'イエスが語った物語' というタグの付いた記事

  • イエスが語った物語:悪い小作人(ルカ20:9–19)

    悪い小作人のたとえ話は3つの共観福音書全てに記されています。[1] 本記事ではルカの福音書に記されたものを中心に扱い、マタイとマルコの福音書からもいくつかのポイントを紹介していきます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:羊と山羊のたとえ(マタイ25:31–46)

    「人の子」が戻ってこられることについて書かれた羊と山羊のたとえは、マタイ25章にある3つのたとえ話の1つです。他の2つは、「十人のおとめ」と「王としもべ[1] で、後者は「タラントのたとえ」とも呼ばれています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:待っている僕(マルコ13:34–37およびルカ12:35–38)

    マルコとルカの福音書で、イエスは2つの別々のたとえを用いて、ご自身の再臨(時の終わりに再び来られること)について語っておられます。内容は若干異なりますが、どちらも同じことを伝えているので、一緒に取り上げたいと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:広場の子供たち(ルカ7:31–35)

    広場の子供たちのたとえは、あまり有名でないたとえ話のひとつです。ルカの福音書の少し前の方に、バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)が弟子を何人かイエスのもとに送り、次のように尋ねさせたと書かれています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:食卓で座る位置(ルカ14:7–11)

    ルカ14章は、イエスが安息日にパリサイ人(ファリサイ派)のある指導者の家へ食事に招かれた話で始まります。イエスは到着すると(家に入る前に水腫を患っている男を癒やしてから)、たとえを語られました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:十人のおとめ(マタイ25:1–13)

    十人のおとめのたとえ話は、自分の主人がいつ帰宅するかに全く注意を払わない僕(しもべ)に関する、忠実な僕と悪い僕のたとえ話[1] のすぐ後に記録されています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:忠実な僕と悪い僕(マタイ24:44–51)

    忠実な僕(しもべ)と悪い僕のたとえ話は、マタイとルカ、2つの福音書に記されています。内容は非常に似ており、わずかの違いがあるだけです。ここでは、マタイ24章の記述に焦点を当てていきます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:実を結ばないいちじくの木(ルカ13:1–9)

    実を結ばないいちじくの木のたとえ話はルカによる福音書第13章に書かれています。ルカによれば、イエスは群衆に向けて話をしておられました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:費用の計算(ルカ14:25–33)

    ルカの福音書14章には、弟子となることについてイエスが言われた最も厳しい言葉の幾つかが含まれています。たとえば、盛大な宴会のたとえ話[1] では、神との交わりに入るようにとの招きよりも個人的な関心を大切にする人たちのことが語られています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:盛大な宴会(ルカ14:15–24)

    イエスが盛大な宴会のたとえ話を語られたのは、著名なパリサイ人の家で安息日の食事をされていた時のことです。食事中、イエスは宴会の招待客について、あとで返礼として自分を招き返してくれるような人たちだけを招待すべきではないという教訓をお与えになりました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:仲間を赦さない僕のたとえ(マタイ18:21–35)

    マタイの福音書18章の中で、使徒ペテロが赦しを話題に持ち出して、こんな質問をしました。

    「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか。」 イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。」

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:従順な僕のたとえ(ルカ17:7–10)

    ルカの福音書には、答えが明白な質問で始まるたとえがいくつも出てきます。例えば、イエスは次のような質問をしておられます。「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、.....

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:家を建てた二人の人(マタイ7:24–27)

    イエスは山上の説教で、ご自身の教えらておられたことの重要性を理解させるために、弟子たちに一つのたとえを話されました。山上の説教は、マタイの記述もルカの記述も[1] ともに、この家を建てた二人の人のたとえで締めくくられています。一人の家は持ちこたえ、もう一人の家は倒れました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:種をまく人(パート2)(マタイ13:3–23)

    種をまく人のたとえのパート1では、教えを聞きに来た群衆に、イエスがこのたとえを語られたことを書きました。その後、弟子たちだけとおられたとき、彼らから、なぜたとえでお話になるのかと聞かれました。すると、イザヤ6:9–10(パート1に解説されています) にもとづいて説明し、続いてたとえの解き明かしをなさいました。このパート2では、その解き明かしを見て行きたいと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:種をまく人(パート1)(マタイ13:3–23)

    種まきのたとえは、共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)すべてに載せられている4つのたとえのひとつで、マタイ13章、マルコ4章、ルカ8章に書かれています。それぞれ表現の違いはいくらかありますが、言っていることは同じです。ここではマタイが書いたことをもとに説明し、その時に応じてマルコやルカから引用していきたいと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:麦と毒麦(マタイ13:24–43)

    麦と毒麦のたとえはマタイの福音書にのみ出てくるもので、用語や概念に関してはマルコ4章にある成長する種のたとえ[1] に似たところもありますが、実際にはかなり異なったものです。旅をしながら説教をしている人が、似たような話をするのはよくあることでした。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:宝と真珠(マタイ13:44–46)

    マタイの福音書には、神の国について、他の福音書にはない短いたとえ話が2つ載っています。「畑に隠してある宝」と「高価な真珠」です。この2つは対になっており、神の国の価値と、それを見つけたときの喜びについて教えています。では、見てみましょう。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:種とパン種(マタイ13:31–33; マルコ4:26–29, 30–32; ルカ13:18–21)

    バプテスマのヨハネからバプテスマ(洗礼)を受けてしばらくした後、イエスは天の国が近づいたと宣べ伝え始められました。[1] 「天の国」(口語訳では「天国」)という言葉は、「神の国」と言い換えることもできます。1世紀のパレスチナに住むユダヤ人は「神」という名前を口にするのを控えており、そうしなくてすむように間接的な言い方をしたり、他の言葉で代用したりしていました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:父と、いなくなった息子(ルカ15:11-32)

    ルカ15章にある3つめのたとえ話は、イエスが罪人たちと付き合っておられたことについて、律法学者やパリサイ人から受けた非難に対する答えの続きです。イエスは最初に、いなくなった羊と、なくなった銀貨について一対のたとえ話をされました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:いなくなっていたのが見つかった(ルカ15:1-10)

    ルカ15章で、イエスは救われることや復帰(元に戻ること)に関する神のお気持ちを美しく表しています。イエスはご自分が罪人とつき合っておられることを擁護し、ご自分を非難・批判する人たちの態度にお挑みになるために・・・

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:王としもべ(ルカ19:11-27)

    マタイとルカの福音書の両方に、ある金持ちの話があります。彼は長い間留守にするので、その準備をして僕たちにお金を渡し、自分に代わってそれを管理するよう告げました。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:不正な家令(ルカ16:1-9)

    これは、お金や持ち物の使い方について語っている三つのたとえ話の内の、最後のものです。一つ目は愚かな金持ち、二つ目は金持ちとラザロの話でした。不正な家令についてのこのたとえ話は、最も理解し難いたとえ話の一つとして考えられています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:金持ちとラザロ(ルカ16:19–31)

    金持ちとラザロの話もまた、富とその使い方に対する正しい態度に関してイエスが語られた物語です。愚かな金持ちのたとえ話(以前に私が話したもの)と、不正な管理人のたとえ話(シリーズ次回)もまた、富というテーマに触れています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:愚かな金持ち(ルカ12:13-21)

    愚かな金持ちのたとえ話は、これから「イエスが語った物語」で連続して取り上げる3つのたとえ話の一つであり、その3つとも、富や個人財産について触れています。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:情け深い雇い主(マタイ20:1-16)

    ぶどう園の労働者たちの話ともよく呼ばれている、情け深い雇い主のたとえ話は、神の性質と性格が持つ幾つかの側面を表すためにイエスが語った物語です。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:不義な裁判官(ルカ18:1-8)

    不義な裁判官のたとえ話は祈りについてのたとえ話であり、よく、執拗な女の話とも呼ばれています。真夜中の友人のたとえ話とも類似点が多いので、「対」として見られることもあります。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:真夜中の友と父の良き贈り物(ルカ11:5-8; ルカ11:9-13; マタイ7:9-11)

    福音書は、イエスご自身の祈りの手本と、祈りについて教えられたことの両方を通して、祈りについての基本的な教えを伝えています。3番目の福音書であるルカの福音書では、そのような教えの幾つかが11章にまとめられています。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:金を借りた二人の人(ルカ7:36–50)

    金を借りた二人の人のたとえ、あるいはパリサイ人と罪深い女のたとえとも言われている話が、ルカによる福音書7:36–50に出てきます。これは、愛と憐れみと感謝についての美しい物語です。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:パリサイ人と取税人(ルカ18:9–14)

    パリサイ人(ファリサイ派)と取税人(徴税人)のたとえ話が書かれているのは、ルカ書の18章9-14節だけです。このたとえ話が触れていることのひとつは、救いについての基本要素です。では、まず物語に出てくる二人の登場人物を見てみましょう。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエスが語った物語:良きサマリア人(ルカ10:25-37)

    良きサマリア人のたとえ話を知っている方も多いと思います。けれども、現代社会の文化は紀元1世紀のパレスチナのものとはかなり異なっているので、この話の中にも理解していない部分があることでしょう。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエスが語った物語:はじめに

    イエスは素晴らしい教師でした。自身の行動に裏打ちされたイエスの言葉は、地上での布教活動をしていた期間にも、またその後の2千年間にも、数えきれない人の人生を変えてきました。‥‥

    著者:ピーター・アムステルダム