'復活' というタグの付いた記事

  • 第1テサロニケ:第4章(パート2)

    パウロは、3–8節で不品行について取り上げた後、テサロニケ教会で起こっていた別の問題に話を移します。「兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられており、また、事実マケドニヤ全土にいるすべての兄弟に対して、それを実行しているのだから。」…

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 第1テサロニケ:第1章

    パウロと同労者たちがテサロニケの人々に書いた手紙の1通目は、5つの部分に分かれています。最初の部分は前文(1テサロニケ1:1–10)で、一番短く、10の節から成っています。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:ヨハネによる福音書の結び(パート1)

    ヨハネの福音書の最後の章は、復活のキリストがガリラヤに現れる場面で始まります。

    そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた。そのあらわされた次第は、こうである。[1]

    テベリヤの海は、一般にガリラヤ湖と呼ばれる湖で、イスラエル北部にあります。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの最後の出現(パート2)

    マルコによる福音書の最後の章(マルコ16章)には、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、イエスの体に塗るための香料を持って墓へ行ったと書かれています。[1] 墓に入ってみると、右手に真白な長い衣を着た若者(天使)が座っているのを見て、非常に驚きました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:イエスの最後の出現(パート1)

    共観福音書[1] はすべて、イエスと弟子たちとの最後の交流と、それに続くイエスの昇天の話で締めくくられています。本記事とこれに続くいくつかの記事で、それを福音書ごとに見ていきたいと思います。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:復活(パート4)

    先回の記事では、それがイエスだとは気づかずに、一緒にエマオに向けて歩いていた2人の弟子(クレオパと、名前が明かされていないもう1人)について見てきました。彼らはイエスが十字架につけられたことで落胆を示し、こう言いました。「わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人[イエス]であろうと、望みをかけていました。」

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:復活(パート3)

    復活されたイエスに会った後、女性たちはイエスから言われたとおり、そこから出ていって、イエスが生きておられることを弟子たちに話しました。[1] ルカの福音書には、弟子たちは「それが愚かな話のように思われて」、 女性たちの言うことを信じなかったとあります。[2]

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:復活(パート2)

    四福音書すべて(そして使徒行伝)に、イエスが復活の後に弟子たち(男女共)に姿を現された時のことが記されています。マタイによれば、何人かの女性の弟子たちが、イエスの遺体に香料を塗ろうとして墓に行ってみると、墓が空になっていました。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • イエス、その生涯とメッセージ:復活(パート1)

    十字架刑の後、イエスの体は十字架から降ろされ、アリマタヤのヨセフの墓に納められました。そして、大きい石が転がされて、墓の入口はふさがれました。ユダヤ教の律法によれば、遺体の埋葬に関わる作業を安息日に行うことはできず、安息日の間、遺体を埋葬しないままで置いておくこともできませんでした。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イースターの栄光(パート2)

    イエスの死と復活についての名言

    イエスの死と復活について、またいくつか美しい言葉を紹介したいと思います。それは、私たちクリスチャンの人生や目的、また存在そのものの中心にあるものです。

    著者:マリア・フォンテーン

  • イースターの栄光(パート1)

    イエスの死と復活についての名言
    子どもの頃にイースター(復活祭)を祝ったことが、私にとって大切な思い出となっています。私たちの教会では、いつもイースターの朝に丘の上で集まって、日の出を見、賛美の歌を歌いました。

    著者:マリア・フォンテーン

  • イエス、その生涯とメッセージ:人の子の来臨(パート1)

    ユダヤ教神殿についての一連の記事は前回で終了し、その最後に書かれていたのは、イエスがユダヤの住民に対して、彼らに患難が訪れると話されたことです。それはローマ軍が神殿とエルサレム市を破壊することでした。次のように語られたのです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:7人の兄弟

    共観福音書の全てに、サドカイ派の人たちがイエスに死者の復活に関する質問をした話が記されています。[1] 本記事では、ルカの福音書に焦点を合わせていきます。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 信条(パート10)

    父なる神、御子イエス、そして聖霊に続き、ニカイア・コンスタンティノポリス信条が最後に扱うのは、極めて重要なキリスト教信仰の4つのポイントです。

    私たちは、唯一の、聖なる、公同の、使徒的な教会を信じます。私たちは、罪のゆるしのための唯一の洗礼を認めます。私たちは、死者の復活と来たるべき世の命を待ち望みます。アーメン。

    著者:ピーター・アムステルダム

  • 信条(パート7)

    前回の記事では、「ポンテオ・ピラトのもとで、私たちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ」 という箇所について話しましたが、その後は、「聖書にあるとおり三日目に復活し」 と続きます。これは、使徒パウロが第1コリント15:4で書いた、「聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえった」 という言葉と同じことです。

    著者:ピーター・アムステルダム


  • イエス、その生涯とメッセージ:父と子(パート2)

    前回の記事の最後に、イエスの言葉を聞いて、イエスをつかわされた方を信じる者は、永遠の命を持ち、すでに「死から命に移っている」 [1] とイエスが言われたことに触れました。その後に、こう語っておられます。

    著者:ピーター・アムステルダム