忍耐力を成長させる

4月 18, 2023

著者:マリア・フォンテーン

[Growing in Perseverance]

March 21, 2023

最近、ある人が、他の人たちを助けるためにチームで行っている活動を遂行する上で直面した、かなりトラウマになりそうな体験について話してくれました。私はそれを聞いて、イエスに従う私たちの人生において、忍耐という資質がいかに重要であるかを考えさせられました。

私たちは、主が示してくださることに対して信仰を持たなければなりません。主が送ってくださる所に行き、主が私たちにとどまることを望んでいる場所にとどまっているには、主に従う忍耐が必要です。主に道を導いていただくには、信頼を要します。人生にどんな困難が訪れようとも、そういった時こそ、忍耐の訓練場であることが多いのです。なぜなら、イエスが言われたように、「小事に忠実な人は、大事にも忠実である」からです。(ルカ 16:10)

この人生においてどんな未来が待ち構えているのかを知っている人は、一人もいませんが、どんな形で聞こえてくるものであれ、主の声に従い、信仰を持って忍耐し続ける必要があります。私だったら耐えられるかどうか分からないような、忍耐力や信仰が極限まで試される状況に直面しても、それに耐え続けている人がいます。しかし、どんな困難に直面したとしても、解決策は同じなのです。イエスに目を向け、御心を求め、何であれイエスが示してくださることを忠実に実行することです。

イエスは、私たちがイエスにしがみつくなら、忍耐するために必要なものを与えると約束されています。冒頭で紹介した人のように、私たちの多くが想像もできないようなトラウマや苦痛、苦悩に直面している人たちを救い、ケアしながら、かなり悲惨な状況下で活動している人がいます。そのように他の人を助ける人たちにとっても、トラウマになりかねないことがあるし、時には相手の苦悩によって心が引き裂かれることもあります。それでも、彼らは戦い続け、与え続け、たゆまず活動を続けるのです。

ある人々が耐えている計り知れない喪失感や苦悩を、他の人が完全に把握することはできません。しかし、神を愛する者が、どんなことが起こっても神にすがることができるのは、信仰から生まれる忍耐力のおかげだと、私は信じています。

どんな苦境に直面しても、必ず通用する原則があるように思えます。ですから、私がこれから挙げようとしている例は、ある人たちが直面しているはなはだしい試練に比べれば小さなことに思えるかもしれませんが、原則は同じです。違うのは、その苦境の困難さの度合いと、それを乗り越えるための忍耐力の高さです。忍耐の成長における一歩一歩が、次の戦いとその結果としての勝利に備えます。私が話していることの一例を挙げると、エドガー・ゲストの『Don’t Quit!(諦めないで)』という詩があります。この詩に表現された考え方は、私たちが直面するどんな困難にも適用できることでしょう。

物事が悪い方向に行く時(時々そうなるものだよ)
重い足取りで歩いている道が、ずっと上り坂に見える時
手持ちのお金は少なく、借金がふくらむ時
笑顔でいたいのに、ため息をついてしまう時
心配事がのしかかり、落ち込む時
必要なら休もう、でも、諦めてはならない

成功は失敗が裏返ったもの
疑いの雲の端に輝く銀色の光
どれだけ成功に近いのかは分からない
遠く見える時、実は近いのかもしれない
だから、強烈な一撃を食らっても、戦い続けなさい
そういう時にこそ、諦めてはならないのだ

ある人が、忍耐することの大切さと価値について理解するようになったという、分かりやすい話を見つけました。私たちも、神が私たちに求めておられると信じていることに、この原則を適用することができます。

ある男性が、街角でトラクト配布をしましたが、数ヶ月経っても結果が出なかったので、諦めて、ビジネスに人生を捧げることにしました。その数年後、彼は同じ街角を通りかかり、トラクトを配っている若者を見かけました。

「彼は、自分のやっていることで誰かに変化が起こると思っているんだな。そんな努力は無駄だと気づくのに、どれくらいかかるのだろう。」

興味が湧いたので、彼はその青年に話しかけてみました。「あなたのやっていることは立派だと思いますが、一つ知りたいことがあります。なぜ、この特定の場所でトラクトを配っているのですか。」

「実は、何年か前に、この場所でトラクトを配っている人がいて、私にも1枚くれたんです。すぐにではなかったのですが、ある日、それを読んでみた後、イエスを救い主として受け入れました。そして、イエスが人生を変えてくださったんです。その人がくれたトラクトを、あなたも読んでみませんか。」

彼は、その青年から、かつて自分が多くの人に配っていたトラクトを手渡されました。自分の努力が誰かの人生を変えるとは思いもせずに配っていた、あのトラクトを。

考えさせられる話です。もし、1人の人生が変えられたなら、他に何人の人がその小さなトラクトを通して主を受け入れたことでしょう。

イエスが示してくださったことをする上での忍耐は、祈りの生活や、仕事やミニストリーを忠実に行うこと、誰かの世話をすること、また、平凡に見えたり、犠牲や困難が伴ったりするので、かなり諦めたくなるような仕事にも表れます。イエスのために生きる上で忍耐を示すことは、神への無条件の信仰と信頼を宣言することです。そして、忍耐し続けることで、私たちは自分の周りの世界を変えることができ、そうやって世界を変えることができるのです。

忍耐してやり抜く上での代価について、あるメンバーと話し合っていた時、彼はある詩を引用してくれたのですが、それを通して、主が私に語りかけておられるように感じました。主には不可能がなく、私たちが忍耐を続けられるように助けることもできるということを、再認識させてくれたのです。面白いことに、この詩もまた、エドガー・ゲストの作でした。私はこの詩で励まされたので、皆さんにも紹介したいと思います。

誰かが「そんなことはできっこない」と言うと
彼は含み笑いでこう答えた
「そうかもね」、彼はそう言いつつも
自分がやってみるまで断言はしない人
かすかに笑みを浮かべて、事にあたった
心配するそぶりは見せずに
歌いながら、できっこないことに取りかかった
そして、やり遂げたのだ

嘲笑する人がいた、「ああ、絶対にできないよ
少なくとも、誰もやったことがないんだから」
でも、彼は上着を脱ぎ、帽子をとって
あっという間に、それをやり始めた
顎を上げ、わずかに笑い
疑うことも、言い訳することもなく
歌いながら、できっこないことに取りかかった
そして、やり遂げたのだ

できっこないという人は何千人もいる
失敗を予言する人は何千人もいる
あなたを待ち構える危険について
一つ一つ指摘してくる人は何千人もいる
でも、少し笑みを浮かべて、事にあたろう
上着を脱いで、やってみよう
歌いながら、できっこないことに取り掛かるんだ
そうすれば、やり遂げられるから

私が話していた人は、何年も前に、主のために進み続けることもできないような状況に直面した時、この詩に出会ったと説明してくれました。それはまさに、彼が気付かされる必要のあることだったと。彼はその詩を暗記し、それが、困難な時を忍耐して切り抜けるのを助けてくれたそうです。

イエスは、あらゆるものを用いて、私たちが人生でどんなことに遭遇しても、忍耐強く乗り越えるのを助けてくださいます。言うまでもなく、神の約束こそが、私たちが立っているべき究極の土台です。しかし、主は他にも、戦い続けることを思い出させ、そうするよう励まし、動機付けるさまざまなものを使われるのです。

主が私たちに求めておられることを忍耐強く行えるようにしてくれる重要な心の持ち方の1つが感謝です。非常に困難な状況下では、感謝の力を見失いがちになります。しかし、実際のところ、もし神がこれ以上賜物や祝福を与えてくださらなかったとしても、私たちは神にお返ししようとしてもできないほどに恩を感じていることでしょう。それが、純然たる事実です。

今、私たちがどんなことに直面しているのであれ、忍耐して神に従うべき理由は数え切れないほどあります。私たちには、どんな時にも愛情深い腕の中に私たちを留めておくことを喜ばれる、完璧な神がおられます。私たちが最も必要とするものを与えてくださるし、その赦しとあわれみは、とこしえからとこしえに続きます。

現在の状況は希望がなく、絶望的に見えるかもしれませんが、それでも事実が変わることはありません。疑いそうになったら、その誘惑と戦わなければならないのですが、そのような時には、信仰と忍耐の助けによって、諦めないで頑張ることができます。

忍耐の力については、聖書にある数多くの話を始め、さまざまな証言や物語、本、映画などに、良い例が見られます。多くの場合、そこに描かれているのは、状況や不正によってもたらされた、敗北が確定しているような、どうしようもないほどの難局です。そのように劇的な状況においては、神の人、あるいはヒーローやヒロインが、状況に圧倒され、煙や混乱、廃墟などに姿を消していきます。

すると、私たちにはすべてが失われたように見え、心が沈んで絶望しそうになります。なぜなら、そのような事態を切り抜けられる人がいるのか、想像もつかないからです。しかし、煙と廃墟の中から、垣間見えるものがあります。希望の光が見え始めるのです。そして、もくもくと立ち上がる煙の中から、ボロボロで血だらけになった勝者が現れ、絶対に諦めまいと、戦い続けるのです。

それは、忍耐力がどんなものかをよく表しています。そのような例は、多くの人を鼓舞すると思います。なぜなら、イエスが私たちの心に植えてくださった真理の種は、私たちがイエスにしがみつき、忍耐強く戦い続けるなら、私たちの内にある主の力が状況を乗り越えていくのだと気づかせてくれるからです。

人は、信仰という名の偉大で圧倒的な資質を持っていなければならない、と感じることもあるかもしれません。この「信仰とは何か」という主題については、別の記事でさらに掘り下げていこうと思いますが、要するに、神への信仰とは、ただ神があなたに対して抱いておられる愛を信じ、信頼することです。

私たちの信仰は、ここで私が定義したように、たとえ、成功していないようであっても、また、今すぐに目に見え、測定できるような進歩を遂げていないようであっても、イエスのための奉仕を忍耐強く続けるために必要なものです。たった今ここで、最後までやり遂げるべきだと主が明言されるのであれば、私たちはやり続けることができるということです。私たちは長い間(あるいは次の世まで)、忍耐によって何が成し遂げられたのか分からないかもしれません。だからこそ、聖書には、「わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。」と書かれているのです。(2 コリント 5:7)

戦いのさなかにある時、私たちが信仰によって進み続けるのを主は望んでおられるということを、もう二度と聞きたくないと感じることもあるでしょう。私たちは皆人間であり、進み続けるのが苦しく感じる時があるものです。時には、しばらく絶望に沈んでしまうことさえあるかもしれませんが、そのような状態に陥った時の答とは、もう一度起き上がることです。「七転び八起き」という日本のことわざのように。

私は最近、何ヶ月も前に聖句や名言をまとめておいたものを見つけました。これが皆さんにとって祝福となり、勝利が見えるまで忍耐し続けるために必要な余分の力を与えてくれることを願っています。

* * *

忍耐力は、辛抱強さ以上のものだ。それは、神が語っておられることは実際に起こるという絶対的な保証と確信が辛抱強さに結びついたものなのだ。—オズワルド・チェンバーズ

根気よく進み続けることで、カタツムリは箱舟にたどり着いた。—チャールズ・スポルジョン

何かを成し遂げようとするのであれば、成功は、何かをつかみ取った時の輝きや勢いにではなく、つかみ取った後に持ち続ける、永続的で神聖な闘志にかかっていることを、心に留めておいてほしい。—A・B・メルドラム博士

失敗を保証する唯一のこと、それは努力するのを止めることだ。—ジョン・C・マクスウェル

偉大な仕事は、力によってではなく、忍耐強く続けることによって成し遂げられる。—サミュエル・ジョンソン

祈りに対する答えが遅れても、それは、神が無関心であるという意味ではなく、ご自身のタイミングについて、より大きな目的を持っておられるということだ。神を信頼しよう。—リック・ウォレン

祈りの成功には、他のあらゆる分野での戦いと同様、忍耐が不可欠な要素である。—E・M・バウンズ

状況がどれほど暗く絶望的に見えても、祈りを止めてはいけない。—ビリー・グラハム

執拗に神に従おうとする信仰は、神に喜ばれる信仰でもある。—フランシス・フランジパン

祈ることが自分にできる最後の手段だと思える時でさえ、祈ることを止めるのは、どんな場合にも早すぎる。—ハロルド・リンゼル

粘り強い祈りは、神を変えるわけではない。答を受けられるように私たちを形作ってくれるのだ。—ビル・ジョンソン

働きにすべてがかかっているかのように働き、祈りにすべてがかかっているかのように祈りなさい。—ウィリアム・ブース

天国への道は、上へと向かっている。辛くて疲れるものであり、私たちの肉が持つ偏見に反するものであっても、上り坂を進むことに満足しなければならない。—ジョナサン・エドワーズ

障害物とは、ゴールから目を話した時に見える恐ろしいもの。—ヘンリー・フォード

決して諦めてはいけない。諦めそうになる場所と時にこそ、潮の流れが変わるのだから。—ハリエット・ビーチャー・ストウ

私たちは常に、加熱炉の中か金床の上にいる。神は試練によって、私たちをより高いものに形作っておられるのだ。—ヘンリー・ウォード・ビーチャー

粘り強く祈るとは、神の気が進まないというのに、それに打ち勝とうということではなく、神が喜んでしてくださることは何なのかを見出すことである。私たちの主権者である神は、御心を成し遂げる手段として、時には粘り強い祈りを必要とするようにされた。—ウィリアム・スラッシャー

地獄を通っているのなら、立ち止まらずに進み続けなさい。—ウィンストン・S・チャーチル

幾度も敗北に遭遇するかもしれないが、敗者になってはいけない。むしろ、敗北に遭遇することで、自分が何者なのか、どんな状態から立ち上がれるのか、どうすればまた切り抜けられるのかを知ることができるのかもしれない。—マヤ・アンジェロウ

私は、主の仕事をすることで疲れてはいるが、主の仕事に対して疲れてはいない。—ジョージ・ホウィットフィールド

過去に逆境に立たされ、戦ってそれを乗り越えたことがなかったなら、忍耐力は身につかない。苦痛は目的に、苦しみは満足に、敗北は決意に、悲しみは共感に、絶望は天の勝利に、変えられる。その一つひとつが、信仰から生まれる忍耐力の下に征服される時に。—不詳

* * *

記事の最後に読むものが、一番記憶に残ることが多いものです。そこで、イエスに従う決意と忍耐を鼓舞してくれる聖句で締めくくるのがいいのではないかと思いました。

だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。—ヘブル 10:35–36

[わたしは]ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。—ピリピ 3:12–14

こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。—ヘブル 12:1–3

それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。—ローマ 5:3–5

わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。—2テモテ 4:7–8

また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを、動くことなくしっかりと持ち続け[ようではないか。]—ヘブル 10:23

試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。—ヤコブ 1:12

わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。—ガラテヤ 6:9