'信条' というタグの付いた記事
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信条(パート10)
父なる神、御子イエス、そして聖霊に続き、ニカイア・コンスタンティノポリス信条が最後に扱うのは、極めて重要なキリスト教信仰の4つのポイントです。
私たちは、唯一の、聖なる、公同の、使徒的な教会を信じます。私たちは、罪のゆるしのための唯一の洗礼を認めます。私たちは、死者の復活と来たるべき世の命を待ち望みます。アーメン。
著者:ピーター・アムステルダム
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信条(パート9)
前回は、イエスが再び来て(再臨)、生者と死者とを裁き、その国は終わることがないという未来の出来事について見てきましたが、今回、ニカイア・コンスタンティノポリス信条が扱うのは聖霊(御霊:みたま)です。
次のように述べています。
著者:ピーター・アムステルダム
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信条(パート8)
ニカイア・コンスタンティノポリス信条は、イエスが復活して天に昇り、その天で父の右に座しておられることを述べた上で、次のように、聖書で預言された未来の出来事に触れています。
主は、生者と死者とをさばくために、栄光をもって再び来られます。その国は終わることがありません。
著者:ピーター・アムステルダム
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信条(パート7)
前回の記事では、「ポンテオ・ピラトのもとで、私たちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ」 という箇所について話しましたが、その後は、「聖書にあるとおり三日目に復活し」 と続きます。これは、使徒パウロが第1コリント15:4で書いた、「聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえった」 という言葉と同じことです。
著者:ピーター・アムステルダム
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信条(パート6)
ニカイア・コンスタンティノポリス信条に関する本シリーズの前回記事では、イエスが「私たち人間のため、また私たちの救いのために天より下」 られたことに焦点を当てました。本信条の次の部分は、イエスの誕生、生涯、死、復活、昇天という主要な出来事についてです。
著者:ピーター・アムステルダム
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信条(パート5)
ニカイア・コンスタンティノポリス信条は、「父と同質」である神の子としてのイエスの神性について述べた後、イエスの人性と生涯の出来事(死んだ際の状況、復活、昇天、その後)を扱います。
著者:ピーター・アムステルダム
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信条(パート4)
本シリーズのパート3では、ニカイア信条でイエスを「唯一の主イエス・キリスト」と呼んでいる箇所について見てきました。イエスは、神性を表す「主」という呼称で呼ばれています。「イエス」という名前は、人々を罪から救う者であることを示し、「キリスト」という称号は、油を注がれた者、つまりメシアとしての使命を示しています。
著者:ピーター・アムステルダム
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信条(パート3)
先回の記事では、ニカイア・コンスタンティノポリス信条(以後、「本信条」)の最初の部分、「私たちは、唯一の神、全能の父…を信じます」 について説明しました。今回は、それに続く、「天と地と、すべての見えるものと見えないものの造り主を信じます」 という部分に焦点を当てていきます。
著者:ピーター・アムステルダム
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信条(パート2)
ニカイア・コンスタンティノポリス信条(以後、「本信条」)には、キリスト教の主要教理が比較的短い声明の形で要約されています。ほんの数センテンスの中に、神に関するキリスト教信仰の土台が示されているのです。キリスト教の教理すべてを扱っているわけではありませんが、クリスチャンとなるために信じなくてはいけない、神に関する基本的な事柄を述べています。
著者:ピーター・アムステルダム
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信条(パート1)
キリスト教の歴史を通じ、様々な信仰声明によって、キリスト教信仰の基本的信条が比較的短い文章に要約されてきました。全般的に「信条」と呼ばれるものです。英語の「クリード(creed/信条)」は、「私は信じる」を意味するラテン語の「クレド」に由来します。
著者:ピーター・アムステルダム