'救い' というタグの付いた記事

  • 第1コリント:第1章(17-25節)

    パウロは、このように書いています。「キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである。」

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ガラテヤ書:第6章(6-18節)

    これは本シリーズの最後の記事であり、パウロがガラテヤの信徒たちに宛てた手紙の最後の章を取り上げていきます。

    御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ガラテヤ書:第6章(5:25–6:5)

    今回説明する最初の2つの節は、ガラテヤ書第5章の一部ですが、ほとんどの解説者は、これを第6章の最初の2節と捉えています。そこで、ここでもガラテヤ書第6章に含めて説明していきます。…

    著者:ピーター・アムステルダム


  • ガラテヤ書:第5章(13-24節)

    前回の記事では、第5章の前半、第12節までを扱いました。今回は第13節から引き続き説明します。

     兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ガラテヤ書:第5章(2–12節)

    使徒パウロは、ガラテヤの信徒たちに対し、彼らはキリストを信じる信仰によってモーセの律法を守ることから解放されていると教えました。しかし、彼らは割礼を受ける必要があると信じて、古い契約に立ち戻っていたのです。第5章では、パウロが引き続き、割礼やモーセの律法を守る必要がない理由を説明しています。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ガラテヤ書:第4章(4:21–5:1)

    使徒パウロは、引き続き、旧約聖書の律法から解放されて自由に生きるよう、読者に勧めています。彼は、ガラテヤの信徒たちに、律法に逆戻りすることの愚かさを理解させようとし、(律法よりも)神の約束に信頼する者は、聖霊の働きに信頼を置いているので、大きな希望があることを思い起こさせています。…

    著者:ピーター・アムステルダム


  • ガラテヤ書:第4章(1–20節)

    パウロは、ガラテヤ書第3章の終わりに、こう語っています。「もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。」 そして、第4章では、アブラハムの相続人であることの意義を説明していきます。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ガラテヤ書:第3章(15–29節)

    ガラテヤ書第3章の前半で、使徒パウロは、ガラテヤの信徒たちが神の民の一員となり、アブラハムの家の一員となるために割礼を受ける必要はないことを指摘しました。アブラハムの祝福を受けるために必要なのは、アブラハムの信仰を持つことです。…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ガラテヤ書:第2章(11–21節)

    (第2章の最初の10節については、先回の記事で扱っています。)

    ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった[非難した]。

    アンテオケ(アンティオキア)はローマ帝国でも有数の大都市で、人口は25万人、そのうち2万5千人がユダヤ人であったと推定されています。…

    著者:ピーター・アムステルダム


  • クリスマスの希望

    私は、クリスマスについて、またクリスマスが意味し、クリスマスについて言われているあらゆることについて、考えていました。クリスチャンは長年にわたり、イエスの誕生の奇跡や、それがいかに世界に影響を与えてきたかについて、考えをめぐらせてきました。クリスマスには美しいメッセージがあり、私はそれが大好きです。

    著者:マリア・フォンテーン

  • 「わたしの羊はわたしの声を聞き・・」

    この人生は、創造主が私たちを神の愛の現れとして成長させるためにデザインされた、さまざまな経験の壮大な集合体です。主が示そうとしておられることのすべてを見逃さずにいようとするほどの賢明さがあるなら、自分自身の経験からだけではなく、他の人たちの人生からも、学ぶべきことはたくさんあります。

    著者:マリア・フォンテーン

  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの死(パート3)

    イエスの十字架上の死については、四福音書すべてに同様のことが書かれていますが、それぞれに他の福音書にはない詳細も含まれています。本記事では、マタイの福音書の記述を用いつつ、他の福音書からも部分的に引用していきます。

    マルコの福音書には、彼らがイエスを十字架につけたのは第3時であったと書かれており、....

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネ17章:イエスの祈り(パート1)

    イエスは弟子たちに、ご自分が「わたしをつかわされたかた」のところに行こうとしている(ヨハネ16:5)ことと、助け主である聖霊が彼らをあらゆる真理に導いてくれる(ヨハネ16:13)ことを告げた後、父に祈り始めました。まず祈られたのは、ご自身の栄光が現されることについてです。次に祈られたのは弟子たちのためで、それがこの章の主な焦点となっています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:公の宣教の終わり

    ヨハネ12章で、イエスはこう言われました。

    「光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい。」 イエスはこれらのことを話してから、そこを立ち去って、彼らから身をお隠しになった。[1]

    ヨハネの福音書では、イエスの公の宣教がここで終りを迎えます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ギリシャ人

    ヨハネの福音書には、共観福音書[1] には記されていない、イエスの受難と死の直前に起きたある出来事が書かれています。それは、何人かのギリシャ人がイエスに会いたいと言ってきた時の話です。この出来事は、彼らの要望を耳にした時にイエスがご自身の宣教の終わりに近づいていることを認識されたという点で、重要な意義があります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:ザアカイ

    ルカの福音書には、イエスがザアカイとされた意外なやり取りが記されています。ザアカイはユダヤ人であり、ローマの政府のために税を取り立てる取税人(徴税人)のかしらでした。

    さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。[1]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 信条(パート10)

    父なる神、御子イエス、そして聖霊に続き、ニカイア・コンスタンティノポリス信条が最後に扱うのは、極めて重要なキリスト教信仰の4つのポイントです。

    私たちは、唯一の、聖なる、公同の、使徒的な教会を信じます。私たちは、罪のゆるしのための唯一の洗礼を認めます。私たちは、死者の復活と来たるべき世の命を待ち望みます。アーメン。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 私たちの王について考える

    救いという神の賜物について、尋ねられる可能性のある質問の一つとは、「全能の神が、なぜ愛する御子を地上に送り、私たちのために死ぬという史上最大の犠牲を払わせなければならなかったのですか?」というものです。ただ指をパチンと鳴らして、「これで済んだ」と言い、私たちをゆるすことはおできにならなかったのでしょうか。

    著者:マリア・フォンテーン


  • 信条(パート6)

    ニカイア・コンスタンティノポリス信条に関する本シリーズの前回記事では、イエスが「私たち人間のため、また私たちの救いのために天より下」 られたことに焦点を当てました。本信条の次の部分は、イエスの誕生、生涯、死、復活、昇天という主要な出来事についてです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 信条(パート5)

    ニカイア・コンスタンティノポリス信条は、「父と同質」である神の子としてのイエスの神性について述べた後、イエスの人性と生涯の出来事(死んだ際の状況、復活、昇天、その後)を扱います。

     

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 信条(パート1)

    キリスト教の歴史を通じ、様々な信仰声明によって、キリスト教信仰の基本的信条が比較的短い文章に要約されてきました。全般的に「信条」と呼ばれるものです。英語の「クリード(creed/信条)」は、「私は信じる」を意味するラテン語の「クレド」に由来します。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • クリスマスの約束

    クリスマスが来て、イエスの誕生を祝うたびに、私たちは歴史を振り返って、神がこの世に救い主を送ると誓われた旧約聖書の約束の成就を見ます。この栄光に満ちた出来事を記念するたびに、私たちは救い主の奇跡的な受胎やその誕生のいきさつを祝い・・・

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:父と子(パート3)

    前回の記事は、「父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている」 [1] とイエスが言われた時のことで締めくくられました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:父と子(パート2)

    前回の記事の最後に、イエスの言葉を聞いて、イエスをつかわされた方を信じる者は、永遠の命を持ち、すでに「死から命に移っている」 [1] とイエスが言われたことに触れました。その後に、こう語っておられます。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:仮庵の祭(パート6)

    7日間の仮庵の祭の中ほどに、イエスはガリラヤを去ってエルサレムに行き、そこに滞在中、宮(神殿)に入って教え始められました。ユダヤ教指導者たちはイエスに反対し、逮捕しようとしましたが、できませんでした。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 暗闇の中の希望

    ある日私は、非常に貧しい宣教地で働いている、あるTFI宣教師からの手紙に、返事を書いていました。それを口述している内に、彼だけではなく、彼が養っている人々に宛てて手紙を書かなければという、強い促しを感じました。

    著者:マリア・フォンテーン

  • もう囚われの身ではない!

    ある友人が、服役中のジェイクという若者についてメールを書いてくれました。彼女はその若者と連絡を取り合っていましたが、長いこと音沙汰がなかった末に、彼から手紙を受け取ったそうです。彼は必死な様子で、今とても大変な状況にあって神への信仰にしがみつき、正気を保とうと戦っているので、祈ってほしいと頼んでいました。

    著者:マリア・フォンテーン


  • イエス、その生涯とメッセージ:イザヤの預言

    『パリサイ人との衝突』パート1~4では、イエスの時代にパリサイ人(ファリサイ派)として知られていた宗教指導者たちが、イエスとそのメッセージに対していかに激しく反対してきたかを見ました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:「わたしはある」宣言―道であり、真理であり、命

    今回取り上げるイエスの「わたしはある」宣言は、弟子たちとの最後の晩餐で語られたものです。これはヨハネ第14章に記録されており、その背景は前の章を見ると分かります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:「わたしはある」宣言―良い羊飼い

    ヨハネ第10章の前半で、イエスはこう言われました。

    はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。‥‥わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。[1]

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:「わたしはある」宣言―門

    イエスはヨハネ第10章で、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である」 [1]「わたしはよい羊飼である」 [2] という2つの「わたしはある」宣言をしておられます。1つ目は最初の10節に出てくるもので、それを本記事で扱いたいと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 命を祝う!

    イースター(復活祭)は、人類史上もっとも強烈な出来事を振り返る時です。神が私たちに対して抱いておられる超自然的で身に余るほどの愛が、十字架上でのキリストの死と、それに続く栄光に満ちた復活とに表されています。

    著者:マリア・フォンテーン

  • イエス、その生涯とメッセージ:「わたしはある」宣言―復活であり、命

    イエスは、ラザロを生き返らせる[1] 直前に、その姉妹のマルタにこう言っておられます。

    「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 [2]

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:「わたしはある」宣言―世の光

    イエスの「わたしはある」宣言の2つ目は、ヨハネの福音書第8章にあります。

    イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。」 [1]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:「わたしはある」宣言―命のパン(パート2)

    パート1では、イエスがご自分は命のパンであり、[1] 「天から下ってきて、この世に命を与える」 [2] 神のパンである、そして、「わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない」 [3] と宣言されたことについて読んできました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:「わたしはある」宣言―命のパン(パート1)

    ヨハネの福音書では、イエスが様々なメタファー(隠喩)を用いてご自身のことを述べておられるのが分かります:「わたしは命のパンである」、[1] 「わたしは世の光である」、[2] 「わたしは羊の門である」、[3] 「わたしはよい羊飼である」、[4] 「わたしはよみがえりであり、命である」、[5] 「わたしは道であり、真理であり、命である」、[6]

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:盛大な宴会(ルカ14:15–24)

    イエスが盛大な宴会のたとえ話を語られたのは、著名なパリサイ人の家で安息日の食事をされていた時のことです。食事中、イエスは宴会の招待客について、あとで返礼として自分を招き返してくれるような人たちだけを招待すべきではないという教訓をお与えになりました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イースター効果

    本記事は、F・リロイ・フォーラインズ書『Classical Arminianism』の中の1つの章をベースにして書かれています。イエスの受難と死をめぐっては神学的に諸説ありますが、この著書はとても意味深い部分を強調しており、1年のこの時期に瞑想するにふさわしい内容

    著者:ピーター・アムステルダム

  • クリスマスの前日談

    マタイとルカの福音書には、イエスの誕生にまつわる話が載っています。天使がマリヤを訪れたことや、彼女の奇跡的な妊娠。婚約者であるヨセフが妊娠について知った時の苦悩や、妊娠は聖霊によるものだという夢を見たこと。マリヤが親戚のエリサベツを訪問したこと。ローマ皇帝アウグスト(カエサル・アウグストゥス)の勅令や、マリヤとヨセフがガリラヤからベツレヘムへ旅しなければいけなかったこと。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • ずっといつまでも

    クリスマスに、飼い葉桶や、天使や、イエスが地上に来られたあの夜のことを考えるのは素晴らしいものです。クリスマス・シーズンの数週間にかけて、私たちはそういった思いに集中し、また一年を通しても、時折それらのことをじっくりと考えたりします。

    著者:マリア・フォンテーン

  • そのすべての核心にあるもの:救い-あらかじめ定められているのか

    先回の記事では、救いは確実なのか、または救いを失う可能性があるのかということについて、プロテスタント内での異なる見解について書きました。救いに関するプロテスタント諸教派の様々な神学において、顕著な違いがもう一つあります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:救い-永遠の救い

    クリスチャンはすべて、イエスが人間の罪のために死なれたことや、十字架でのイエスの死という犠牲によって私たちが救われたことを信じていますが、その救いが永遠のものなのか、あるいはそれを失うことがあるのかということについては、教派によって信条の違いがあります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:救い-その結果-義認、養子縁組、再生

    救いに関するこれまでの記事で、神のあがないの計画がどのようなものなのかを説明する4つの概念について見てきました。その計画によって私たちが神と和解し、自分の罪に対する罰から救われることについてです。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • たったひとりの人生が

    これは、私が普段DCサイトに載せるのとは一風変わった記事です。たいていの場合、ここに掲示される読み物はメンバーに向けられています。けれども、クリ スマス・シーズンの精神にあやかり、今はイエスが与えてくださる愛と贈り物を強調するための素晴らしい機会ということもあって、‥‥

    著者:マリア・フォンテーン

  • そのすべての核心にあるもの:救い-身代わりの犠牲と和解

    先回の記事では、あがないの供え物とあがないの代価を扱いました。それは、イエスの死がいかにして罪に対する罰から私たちを救い、神との和解を果たさせるのか、ということを理解するのを助けてくれる、聖書にもとづく4つの概念のうちの2つです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • そのすべての核心にあるもの:救い-あがないの供え物とあがないの代価

    先回の記事 では、人間のあがないに関する神の計画が人類創造の前から据えられていたことや、それが神の性質の大切な部分である愛とあわれみと恵みとに根差していることがわかりました。今回は、もう少し具体的なことで、十字架上のイエスの死が、いかにして罪のゆるしと神との和解をもたらしたのか、イエスの死によって、いかにして罪のあがないがもたらされたのかを見ていきます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:救い-神の計画

    新約聖書の核となる教えは、聖書中で最も美しい節のひとつである次の言葉に見出されます。神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:神の性質と性格-神の永遠性

    永遠性も、神の本質の一部です。神は永遠の存在です。宇宙の創造の前から、つまり時間が造られる前から、存在しておられました。神には始まりも終わりもありません。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • 壮大な物語

    今回の記事では、福音のメッセージの背後にある物語について話したいと思います。これは皆さんにとってもすでに馴染みのある物語、あなたの人生を変えた物語です。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • そのすべての核心にあるもの:はじめに

    イエスについて私が特に素晴らしいと思うのは、人生を変える救いの贈り物が、心から信じて求めるすべての人に制限なしで与えられていることです。キリスト教の教義をごくわずかしか知らない人でも、‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • ゆるしと救い

    以前にゆるしをテーマに2つのポストを書いた時には、1) 他の人をゆるす、2)自分にしてほしいように他の人にすることによって、ゆるされなくていけない状況を避ける、という2点について書きました。このポストでは、ゆるしの原則が救いとどう結びつくかについて取り上げます。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • あなたはサンタクロースですか?

    もうクリスマス・シーズンですね。一年の内でも素晴らしい時期です! 私は毎年のこの時期が大好きです。というのは、クリスマスが近づくと、みんな、他の人たちのことをもっと気にかけるようになるからです。・・・

    著者:ピーター・アムステルダム