イエス、その生涯とメッセージ:復活(パート4)

8月 2, 2022

著者:ピーター・アムステルダム

[Jesus—His Life and Message: The Resurrection (Part 4)]

July 19, 2022

先回の記事では、それがイエスだとは気づかずに、一緒にエマオに向けて歩いていた2人の弟子(クレオパと、名前が明かされていないもう1人)について見てきました。彼らはイエスが十字架につけられたことで落胆を示し、こう言いました。「わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人[イエス]であろうと、望みをかけていました。」 [1] その前には、祭司長たちや役人たちが、イエスを死刑に処するために引き渡し、十字架につけたと語っています。そこでイエスは、起こったことすべてにどんな意味があったのかを説明されました。「こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。」 [2]

それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています。」 イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。[3]

イエスと2人の弟子たちがエマオの村に近づいた時、イエスはなお先へ(おそらく次の村へ)進み行くような様子をされました。その日はもう遅く、夕暮れも近かったため、夜に旅をするのは危ないからだと思いますが、弟子たちはイエスを無理に引き止めました。イエスは彼らの言うとおり、「彼らと共に泊まるために、家にはいられた」 とあります。おそらく彼らが泊まったのは宿のことで、そこで宿泊と食事の提供がされていたのでしょう。

一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。[4]

2人の弟子たちはイエスと一緒に食卓につきましたが、それでもまだ、それがイエスであることに気づきませんでした。イエスはパンを手に取り、祝福してさき、彼らに渡されました。それは、イエスが5千人に食事を与えた時や[5] 最後の晩餐の際に[6] されたことと同じです。イエスは食事のもてなし役として振る舞い、パンを祝福して、彼らに手渡されました。

イエスがパンを裂いて彼らに渡された時、「彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった」 とあります。彼らが、それはイエスだとわかった途端に、イエスは姿を消されました。福音書の幾つもの箇所に、イエスが復活後、信者たちの前に現れたり、姿を消されたりしたことが書かれています。[7] 第1コリント書も、イエスが弟子たちに現れたことに触れています。使徒パウロは、次のように書きました。

わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。[8]

イエスの姿が見えなくなったことについて、ある人がこのように書いています。「イエスが生きておられることが明らかになった以上、目に見える形で現れる必要は、もはやありません。…姿を現されたことで、地上で宣教をされたイエスと、教会の上に座しておられる復活のイエスとの間の連続性が示されています。イエスは、死んで復活された後、誰であれ個人的に助けることができるようになったのです。」 [9]

彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか。」 [10]

2人の弟子が、それまで一緒におり、そして姿を消したのがイエスであったと気づいた時、イエスがいて話をしてくださったことが彼らに与えた影響について互いに口にしました。イエスの説明は、かなりの興奮を彼らにもたらしたのです。

そして、すぐに立ってエルサレムに帰って見ると、十一弟子とその仲間が集まっていて、「主は、ほんとうによみがえって、シモンに現れなさった」と言っていた。そこでふたりの者は、途中であったことや、パンをおさきになる様子でイエスだとわかったことなどを話した。[11]

2人の弟子は、もともとエマオの村に行こうとしていたのですが、イエスに会ったことを仲間に知らせたかったので、道を引き返し、エルサレムへ戻ることにしました。

エルサレムに着いてみると、「十一弟子」(使徒たち)とその仲間が集まっていました。ヨハネの福音書には、イエスが使徒たちに現れた際、使徒トマスはその場にいなかったとあるので、イエスが現れた際にいた使徒は「十一人」ではなく「十人」だけということになります。ある著者は、このように説明しています。「ルカは『十一弟子』という言葉を、ユダを除いた使徒の一団を指すものとして用いており、残された使徒が全員そこにいたと断言しているわけではありません。」 [12] 「十一弟子」の他にも、人数は記されていませんが、エルサレムに残っていた他の弟子たちもいました。エマオへの途上から引き換えした弟子たちは、自分たちの身に起こったことを話そうとしていましたが、その前に、イエスに会った別の人たちの話を耳にすることになったのです。

2人の弟子が、「十一弟子とその仲間」が集まっているところに着いてみると、彼らは、「主は、ほんとうによみがえって、シモンに現れなさった」 と言っていました。そこで、2人の弟子は、「途中であったことや、パンをおさきになる様子でイエスだとわかったことなど」 を彼らに告げました。イエスがシモン(ペテロ)に現れたこと、そして2人の弟子の身に起こったことという、復活のキリストを見たことについての2つの別々の証言があるわけです。

こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。そして「やすかれ」と言われた。彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。[13]

イエスがペテロに現れ、エマオの途上で2人の弟子に現れたと弟子たちが話し合っている時、イエスは彼らに現れなさいました。使徒たち、そして彼らと共にいた他の弟子たちは、霊を見たのだと思い、驚き恐れました。

彼らを落ち着かせるために、イエスは2つの質問をされました。

そこでイエスが言われた、「なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。」 [14]

最初の質問は、彼らが取り乱し、動揺していたことについてです。彼らは「霊」を見たと思ったのであり、肉体を離れた霊が現れるというのは確かに普通ではないことで、かなり驚いたことでしょう。2つ目の質問は、彼らの理解不足についてのものです。なぜ、彼らは心の内に疑いを起こしたのでしょうか。それはおそらく、イエスが死からよみがえるとは思っていなかったし、彼らの前に何度も現れるとも思っていなかったからでしょう。

「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ。」 こう言って、手と足とをお見せになった。[15]

イエスは弟子たちに、手や足を見て、十字架刑で受けた傷を確認するよう言われました。この箇所やヨハネ書にある記述[16] から、イエスは十字架に縛り付けられただけではなく、釘付けにされていたことが分かります。傷を見る以外にも、体を触ってみるように言われました。肉と骨のある体を持っており、肉体を離れた霊とは異なることを知ってほしかったのです。ある著者が、このように説明しています。「イエスは復活されたのであり、その体は生き返っているのです。その体には肉体の特徴があるけれど、古い体には持ち得ない特徴もあります。(例:この新しい体は滅びることがなく、姿を表したり消したりすることもできます。) 単に他の弟子が現れるのとは異なり、イエスが最初に現れた時にそれが驚きを与えるような特徴が。」 [17]

彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスが「ここに何か食物があるか」と言われた。彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた。[18]

「まだ信じられない」 という言葉は、2つの意味に取れます。それは、イエスが現れて話をされたにもかかわらず、あまりにも信じがたいことだったので、弟子たちは疑ったという意味かもしれません。別の可能性は、それを驚きの表現として理解することであり、弟子たちは喜びと驚きが入り混じった気持ちでいたということです。

何か食べ物があるかと尋ねることによって、イエスはおそらく弟子たちの疑いや恐れを取り去ろうとされたのでしょう。イエスが食卓について一緒に食事をされたことで、イエスは幽霊でも幻影でもないことが示されました。食卓で弟子たちと交わりを持たれたことは、イエスが弟子たちと一つであることを示しています。また、それは、イエスが本当に死からよみがえられたという証拠でもあります。イエスは彼らに現れ、話をし、共に食事をされました。イエスが死から復活されたことについて、疑いの余地はなくなったのです。

それから彼らに対して言われた、「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する。」 [19]

イエスが「話して聞かせた言葉」 とは、イエスの教え全般のことではなく、ご自身の死と復活についてされた、次のような教えのことです。

「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日目によみがえる。」 [20]

イエスは十二弟子を呼び寄せて言われた、「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子について預言者たちがしるしたことは、すべて成就するであろう。人の子は異邦人に引きわたされ、あざけられ、はずかしめを受け、つばきをかけられ、また、むち打たれてから、ついに殺され、そして三日目によみがえるであろう。」 [21]

「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉」 のことを持ち出されたのも、復活のキリストは、公生涯の間弟子たちと共におられたイエスと同じ方であることを示しています。それはまた、イエスがもはや物理的に彼らと共におられない新しい時代が始まったことを示してもいます。

イエスが話している「モーセの律法」とは、旧約聖書の1つ目の主要な区分のことで、最初の5つの書から成っています。「預言書(預言者)」は旧約聖書の2つ目の主要な区分で、「前預言者」(ヨシュア記から列王記下まで)と「後預言者」(大預言者であるイザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル、そして小預言者であるホセアからマラキまで)から成っています。「・・と詩篇」とあるのは、おそらく旧約聖書の3つ目の主要な区分である「諸書」のことを指しており、それは、旧約聖書の残りの書から成っています。

そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。」 [22]

イエスの説明によって、弟子たちは、イエスの死や復活に関する聖書の教えをよりよく理解することができました。それは、以前、幾つかのことが彼らから「隠されて」いたため、よく理解できなかったことと対照的です。

しかし、彼らはなんのことかわからなかった。それが彼らに隠されていて、悟ることができなかったのである。また彼らはそのことについて尋ねるのを恐れていた。[23]

弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。この言葉が彼らに隠されていたので、イエスの言われた事が理解できなかった。[24]

イエスが聖書から説明された3つの点の1つ目は、「キリストは苦しみを受けて」 ということです。これは、旧約聖書の中でメシア(キリスト)の苦しみについて書かれた特定の聖句のことを言っているのではなく、この点について旧約聖書全体に見られる教えのことです。初代教会は、キリストが苦しみを受けることを示す箇所として、詩篇22篇とイザヤ53章をたびたび引用しました。

2つ目の点は、「三日目に死人の中からよみがえる」 ということです。この福音書によれば、この約束は死んですぐに復活することを言っており、ユダヤ人が望んでいる終わりの時の復活とはかなり異なっていることが明らかです。ユダヤ人の望みは、旧約聖書のこの節に見られます:「あなたは 私のたましいをよみに捨て置かず あなたにある敬虔な者に 滅びをお見せにならないからです。」 [25]

3つ目の点は、「その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる」 ということです。神の将来の計画がここに示されています。悔い改めと罪の赦しのメッセージが、すべての場所で宣べ伝えられるのです。マルコの福音書にも、こうあります。「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」 [26] イエスが指示されたのは、まずエルサレムで宣教を始め、いずれは他の地域にも移って、全世界に福音を伝えよということなのです。

「あなたがたは、これらの事の証人である。」 [27]

弟子たちは、イエスの生涯、死、復活、そして昇天の証人です。彼らは、復活のキリストとの個人的な経験を伝えるという委任を受けており、すべての国民にメッセージを伝えるという任務がありました。

「見よ、わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさい。」 [28]

イエスは、父が約束されたものを贈ると宣言されました。神を「わたしの父」と呼ぶことで、父と子の間にある深く親密な関係を示されました。また、御霊を送ることは父の約束でしたが、イエスはご自身が御霊を送ると言われました。神が約束された救いと御霊は、イエスを通して与えられるのです。

「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。」 [29]

弟子たちは、「上から力を授けられるまでは」 エルサレムにとどまっているよう指示されました。エルサレムから離れないでいなさいという命令は、使徒行伝でも次のように繰り返されています。

そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。 すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう。」 [30]

使徒行伝は、しばらくエルサレムにとどまっているのがなぜ大切だったのかについて、それはイエスの弟子たちが聖霊によってバプテスマを授けられることがどうしても必要だったからであると説明しています。


注:

聖書の言葉は、特に明記されていない場合、日本聖書協会の口語訳聖書から引用されています。


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1 ルカ 24:21.

2 ルカ 24:27.

3 ルカ 24:28–29.

4 ルカ 24:30–31.

5 ルカ 9:16.

6 ルカ 22:19.

7 ヨハネ 20:19, 26. ルカ 24:36.

8 1コリント 15:3–9.

9 Bock, Luke 9:51–24:53, 1920.

10 ルカ 24:32.

11 ルカ 24:33–35.

12 William F. Arndt, Commentary on Luke (Concordia Publishing House, 1956), 491.

13 ルカ 24:36–37.

14 ルカ 24:38.

15 ルカ 24:39–40.

16 ヨハネ 20:25.

17 Bock, Luke 9:51–24:53, 1933.

18 ルカ 24:41–43.

19 ルカ 24:44.

20 ルカ 9:22.

21 ルカ 18:31–33. こちらも参照:ルカ 9:44, 17:25, 22:37.

22 ルカ 24:45–47.

23 ルカ 9:45.

24 ルカ 18:34.

25 詩篇 16:10.〈新改訳2017〉

26 マルコ 16:15.

27 ルカ 24:48.

28 ルカ 24:49.

29 使徒 1:8.

30 使徒 1:4–5.