て、その一人は弟子としてイエスの足もとに座り、もう一人はイエスがメシアであり神の子であると認めたこと。今回は、女性に対するイエスの考え、ひいては 父の考えをあらわす別の出来事について読んでいこうと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 信仰の女性たち:福音書に登場する女性(パート1)

    (4つの記事からなるこのシリーズでは、新約聖書に登場する女性の役割を見ていきます。その目的は、キリスト教の初期において女性が果たした重大な役割と、今日の教会における女性の役割の重要性に光を当てるためです。)

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―敵を愛しなさい

    今回は、モーセの律法をより十分に理解できるようにと、山上の説教でイエスが与えられた6つの例のうち最後のものを見て行こうと思います。ここでイエス は、神の国に属する者は(前回の記事で説明したように)報復したり手向かったりしてはならないという考え方をさらに進めて、敵を愛するべきだと教えておら れます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:キリストの手本

    もっとイエスに似た者となれるように自分の生き様を変える方法を探ってみると、完全な神性を持っていた唯一の人間であるイエスご自身の生き様の手本に目を 向けなければいけないということがわかってきます。ご自身の父や他の人たちとの接し方も含めて、イエスがどのように生きられたかということから、方向性を 見つけるべきです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―無報復

    イエスは山上の説教を至福の教えで始められました。それは、心の貧しい人、悲しんでいる人、柔和な人、義に飢えかわいている人、あわれみ深い人、心の清い 人、平和を作りだす人、迫害を受けている人への祝福について語っています。イエスは、神の国に属する者がこれからどのような状態になるのかを教えておられ たのでした。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • どの翻訳の聖書がいいのか

    時おり、英語訳聖書はどの翻訳を使うのが最善だと私が考えるか、たずねてくる人がいます。他にも、欽定訳聖書だけが、使用すべき唯一の聖書だという個人的 信念について書いてくる人がいます。(キング・ジェームズ・オンリーと呼ばれる見解です。) 私はよく、聖書を読んだり研究したり、その言葉について黙想したりすることの必要性について書いてきたし、‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:神との交わり(パート2)

    先回の記事(『神との交わり、パート1』)で見てきたように、神との交わりを持つことが、もっとイエスのようになることの鍵です。この交わりにあって、私たちは神との関係を発展させ、愛と親近感を深め、真に神を知るようになります。神を知れば知るほど、もっと神と一緒にいたくなります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:種をまく人(パート2)(マタイ13:3–23)

    種をまく人のたとえのパート1では、教えを聞きに来た群衆に、イエスがこのたとえを語られたことを書きました。その後、弟子たちだけとおられたとき、彼らから、なぜたとえでお話になるのかと聞かれました。すると、イザヤ6:9–10(パート1に解説されています) にもとづいて説明し、続いてたとえの解き明かしをなさいました。このパート2では、その解き明かしを見て行きたいと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イースターを想う

    初めてのイースター(復活日)に起きた出来事は、私たちの世界に劇的な変化をもたらしました。神は人類と新しい契約を結ばれたのであり、その契約は私たち が神と永遠に共にいることを可能にするものでした。神の御子は私たちのために十字架上で死なれました。それによって私たちの罪が許され、神の家族の一員と なることが可能になったのです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:神との交わり(パート1)

    もっとイエスのようになりたいと願うなら、その基礎とするための根本原則を見つけておくと助けになります。どれだけキリストに似た者となっているのかは、私たちの決断や外面的な行動にあらわれますが、それは内面的にあなたがどうあるかということから生じます。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―誓願と誓い

    これまでに、怒りや情欲、そして離縁について語ったときと同じパターンに従い、イエスは、御国に属する者がどのように生きるべきかについて、また別の角度から教えておられます。こう言われました。また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように(パート4):神への忠誠

    もっとイエスのようになることを願うのであれば、その出発点は必然的に、イエスが信じておられたように自分も信じる、ということになります。イエスの信じておられたことを自分の心にしっかりと留め、自分の本質の一部とすることです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―律法と預言者(パート4)

    本題に入る前にお伝えしたいのですが、離婚という話題は非常に複雑かつ個人的なものであり、かなり感情的になりやすいものであるということを私は認識しています。長く続けるつもりだった関係が破たんし、あきらめなければいけないという悲運が耐え難い場合もあります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • もっとイエスのように(パート3):帆を上げる

    人生において、私たちがうまくやりたいと思うことは何でも努力を要します。何であれ特定の分野でトップの人が今の場所に到達できたのは、主に、そのために 懸命に努力してきたからです。クリスチャンがキリストに似た者となり、神が望んでおられるような人となるのにも、同じことが言えます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:種をまく人(パート1)(マタイ13:3–23)

    種まきのたとえは、共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)すべてに載せられている4つのたとえのひとつで、マタイ13章、マルコ4章、ルカ8章に書かれています。それぞれ表現の違いはいくらかありますが、言っていることは同じです。ここではマタイが書いたことをもとに説明し、その時に応じてマルコやルカから引用していきたいと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―律法と預言者(パート3)

    『律法と預言者』パート2では、律法学者やパリサイ人(ファリサイ派)が教えるものよりもまさった、神が見られる義とはどのようなものなのか、山上の説教でイエスがあげられた6つの例のうち最初のものである怒りと和解を取り上げました。今回の記事で見ていく二つ目の例は、心と思いの清らかさです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • もっとイエスのように:序文と背景(パート2)

    『もっとイエスのように』シリーズ序文のパート1では、神の御心にかなった、キリストのような生き方という概念について、旧約聖書や福音書に書かれている ことから説明してきました。パート2では、キリストのような生き方について書簡には何と書かれているかを中心に扱います。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もっとイエスのように:序文と背景(パート1)

    私がこれまでで一番好きな歌のひとつに「I Want to Be More Like Jesus」(もっとイエスのようになりたい)があります。この曲を聞いたり歌ったりするたびに、信仰の実践における重要な側面を思い出します。これはクリスチャンとしての信仰の旅路の重要な要素、つまりキリストと似た性質を人生で身につけていくことを含む短い祈りとしても歌えます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • クリスマスのための9つのデボーショナル

    クリスチャンにとって、クリスマスはとても大切なお祝いです。私たちの主の誕生と、それにまつわる様々な出来事を記念する、大いなる喜びの時です。クリスマスのイベントや家族の集い、また、助けを必要とする人たちへの奉仕が原因で、キリストの誕生という奇跡について考える時間を取らなくなってしまうことがあるのも、無理はありません。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • インマヌエル

    クリスマスは人類の歴史において最も重大な出来事の一つです。神がご自分の息子イエスという形となり、肉体をとってこの世界に来られたのです。神がこの世に来られたことの物語を告げるにあたり、マタイは、その福音書で、イエスの誕生に至るまでの出来事が‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:麦と毒麦(マタイ13:24–43)

    麦と毒麦のたとえはマタイの福音書にのみ出てくるもので、用語や概念に関してはマルコ4章にある成長する種のたとえ[1] に似たところもありますが、実際にはかなり異なったものです。旅をしながら説教をしている人が、似たような話をするのはよくあることでした。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 不安に感じていますか?

    つい最近読んだ記事にあったのですが、聖書で一番好まれている聖句はピリピ4:6–7だそうです。その聖句で、使徒パウロは教会に対し、このように教えています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―律法と預言者(パート2)

    パート1では、イエスが、神の国に住む人の義は律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければならないと言われたところを読みました。イエスはまた、「律法と預言者」(ヘブル語聖書)を廃止するためではなく、成就するために来られたともおっしゃいました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 気をそらされていますか? それとも集中していますか?

    私たちがこの現代社会においてとても苦労していることの一つに、「一番大切なことに集中する」という問題があります。私たちは気をそらすものに四方を囲まれており、注意を引こうとするものはどんどん増えています

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 5つの法則:自己規律

    「なまけ者の心は、願い求めても、何も得ない、しかし勤め働く者の心は豊かに満たされる。」 今日は、しばしば捕らえにくくもなりうる資質、自己規律について話そうと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―律法と預言者(パート1)

    イエスは山上の説教をされた際に、その多くの時間を「律法と預言者」つまりキリスト教では旧約聖書と呼ばれているヘブル(ヘブライ)語聖書について話すために割かれました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―塩と光

    イエスは山上の説教の出だしとして、ご自身に従う者たちがどのように信仰を実践すべきかの概要となる至福の教えを与えられました。山上の説教の残りの部分では、至福の教えを土台とするさらに深く詳しい原則を与えておられます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 3つのリマインダー

    現代社会でイエスに従う者として生きることは難しい課題ですが、私たちの思考や行動や毎日の日々が神の御旨に沿った原則に導かれている時には、舵をとって進むのがもっと楽になります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 5つの法則:勉強の秘訣

    「知恵を求めて得る人、悟りを得る人はさいわいである。」 2年前、私は神学の講座を受け始めたのですが、それはディレクターズ・コーナーで「そのすべての核心にあるもの」、「イエスが語った物語」、「イエス、その生涯とメッセージ」などのシリーズを書く際に素晴らしい助けになっています。

     

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―至福の教え(パート2)

    山上の説教にある至福の教えの最初の3つはすでに説明したので、残りの5つを見ていきましょう。

    義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教―至福の教え(パート1)

    マタイ5章には、このように書かれています。

    イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:山上の説教(序文)

    山上の説教(山上の垂訓)は、イエスの教えの中で最もよく知られているもののひとつです。イエスの教えの全容を表すものではありませんが、どのようにして神の国でクリスチャンとして生きるべきかの指針を与えています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:宝と真珠(マタイ13:44–46)

    マタイの福音書には、神の国について、他の福音書にはない短いたとえ話が2つ載っています。「畑に隠してある宝」と「高価な真珠」です。この2つは対になっており、神の国の価値と、それを見つけたときの喜びについて教えています。では、見てみましょう。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:神の国(パート3)

    この主題に関する先の2つの記事で説明されたように、神の国は現在の現実であり、かつ時の終わりに完成に至るものです。神の国に入るには、御子イエスを通 して神との関係を結ぶことが必要です。イエスはその死と復活により、サタンを打ち破って、すべての人が御国に入れるようにして下さいました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:神の国(パート2)

    パート1に書かれているように、イエスの奇跡は、イエスの公生涯のあいだに少なくとも部分的に神の国が到来し、存在したことを指し示すものでした。イエスはまた、ご自身の行動と教えを通して、神の国の意味をお伝えになりました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:神の国(パート1)

    共観福音書全体において、イエスの教えの中心テーマは「神の国」(御国)でした。3福音書のうちいずれかで76回言及され、さらに共通して言及されているのが27回です。[1] ヨハネの福音書では、神の国が5回言及されています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 5つの法則:時間管理

    「生涯がどんなに短いものか、私たちに気づかせ、知恵ある心を得させてください。」 昔から言われているように、時間というものは決して取り戻すことのできないものです。それで、聖書は「今の時を生かして用いる」こと、つまり「時間を最大限に活用する」ことについて語っているのです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:権威

    私たち信者は、イエスが神の御子であることをよく知っています。そして、私たちが神との関係を持てるようにと、私たちの罪のために死んで下さったことを。 イエスの生涯の出来事について読む時も、全体像をはじめから知っています。そのため、当時イエスの言葉を聞いたりイエスの生涯を目の当たりにした人たちが 感じた畏敬と驚嘆の念が、私たちにはないということが起こりがちです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:郷里に帰る

    3つの共観福音書は共に、イエスが郷里のナザレを訪ね、そこで拒絶されたときの話を載せています。ルカはこのナザレへの帰郷を、マタイやマルコがしたよりも前の方に記述していますが[1]、それはおそらく文学上の理由からでしょう。本記事ではルカの記述を詳しく見て行きます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:会堂と安息日

    福音書の随所に、イエスが会堂(シナゴーグ)で教えたりいやしを行ったりされたことが書かれています。イエスは安息日に会堂へ行くことを習慣としておられましたが、それは当時のユダヤ教徒にとって一般的なことでした。(現在でもそうです。)

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:種とパン種(マタイ13:31–33; マルコ4:26–29, 30–32; ルカ13:18–21)

    バプテスマのヨハネからバプテスマ(洗礼)を受けてしばらくした後、イエスは天の国が近づいたと宣べ伝え始められました。[1] 「天の国」(口語訳では「天国」)という言葉は、「神の国」と言い換えることもできます。1世紀のパレスチナに住むユダヤ人は「神」という名前を口にするのを控えており、そうしなくてすむように間接的な言い方をしたり、他の言葉で代用したりしていました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:舞台への登場

    ヨハネの福音書は次の言葉で結ばれています。イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。[1]

    このような誇張表現によって、ヨハネの福音書に記述されているのはイエスの言動の一部に過ぎないと著者は告げているのです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:弟子(パート2)

    宣教を始めてしばらくすると、イエスは弟子の中から12人を選び出し、使徒として任命されました。ルカの福音書にはこのように書かれています。「このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:弟子(パート1)

    洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)が逮捕されて後、イエスはガリラヤに戻り、ある時点で故郷のナザレからカペナウムに引っ越して、そこに住まわれました。

    ナザレを去り、…海べの町カペナウムに行って住まわれた。[1] 幾日かたって、イエスがまたカペナウムにお帰りになったとき、家におられるといううわさが立った…。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:婚宴とぶどう酒

    イエスの最初の弟子たちの話が終わり、次にヨハネの福音書に出てくるのは、ガリラヤのカナでの婚礼にイエスが参加されたときの話です。カナはナザレの北14kmほどのところにある町で[1]、ナタナエル(イエスの最初の弟子のひとり)の出身地です。[2]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:最初の出会い

    荒野の誘惑の後、イエスはガリラヤに戻って宣教を開始し、説教をしたり教えたり、奇跡を行ったりされました。マタイとマルコは共に、イエスが宣教を開始さ れたのは洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)が捕えられてからだとしています。おそらくそれは、イエスが洗礼を受けた後、ガリラヤに戻る前にしばらくの 間、そのあたりにとどまっておられたということなのでしょう。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イースターの奇跡

    一年のこの時期に、私たちは信仰の核心となる出来事であるイエスの復活を祝います。それは福音の中心となるテーマであり、イエスがお教えになった すべてのことの信頼性を証明する重要な要素です。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 誰が愚か者なのか?

    4月1日は、世界中数多くの国で、一般にエイプリルフールデー(4月バカ)として知られています。私がまだかなり若かった頃ですが、エイプリルフールと、誰が本当にバカ(愚か者)であるかについての考え方が変わりました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:教授法

    イエスは素晴らしい教師であり、聴衆を魅了し、メッセージを強烈に伝えるすべをご存知でした。イエスの教え方には、どこか聴衆を引き付けて耳を傾けさせるものがあったので、一度に何千人もの群衆が、イエスの話を聞くために幾日も留まっていたほどです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:福音書の違い

    本シリーズでこれまで扱ってきた出来事、つまりイエスの誕生、幼少時代、バプテスマ(洗礼)、荒野の誘惑は、すべてイエスが宣教を始められる前のことで す。イエスの公生涯、宣教、教えについて、福音書に何と書いてあるかを掘り下げて見てみる前に、福音書によってどんな違いがあるのかを説明するのは役立つ ことでしょう。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネとイエス(パート3)

    イエスの初期の宣教について調べる前に、イエスやヨハネ、またその弟子たちの間の関係や交流を見るためにヨハネの宣教の流れを追ってみようと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネとイエス(パート2)

    12歳のイエスが神殿に残っておられたという出来事から18年ほどが過ぎました。その間、「イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された」ことが記されています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 「アイラブユー」を毎日言おう

    特定の日に、周りの人たちに愛と感謝の気持ちを表すという習慣があります。それは、愛する人たちや友達への思いやりや温かな気持ちを思い出して、それを言葉で表すための日です。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネとイエス(パート1)

    ルカによる福音書の最初の方に、バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)の誕生にまつわる出来事、たとえば天使ガブリエルの御告げやヨハネの父ザカリヤの預言などが書かれているのを、私たちはすでに読みました。ヨハネの若い時については、「幼な子は成長し、その霊も強くなり、そしてイスラエルに現れる日まで、荒野にいた」 とだけ書かれています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:父と、いなくなった息子(ルカ15:11-32)

    ルカ15章にある3つめのたとえ話は、イエスが罪人たちと付き合っておられたことについて、律法学者やパリサイ人から受けた非難に対する答えの続きです。イエスは最初に、いなくなった羊と、なくなった銀貨について一対のたとえ話をされました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:若きイエス

    過去数回の記事ではイエスの誕生にまつわる出来事を扱ってきました。次は、イエスの誕生から宣教をお始めになるまでの年月に移ろうと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 新年--その喜び、充実、幸せ

    私たちは皆、信仰や人間関係、仕事、精神面などにおいて前進するための、数えきれない機会と可能性をもってこの一年を迎えます。当然、どの分野においても、進歩を遂げるには、決意‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの誕生(パート5)

    マタイとルカの両福音書にある生誕の物語は、イエスの誕生の物語を告げています。これらの記録はまた、神が救いのご計画によって何をなさっていたのか、ま た、その深遠な真理を映し出しています。神の御子がこの世に来られるという出来事の全体像をつかむには、ヨハネの福音書に少し目をやるとよいでしょう。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの誕生(パート4)

    マリヤがエリサベツを訪問した後、家に戻り、結婚の過程の二段階目としてヨセフの家に移り住んでから数ヶ月後、マリヤとヨセフはベツレヘムへと旅立ちました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの誕生(パート3)

    ルカは読者に、マリヤがエリサベツのところに滞在している間に起こった出来事の幾つかを知らせ、次に、マリヤが家に戻ったことを告げています。ルカはいったんマリヤの話を脇に置き、バプテスマのヨハネの誕生にまつわる出来事を描写し始めます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの誕生(パート2)

    イエスの誕生物語を告げるにあたって、ルカ書はまず、イエスの親戚であり、メシアの先駆者となる洗礼者ヨハネの誕生物語を語ります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの誕生(パート1)

    イエスの生涯の物語は、マタイとルカの福音書で告げられている、イエスの誕生についての話で始まります。しかし、ある意味で、それはずっと以前から始まっているのです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:統治者と宗教

    イエスの人生の始まりから死とその後に至るまで、東部地中海沿岸にあるパレスチナとその周辺地域は、ヘロデ朝が統治していました。これらの統治者はローマ帝国に従属しており、ローマから任命と許可を受けて統治していました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:時代背景

    イエスがお生まれになった頃の世界を良く知っておくことは、イエスの生涯に起きた出来事や、イエスに対する人々の反応に光明を投じてくれるでしょう。なぜある人々はイエスを愛し、信者になり、イエスに従い、弟子となったのか、またその一方、なぜイエスの教えを信じず、 イエスとそのメッセージに対して激しく戦った人がいたのかが、明らかになっていくのです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:4つの福音書

    福音書は、イエス・キリストの死と復活の数十年後に、当時の信者たちによって書かれました。彼らがイエスの物語を書き記してくれたおかげで、イエスの生涯、言動、救いの約束が失われることなく、何世紀にも渡って繰り返し伝えられてきました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:前書き

    しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:いなくなっていたのが見つかった(ルカ15:1-10)

    ルカ15章で、イエスは救われることや復帰(元に戻ること)に関する神のお気持ちを美しく表しています。イエスはご自分が罪人とつき合っておられることを擁護し、ご自分を非難・批判する人たちの態度にお挑みになるために・・・

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:王としもべ(ルカ19:11-27)

    マタイとルカの福音書の両方に、ある金持ちの話があります。彼は長い間留守にするので、その準備をして僕たちにお金を渡し、自分に代わってそれを管理するよう告げました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 霊的鍛錬:祝賀

    本シリーズで扱う最後の鍛錬は、祝賀です。祝賀は他の霊的鍛錬による結果なので、締めくくりとするのにふさわしいものでしょう。鍛錬を行う目的は、私たちの人生を変え、イエスに倣うことです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 決してあきらめるな!

    人生は時として辛いものです。全力を尽くして懸命に努力したのに、失敗し、目標に達することができない時、夢はかなわずじまいになり、あなたはもうこれ以上頑張れないと感じ、あきらめたくなってしまうものです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 霊的鍛錬:奉仕

    イエスはこの世界に来られるにあたり、ご自分を無にして、仕える者の姿を取られました。私たちはクリスチャンとして、主のように、クリスチャンである兄弟姉妹と他の人たちに仕えるよう召されています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:不正な家令(ルカ16:1-9)

    これは、お金や持ち物の使い方について語っている三つのたとえ話の内の、最後のものです。一つ目は愚かな金持ち、二つ目は金持ちとラザロの話でした。不正な家令についてのこのたとえ話は、最も理解し難いたとえ話の一つとして考えられています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 霊的鍛錬:日誌

    あなたはたびたび手を休めて、神との関係についてじっくりと考えたりしますか? 霊的生活における進歩や活力度や安定性を評価したり、自分がイエスの弟子としてどのように成長しているかを評価することはありますか?

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 報酬

    聖書全体を通して、色々な箇所に、忠実な者にはこの人生においても来世においても、報酬(報い)が与えられるという約束が数多くあります。しかし、これらの約束の本質は何なのでしょう。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 霊的鍛錬:学び

    学びとは一生涯のものであり、色々な意味で生活の質を高めるものです。私たちは勉強によって学んだり、経験によって学んだりします。子どもの頃の学校教育は基本を教えてくれ、さらなる学びのための手段を提供してくれます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:金持ちとラザロ(ルカ16:19–31)

    金持ちとラザロの話もまた、富とその使い方に対する正しい態度に関してイエスが語られた物語です。愚かな金持ちのたとえ話(以前に私が話したもの)と、不正な管理人のたとえ話(シリーズ次回)もまた、富というテーマに触れています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 霊的鍛錬:告白

    スコットランドの有名な格言に、「告白は魂のために良い」という言葉がありますが、まさにその通りです。主とのつながりを深め、神を中心とした生き方をしようとしている時、罪の告白は重要な役割を果たします。...

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 5つの法則:霊的成長

    彼は‥‥神を求めることに努めた。彼が主を求めた間、神は彼を栄えさせられた。肉体的に丈夫でいたければ、正しく食べ、運動し、肉体面での良い習慣をつけることに時間と努力を注がなければなりません。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 5つの法則:金銭管理

    主があなたの心の願いをゆるし、あなたのはかりごとを/ことごとく遂げさせられるように。」 [1]  ある牧師がかつてこう言いました。「経済的に正しい生き方をするのは複雑なことではありません。難しいかもしれませんが、複雑ではないのです。」

     

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 5つの法則:健康とフィットネス

    愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。私たちは代価を払って買われたゆえに、自分たちの体をもって神の栄光を表すよう求められています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 霊的鍛錬:交わり

    交わりといえば、私たちクリスチャンのほとんどは、他のクリスチャンと集まって、祈りや礼拝をしたり、歌ったり、聖書を読んだり、説教を聞いたり、話したり、食べたりなど、一般的に、霊的に高められ励まされる交流のことを考えます。念を理解することで、交わりの鍛錬の意味の洞察が得られるからです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:愚かな金持ち(ルカ12:13-21)

    愚かな金持ちのたとえ話は、これから「イエスが語った物語」で連続して取り上げる3つのたとえ話の一つであり、その3つとも、富や個人財産について触れています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 霊的鍛錬:福音伝道

    イエスは、よみがえられてから昇天なさるまでの間に、弟子たちに指示をお与えになりました。ルカは、40日に渡ってイエスが姿を現され、神の国について語られたと告げています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 誠実さ

    あなたは、誠実で、信頼でき、正直で、頼りになり、言ったことは実行する人とつながりを持ったり関わったりすることをありがたく思いませんか? 約束を守る人、あなたが何かプライバシーに関わることを言っても、それを内密にしておいてくれる人です。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 霊的鍛錬:礼拝(パート2)

    礼拝の鍛錬についての、この二番目の記事には、皆さんが礼拝する時に役立つと思われる、聖書に基づいた概念を幾つか掲載することにしました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 霊的鍛錬:礼拝(パート1)

    イエスは、井戸ばたでサマリヤ人女性と話していた時に、こうおっしゃいました。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 祝うべき理由

    今日のテーマはお祝いです。これは、感謝と賛美にも深く関係しています。歴史全体を通して、人類は大きな進歩や勝利、数々の重大な出来事を記念して祝い、あるものは今日に至るまで祝われています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 霊的鍛錬:孤独と沈黙

    私たちクリスチャンは、主の近くを歩み、主の性質と御旨に調和した生き方をし、他の人たちにとって祝福になりたいと願っています。霊的鍛錬は、このような努力全般において私たちの助けとなります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イースター:復活が状況を一変させる(パート2)

    イースターを祝うとき、私たちは神がいかにして救いをもたらしてくださったかを祝っています。人類への愛ゆえに、神は、私たちが神との永遠の関係を持つ事ができるようにしてくださいました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イースター:復活が状況を一変させる(パート1)

    イースター(復活祭)は、私たちのキリスト教信仰においてもっとも重要な出来事であるイエスの復活を祝う日です。なぜそれほど重要なのでしょうか。それは、使徒パウロが強調しているように、復活がなかったとしたら、私たちの信仰は無益なものとなるからです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 神の御旨に沿った決断をする、パート2:自分の決断について責任を負う

    重要な決断に迫られ、明確な導きを必要としているのに、神がまるでサイレントモードに切り替わったように、うんともすんとも言ってくれないと感じたことはありますか? まさに、重要な決断をする助けとなる的確な答えがほしい時に。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 神の御旨に沿った決断をする、パート1:神の御心を見いだす

    神の姿に似せて造られた人類の性質の一つに自由意志があり、そこには、決断をする能力と、その決断の結果についての責任の両方が含まれています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 霊的鍛錬:断食

    断食は、多くの人にとって難しい霊的鍛錬でしょう。私たちの多くがそうだと思いますが、私も何度か断食したことがあるものの、それはずっと前のことで、実際、もう何十年も前のことです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:情け深い雇い主(マタイ20:1-16)

    ぶどう園の労働者たちの話ともよく呼ばれている、情け深い雇い主のたとえ話は、神の性質と性格が持つ幾つかの側面を表すためにイエスが語った物語です。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 霊的鍛錬:祈り

    祈りという霊的鍛錬は、神との関係において鍵となる要素です。それは神とのコミュニケーションのための主要な手段だからです。私たちは祈りを通して、創造主と会話することができます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:不義な裁判官(ルカ18:1-8)

    不義な裁判官のたとえ話は祈りについてのたとえ話であり、よく、執拗な女の話とも呼ばれています。真夜中の友人のたとえ話とも類似点が多いので、「対」として見られることもあります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 霊的鍛錬:聖書を内に取り入れる

    神との関係を開花させたいと願い、霊的成長に関心があるクリスチャンは、神の言葉を読み、吸収することに費やす時間が極めて重要であることを認識しています。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 霊的鍛錬:前書き

    イエスの教えに沿った生き方をし、もっと主のようになろうとすることは私個人の目標であるし、きっと私たち多くの目標でもあると思います。私たちは、愛情深く、憐れみ深く、寛大で、ゆるしに満ち‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 時代を超えた不朽のクリスマスキャロル

    クリスマスで私が以前から大好きなのは、何世紀も前に書かれた美しいクリスマスキャロルを聴いたり歌ったりすることです。実際、キャロルはとても好きなので、一年を通して折にふれて聴きます。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • クリスマスのシャーローム

    キリスト生誕の物語で、私が最も美しく、胸躍らされ、意味深いと思う部分は、羊飼いたちに御使が現れてイエスの誕生を告げ知らせ、次に天の軍勢が神をほめたたえるという箇所です。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • クリスマスにまつわる類似性

    私たちの多くにとって、最初のクリスマスの再現シーンやクリスマスの劇によってであれ、聖書からクリスマスの物語を読むこと、あるいは主の誕生についての美しいキャロルを歌うことによってであれ、クリスマスの大切な特色とはイエスの誕生の物語を思い出す機会だということです。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • TFIの主要理念:「主に対してするように」生きる

    [TFI’s Core Values: Living “as unto Him”] November 26, 2013 ビデオ所要時間: 19:03 ビデオ・ダウンロード: High (141MB) Low (73.5MB) // オーディオ所要時間: 18:46 …

    著者:ピーター・アムステルダム

  • TFIの主要理念:多様性と革新

    すべてあなたの手のなしうる事は、力をつくしてなせ。霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。 務は種々あるが、主は同じである。働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • TFIの主要理念:霊的な解決策

    人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスの御名

    旧約・新約聖書全体を通して、「主の名前」が数えきれないほど幾度も言及されています。人々は主の御名で祈り、賛美し、誓い、戦い、祝福を授け、歌い、信頼し、恐れ、栄光を帰し、洗礼を受け、集まり、またその名を呼ばわりました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • TFIの主要理念:コミュニティー意識

    わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • TFIの主要理念:個の力

    兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • TFIの主要理念:人類への愛

    あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上にお いて、家の中のすべてのものを照させるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、

    著者:ピーター・アムステルダム

  • TFIの主要理念:弟子であること

    それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」。互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • TFIの主要理念:神の御霊の追求

    このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • TFIの主要理念:神への情熱

    わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」と。
    神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:真夜中の友と父の良き贈り物(ルカ11:5-8; ルカ11:9-13; マタイ7:9-11)

    福音書は、イエスご自身の祈りの手本と、祈りについて教えられたことの両方を通して、祈りについての基本的な教えを伝えています。3番目の福音書であるルカの福音書では、そのような教えの幾つかが11章にまとめられています。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:聖霊―御霊の賜物、パート2

    今回の記事は、パート1で始めた様々な御霊の賜物についての簡単な説明の続きです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:聖霊―御霊の賜物、パート1

    福音書の随所にイエスの人生と宣教が聖霊によって力を与えられていたことが書かれています。イエスの宣教が始まったのは、ヨルダン川でヨハネからバプテスマをお受けになり、天が開いて御霊が鳩のように下って来られた後のことです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:金を借りた二人の人(ルカ7:36–50)

    金を借りた二人の人のたとえ、あるいはパリサイ人と罪深い女のたとえとも言われている話が、ルカによる福音書7:36–50に出てきます。これは、愛と憐れみと感謝についての美しい物語です。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:聖霊―私たちの人生における聖霊の働き

    聖霊がペンテコステの日に最初の弟子たちの内に現れ、それ以降も信者たちに与えられてきたことは、ヨエル書にある預言の成就です。それは、ペテロが聖霊に満たされてから引用しているとおりです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:パリサイ人と取税人(ルカ18:9–14)

    パリサイ人(ファリサイ派)と取税人(徴税人)のたとえ話が書かれているのは、ルカ書の18章9-14節だけです。このたとえ話が触れていることのひとつは、救いについての基本要素です。では、まず物語に出てくる二人の登場人物を見てみましょう。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:聖霊―聖霊と歴史

    前回の記事では、聖霊がいかにして信者たちに下られたのかを説明する使徒行伝の様々な記述を読みました。その人が信じたとき、同時に聖霊が与えられたこともあれば、まずは信じて、後になってから御霊が与えられたこともあります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 失意に直面する

    私たちの人生にはそれぞれ、あの、失意の辛いトゲの痛みを感じることが何度かあります。それが起こる時は、とても耐え難いものです。聖書には、「望みを得ることが長びくときは、心を悩ます」とあります。‥‥

     

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:聖霊―聖霊と原始教会

    このシリーズの最初の2つの記事では、旧約聖書において、またイエスの生涯において、聖霊がいかにして特定の個人に、また特定の目的のために、下って来られたかを見てきました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:良きサマリア人(ルカ10:25-37)

    良きサマリア人のたとえ話を知っている方も多いと思います。けれども、現代社会の文化は紀元1世紀のパレスチナのものとはかなり異なっているので、この話の中にも理解していない部分があることでしょう。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:はじめに

    イエスは素晴らしい教師でした。自身の行動に裏打ちされたイエスの言葉は、地上での布教活動をしていた期間にも、またその後の2千年間にも、数えきれない人の人生を変えてきました。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:聖霊―聖霊とメシア

    前回の記事では、主の霊が旧約聖書においてどのようにあらわれたかを見てきました。神の霊は特定の人のうちに動き、その人に力を与え、預言をさせ、様々な 能力で塗油します。旧約聖書では全般的に言って、主の霊は特定の人に、また一時的にのみ、下ってきて交わりを持たれました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:聖霊―旧約聖書における聖霊の記述

    旧約聖書では、ひとつの神のうちに三つの位格、つまり父と子と聖霊とがあることは、まだ啓示されていませんでした。それはイエスの宣教、死、復活や昇天、そしてペンテコステの日の聖霊降臨などがあった時やその後になってから、啓示され始めたことです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イースター、昨日も今日も、いつまでも!

    イースターを間近に控え、私はイエスの復活とその重要性について深く考えていました。主が地上に生きている間に彼を信じていた最初の弟子たち全員にとって、それは何を意味したのでしょう? そして、現在、それは私たちにとって何を意味するのでしょう?‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:救い-あらかじめ定められているのか

    先回の記事では、救いは確実なのか、または救いを失う可能性があるのかということについて、プロテスタント内での異なる見解について書きました。救いに関するプロテスタント諸教派の様々な神学において、顕著な違いがもう一つあります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:救い-永遠の救い

    クリスチャンはすべて、イエスが人間の罪のために死なれたことや、十字架でのイエスの死という犠牲によって私たちが救われたことを信じていますが、その救いが永遠のものなのか、あるいはそれを失うことがあるのかということについては、教派によって信条の違いがあります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • マリヤとヨセフ

    先回のポッドキャストでは、マタイの福音書にあるイエスの系図に出てくる、男女関係において通常とは多少違うことをした旧約聖書の4人の女性を見ていきました。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • クリスマスにまつわる5人の女性

    もうすぐクリスマスですね。私とマリアは皆さんが素晴らしいクリスマスを過ごせるよう願っています。クリスマスが皆さんにとってとても特別な時となると共に、他の人たちのクリスマスも、皆さんがとても特別な時とすることができますように。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:救い-その結果-義認、養子縁組、再生

    救いに関するこれまでの記事で、神のあがないの計画がどのようなものなのかを説明する4つの概念について見てきました。その計画によって私たちが神と和解し、自分の罪に対する罰から救われることについてです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:救い-身代わりの犠牲と和解

    先回の記事では、あがないの供え物とあがないの代価を扱いました。それは、イエスの死がいかにして罪に対する罰から私たちを救い、神との和解を果たさせるのか、ということを理解するのを助けてくれる、聖書にもとづく4つの概念のうちの2つです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:救い-あがないの供え物とあがないの代価

    先回の記事 では、人間のあがないに関する神の計画が人類創造の前から据えられていたことや、それが神の性質の大切な部分である愛とあわれみと恵みとに根差していることがわかりました。今回は、もう少し具体的なことで、十字架上のイエスの死が、いかにして罪のゆるしと神との和解をもたらしたのか、イエスの死によって、いかにして罪のあがないがもたらされたのかを見ていきます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:救い-神の計画

    新約聖書の核となる教えは、聖書中で最も美しい節のひとつである次の言葉に見出されます。神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:罪-罪に程度の違いはあるのだろうか

    これまでのところで、「原罪」および自分たちが犯す「自罪」が、神に対する私たちの「法的」立場に影響を与えることがわかりました。私たちの犯す罪はすべて、神の聖さに対する違反です。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:罪-罪の影響

    人間は罪深い性質を持ち、普遍的に罪を犯すものなので、私たちは皆、罪の影響を受けます。罪は私たちの「法的」な立場に影響を与えます。つまり、神の御前に私たちを「有罪」の立場に置きます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:罪-人間の罪深い性質

    これまでの記事で、全ての人は罪を犯すことや罪は普遍的であることを聖書が教えていると説明してきました。聖書には、人間は生まれたときから罪深いと書かれており、それは、人間が罪深い性質を備えて生まれるということを示しています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:罪-この世における罪の起源

    罪に関する先回の記事で、罪が最初に被造物に入り込んだのは、天使の世界、つまり霊界であって、それは堕天使が罪を犯したときであると述べました。聖書は、創世記第3章にあるアダムとエバの不従順の話で、罪が物質世界に入り込んだ時のことを説明しています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:罪-罪とは何か

    これからいくつかの記事で、罪について取り上げたいと思います。罪の定義や起源、また罪が人間と世界に及ぼした影響を扱っていきますが、罪からのあがないに関する神の御計画についても触れます。(あがないについては、この一連の記事が終わってから詳しく説明します。)

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 神への恐れ

    最近、私は好奇心をそそられる、あるトピックに出くわしました。それは神への恐れです。聖書には神を恐れることについてかなり書かれているので、人によっては、それは神の怒りを受けることを恐れているという意味であり、神を怖がるべきだという印象を受けるかもしれません。...

    著者:ピーター・アムステルダム


  • ドライブ

    マリアが最近、私たちの旅行中に出会ってトラクトをあげた、レンというタクシー運転手について記事を書きました。その記事の中で、マリアはその日、旅程に遅れていたことに触れました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:人間-何のために人間が造られたのか

    人間に関する今までの記事で、神はこの地上にユニークな生物を造り出されたことを見てきました。ご自身にかたどり、似せて造られた生物です。そんな生物である人間には、神に似ているところがいくつもあることを知りました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:人間-物質と非物質

    聖書は、人間は物質的な要素と非物質的な要素とからできており、その両者が合わさって一人の人間という統一体をなしていると教えています。物質的な要素(体)と非物質的な要素(魂・霊)とが結びついて、一個の人間ができあがるのです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:人間-神のかたちと似姿に造られた(パート2)

    前回の記事では、罪が人類に入り込んだ時に起きた変化や、人間の中にある神のかたちと似姿の質が落ちたことについて説明しました。そのようなことがあっても、人間は以前のようにはっきりとではありませんが、神のかたちを今でもとっているのです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:人間-神のかたちと似姿に造られた(パート1)

    神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り‥‥。」 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し‥‥。[1] この聖句が述べているように、人間は(男女ともに)神のかたちに、神にかたどって(似せて)造られています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • マリアと私は、毎年開かれる財団の理事会とTFI関連のビジネスミーティングを終えて、スイスから戻ってきたところです。私たちが滞在していたファミリーメンバーの家からは、美しい湖とそれを取り囲む山々が見え、‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-結び

    神の性質と性格を調べてみると、神には多くの属性があり、その属性のすべてが神の本質であることがわかります。神は「部分的に」義であり「部分的に」憐れみ深いとか、時々忍耐があり、別の時には怒っている、というものではありません。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:人間

    創世記1章の天地創造の説明によれば、人間は最後に造られたものです。宇宙とその中にあるすべてのもの、つまり太陽や月や星や惑星、海陸、そして獣、魚、鳥も、すべて人間より先に創造されました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-神の全能性

    何もないところからすべてを創造された、つまり「無からの創造」(ラテン語で「クレアチオ・エクス・ニヒロ=creatio ex nihilo)をされた神は全能です。神の無限の力について英語で昔から使われている言葉は「omnipotence」です。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-神の遍在性

    神が宇宙とその中の万物を創造された時、物質やエネルギー、時間と空間をお造りになりました。私たちの住む世界は3次元の物質的な世界であり、物理法則に よって制限されています。この世界では、物質や肉体は一度に一箇所にしか存在できず、その存在する空間しか一度に占めることができません。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-神の全知性(パート2)

    先回の記事では、神の全知性について扱いました。神が持っておられる、神ご自身に関する知識、過去・現在・未来についての知識、仮説的知識(中間知、『あらゆる可能的なもの』についての知識)などです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-神の全知性(パート1)

    神は無限で至上の存在であるため、その知識は限りありません。完全にすべてをご存知です。それを表すために一般に使用される神学用語は英語で「omniscience」(日本語では「全知」)です。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-神の不変性

    神の不変性、つまり、変わることなく、常に同じであるということは、神性の一部です。それは、神の存在、完璧さ、決意、約束は、変わることがないということを意味します。神の性質や性格は変わることがないのです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-神の永遠性

    永遠性も、神の本質の一部です。神は永遠の存在です。宇宙の創造の前から、つまり時間が造られる前から、存在しておられました。神には始まりも終わりもありません。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-神の自存性

    聖書の一番最初の節や他の幾つもの節は、天と地が造られる前から神が存在しておられことを教えています。はじめに神は天と地とを創造された。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-神の愛

    今までの記事で、聖性、義、公正、怒り、憐れみ、忍耐、恵みといった、神の様々な属性について書いてきました。今回は、神の愛についてです。皆に愛されている聖句のひとつに第1ヨハネ4:8があり、それは「神は愛である」と語っています。たしかに、神は愛です。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-神の怒り

    これまでの記事で、神の完全な聖性義と公正が、神の性質と性格の一部であることを見てきました。悪や罪に対する神の怒り、憤りも、神の性質のなくてはならぬ一部なのです。神は聖なる方なので、聖や善を喜ばれ、神の本質そのものが罪に反対しています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 壮大な物語

    今回の記事では、福音のメッセージの背後にある物語について話したいと思います。これは皆さんにとってもすでに馴染みのある物語、あなたの人生を変えた物語です。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 愛し、生き、宣べ伝え、教える:結び

    弟子としての4つの要素である「主を愛する」、「主の教えに生きる」、「主を宣べ伝える」、「主について教える」を話していく中で、私は、活発なクリスチャン、つまりキリストの弟子であることの原則に重点を置いてきました。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 愛し、生き、宣べ伝え、教える:主について教える

    本シリーズではすでに、弟子の要素である「主を愛する」、「主の教えに生きる」、「主を宣べ伝える」の3つを取り上げました。今回のテーマは、最後の要素である「主を教える」です。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 愛し、生き、宣べ伝え、教える:主を宣べ伝える

    これまで、弟子であることの二番目の要素である「主に生きる」と、それに関連する9つの原則(イエスにつながる、愛、団結、謙遜、心配しない、ゆるし、交わり、寛大さ、祈り)までをカバーしました。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 愛し、生き、宣べ伝え、教える:主の教えに生きる、パート5

    「主の教えに生きる」について、ここで最後にとりあげる原則は、「祈りの原則」です。これは「主の教えに生きる」の他の原則すべてに結びついているともいえる、クリスチャンの生き方の中心となる原則です。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 愛し、生き、宣べ伝え、教える:主の教えに生きる、パート4

    シリーズ先回までの3つのセクションでは、主の教えに生きることに関連した9つの原則を扱いました。それらは、つながること、愛すること、‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-忍耐、憐れみ、恵み(パート2)

    神の憐れみとは、苦難や悲痛を味わっている人、助けを必要とする人に対して示される神の愛や優しさであると理解することができます。それは、受けるにふさわしくない人にも示されるのです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-忍耐、憐れみ、恵み(パート1)

    聖なる方であり、義であり、公正であるのみならず、神はその性質と性格において忍耐強く、憐れみと恵みに満ちた方です。旧約聖書では、この3つの属性がよく一緒に語られています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 愛し、生き、宣べ伝え、教える:主の教えに生きる、パート3

    今回の記事でも引き続き、「主の教えに生きる」ことに関連した原則を幾つか見ていきたいと思います。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 愛し、生き、宣べ伝え、教える:主の教えに生きる、パート2

    引き続き、弟子であることの、「主の教えに生きる」という側面について話し合っていきましょう。すでに、「つながっていることの原則」、「愛することの原則」、「団結の原則」をカバーしましたが、今回は‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 愛し、生き、宣べ伝え、教える:主の教えに生きる、パート1

    先回の記事では、弟子であることの最初の要素、「主を愛する」を取り上げました。今回は、二番目の要素、「主の教えに生きる」に移りたいと思います。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 愛し、生き、宣べ伝え、教える:主を愛する

    本シリーズ最初の記事で、私は、弟子であることの4つの基本的要素である、「主を愛し、主の教えに生き、主を宣べ伝え、主について教えること」を通して、弟子であるとは何かを扱っていくと説明しました。...

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 愛し、生き、宣べ伝え、教える:前書き

    このシリーズは、私が2011年に行った談話に端を発しています。本シリーズに書かれてあるメッセージには、基本的でありながら極めて重要なポイントがカバーされています。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-神の義と公正

    神の属性の中でも、神の聖性(聖なること)と関係の強いものは、神の義です。義とは、正しさ、善性、徳、道徳的正しさです。神の義には公正(正しさ、正義)も含まれます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-神の聖性

    神は、他のいかなるものとも違う存在様式を有します。創造されておらず無限なのは神のみであり、他の全ては創造されており、限界があります。そのように、神はどんな被造物とも異なった存在なのです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-神は霊

    ヨハネ4章で、イエスが井戸のところでサマリヤの女にこう話しておられます。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。[1]イエスは、神は霊であると言われました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-生ける、人格をもった神

    このシリーズでは、神の性質、存在、性格の様々な側面を扱っていきます。最初に、神は生きており、人格があること、そして、それが私たちにどんな意味を持つかを見ていきましょう。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格

    このシリーズの「三位一体」のセクションでは、父、子、聖霊という、三位一体の神の三つの位格について取り上げました。...

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:受肉(パート3)

    先の記事では、最初の7世紀の間に教父たちがどのように受肉の教義に取り組んだかを見てきました。ロゴスであり、子なる神であるイエスが、完全に人間でもある、ということはどういうことなのか、‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:受肉(パート2)

    イエスの位格や、その人性および神性を神学的に定義しようという試みは、おもに二つの時期に起こりました。最初は4−5世紀で、次は19−20世紀です。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:受肉(パート1)

    「神・人」及び「三位一体」の記事において、イエスの神性、つまり、イエスは真に神であるという聖書の真理を探ってきました。この「受肉」についての記事では、‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスのように

    時折、私は自分が生きていく上でイエスの教えをどう当てはめるべきか、考えたり祈ったりします。そうするのは賢明なことだと思うのです。最近、どうすれば毎日の生活に信仰をもっとうまく適用できるかを黙想していました。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:三位一体(パート3)

    三位一体の教義のパート1と2で見てきたように、これは理解するのが簡単な教義ではありません。一部は、私たちの論理的思考による理解の域を超えており、つまりは奥義(神秘)なのです。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:三位一体(パート2)

    「そのすべての核心にあるもの:三位一体」のパート1では、神は父、子、聖霊という三つの異なる位格からなる存在であり、それぞれが完全なる神性を備え、神のすべての属性を有していること、また、それでいて神は一つであることを見てきました。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:三位一体(パート1)

    「そのすべての核心にあるもの」シリーズの最初の二つの記事では、新約聖書においてイエスの神性、つまりイエスが神であることが明らかにされていることを見てきました。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 主は生きている!

    それは弟子が召しに応えて主に従うようになってから3年ほど経った頃でした。召しに応えた時の経緯は、さまざまです。ナタナエルは、彼こそがほんとうのイスラエル人であり、その心には偽りがないと言われました。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:「神・人」(パート2)

    「神・人」のパート1では、ご自身の神性を明確にされたイエスの発言や行動を幾つか取り上げました。

    イエスが地上でのミニストリーをされた何年かの間、彼と共に暮らし、働き、彼のことを近くから見てきた弟子たちは皆、‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:「神・人」(パート1)

    クリスチャンとしての私たちの信仰の核心は、「イエスとは誰か」という、シンプルながら非常に重要な質問に対する答えに基づいています。私たちの信仰を理解し‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:はじめに

    イエスについて私が特に素晴らしいと思うのは、人生を変える救いの贈り物が、心から信じて求めるすべての人に制限なしで与えられていることです。キリスト教の教義をごくわずかしか知らない人でも、‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ゆるしと救い

    以前にゆるしをテーマに2つのポストを書いた時には、1) 他の人をゆるす、2)自分にしてほしいように他の人にすることによって、ゆるされなくていけない状況を避ける、という2点について書きました。このポストでは、ゆるしの原則が救いとどう結びつくかについて取り上げます。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • もう一つの面

    先回の記事で、私はゆるしの大切さについて書き、自分が神にゆるされたければ、人があなたに罪を犯した時もゆるさなければならないということを説明しました。‥‥

     

    著者:ピーター・アムステルダム


  • ゾッとする思い

    書きもののプロジェクトのために調べものをしていて、あるものを見つけ、ギクッとしました。これまで何百回も読み、耳にし、引用してきた聖書の節なのですが、それについて深く思い巡らし、実際にどう適用できるかや、それを無視するならどれほど悪い結果を招くかを考えた時・・・

    著者:ピーター・アムステルダム

  • あなたはサンタクロースですか?

    もうクリスマス・シーズンですね。一年の内でも素晴らしい時期です! 私は毎年のこの時期が大好きです。というのは、クリスマスが近づくと、みんな、他の人たちのことをもっと気にかけるようになるからです。・・・

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ねばり強くあることの報い

    過去何年か、私は親しい友人たちが主に素晴らしく祝福されるのを見てきました。これらの友人や仕事仲間の中には、ものすごく大変な試練の連続とも思えるような状況を通ってきた人たちがいます。彼らは、多くの困難、失望、満たされない夢や願望に直面したのでした。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 自己防衛

    最近、イギリスで制作された、第二次世界大戦初期についてのテレビ番組を見ました。ナチスがフランスを破り、イギリスはナチスが間もなく侵略してくると考えました。...

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 神はどれだけ気にかけておられるのか

    最近、ほんの1週間の間に3人の人が別々に、3つの関連しあった事を話しているのを聞いて、神が私の人生にどう関わり、関与しておられるかを考えさせられました。・・・

    著者:ピーター・アムステルダム