祝うべき理由
5月 6, 2014
著者:ピーター・アムステルダム
祝うべき理由
[Reason to Celebrate]
May 6, 2014
オーディオ所要時間:18:48
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今日のテーマはお祝いです。これは、感謝と賛美にも深く関係しています。
歴史全体を通して、人類は大きな進歩や勝利、数々の重大な出来事を記念して祝い、あるものは今日に至るまで祝われています。誕生日、記念日、卒業、昇進など、私たち全員によく馴染みの、世俗的・文化的なお祝いもたくさんあります。また、キリスト教のお祝いの例を挙げると、イースターやクリスマスがあります。
私たちクリスチャンにとって、神を創造主、救い主、また、あがない主として知っていることは、いつまでも続く深い喜びをもたらします。私たちの感謝の気持ちと幸福感は、お祝いという形になって表れるべきです。私たちには、祝うべき理由が、常に、また永遠にあります。事実、天国では永遠にお祝いをすることでしょう。
救いという素晴らしい贈り物以外にも、人生には祝うべき理由がたくさんあります。たとえ小さなことでも、祝うだけの価値はあります。祝うことは気力を高めるからです。団結を生み出し、励ましをもたらします。お祝いは、時間のかかる、高価で凝ったものでなくとも構いません。お祝いという行為には、楽しさ以外にも、大きな価値があります。それについて、これからお話ししたいと思います。
ここに、お祝いの効用に光を当てたポイントを5つ挙げましょう。
1. お祝いは、主のいつくしみを感謝し、証言する。
イザヤ63:7にはこうあります。「わたしは主がわれわれになされたすべてのことによって、主のいつくしみと、主の誉とを語り告げ、また、そのあわれみにより、その多くのいつくしみによって‥‥施されたその大いなる恵みを語り告げよう。」
良いことについて考えるのは、霊的に健全なことです。聖書は私たちに、良きことに思いを留めるよう教えています。それについての典型的な聖句をあげましょう。
ピリピ4:8にはこうあります。「最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。」
お祝いは、主のいつくしみに感謝するための良い方法です。主がどれだけのことをして下さっているかを、あなた自身にも他の人たちにも、思い起こさせてくれます。
私たちの生活はハイペースで、難関もたくさんあります。あれこれ次々とやっていると、祝うことができる良いことや愛すべきこと、素晴らしく、心に留めるべきことを見逃したり、忘れたりしがちなものです。ややもすると、この世の多くの俗事にとらわれて、主のいつくしみを見失ってしまいがちです。長い間その調子で続けると、間もなく、生き残りをかけた激しい競争のさなか中にいるように感じるかもしれません。
私たちそれぞれのやることリストには、とても多くの項目が載っていて、おそらくそのすべてを終えることはないでしょう。先だって、ある人が私に言いました。「リストにある一つをチェックした途端、新たに3つ増えるんです」と。まったく、そのとおりですね。もっと速く進み、もっと多くを詰め込もうという誘惑に駆られますが、それが答えではありません。やることリストの幾つかを済ませることはできるでしょうが、あまりにがむしゃらに頑張って自分のことに気をつけていなかったために、あなたは病気になるか、圧倒されるか、くたくたに疲れて寝込むことになるかもしれません。
このような、有名な言葉があります。「人生は短距離走ではなく、マラソンである。」
お祝いをすることは、人生のマラソンを走り抜くのを助けてくれます。
良き知らせや達成、勝利、奇跡を祝うことは、将来への信仰を増してくれます。また、神があなたや他の人たちのためになさっている素晴らしい事柄のテスティモニーともなります。それは主をたたえることになるばかりか、他の人たちの励ましにもなります。人々は(少なくともたいていの人は)、他の人たちが良くやっているのを見ると嬉しいものです。それに聖書には、喜ぶ者と共に喜び、他の人の幸運を喜びなさいとあります。[1]
2. お祝いは、あなたや他の人たちの達成や画期的な出来事に対する感謝の念を表す。
人生のゴールに達した時には、その体験を誰かと分かち合うことが大切です。電話やチャットで友達にそれを教えたり、フェイスブックで良い知らせを投稿するといった、簡単なことでもいいのです。他の人たちと勝利を分かち合うのは大切なことであり、それもまた達成の満足感の一部です。勝利の嬉しさがさらに増すのです。
できる時には、他の人たちと一緒に祝いましょう。皆忙しいので、言うのは簡単でも実行は難しいかもしれません。
最近、ある人が教えてくれたのですが、友人が人生で大きな一歩を踏み出した時に、その夜、二人はスカイプで顔を合わせ、ちょっとしたお祝いをしたそうです。実際には何千マイルも離れていても、一緒にお祝いができたのです。お金もかからなかったし、ほんの短い時間しかかかりませんでしたが、それは誰かの人生における際立った発展を祝う、有意義な方法となりました。
時々、私の友達や知り合いが多くの進歩を遂げ、人生の節目を迎えているという話を聞きます。それが彼らにとって多くの犠牲を要していることや、そこに到達するために大変な努力を払ったことを、私は知っています。彼らがしばし立ち止まって深呼吸し、成功を感謝し、その実現のために彼らをはじめとした色々な人たちが払った大きな努力と犠牲を認める時間を取ってほしいと、心から願います。
誰でも、自分の努力を認められ、感謝されることを必要としています。それは大切なことです。すさまじいペースをいったん止めて、あなたやあなたの愛する人たちの人生における勝利をたたえるだけの価値はあります。誰か他の人のであれ、あなたのであれ、獲得したものを認め、感謝するために、少しばかりの時間を捻出するだけの価値はあるのです。
3. お祝いは、忙しい生活におけるプロジェクトとプロジェクトの間の休止を、おのずと与えてくれる。
お祝いは、自分がどれだけの道のりを来たかをじっくりと考え、立ち止まって感謝するのを助けてくれます。一つのプロジェクトが終わった時や、何かの勝利があった時にいったん止まって感謝し、お祝いをしないなら、気がつかないうちに次のプロジェクトがやってきて、勝利や達成の喜びは、新しいやることリストの下に埋もれてしまいます。その勝利は「失われた」も同然になるか、結局なかったことになってしまうかもしれません。
新しいミッションの試みを始めたこと、勉強、大きなプロジェクトへの取り組み、子どもがゴールに達するのを助けるなど、それが何であれ、何かのために懸命に働いた時には、いったん立ち止まって、しばしの間、任務を完了したという喜びに浸るべきです。あなたはやり遂げました。やったのです! ゴールに達したのであり、お祝いをすることで、あなたはおそらく、時間、エネルギー、睡眠不足、ハードワーク、お金という形で多くを費やしたものの、その甲斐はあったということを、十二分に気づくようになるでしょう。あなたの投資は報われました。それを認めることで、次回あなたが同じような犠牲を払うようにとの召しを受ける際、それもまた価値のあることであり、報われるのだと感じるようになることでしょう。
4. あなたの成功と勝利の一覧を作る。
山を登っている時には、何時間も、さらには何日も登り続けて疲れて体中が痛いのに、それでも、頂上に着くにはまだまだ道のりが長く見えることがあります。そういう時には、山の下を見下ろして、どれだけの距離を来たかを見るといいかもしれません。自分の進歩を測ったり、足跡をたどったりすることは、満足感と達成感を与えてくれます。また、次の道しるべまで到達できるんだ、最後にはゴールにたどり着けるんだ、という自信も増すことでしょう。
自分が先週や先月に何をしたかを覚えているのは結構簡単ですが、年月が経つにつれ、ゴールラインに達するために飛び越えなければならなかったハードルをすべて思い出すのは、かなり難しくなるかもしれません。でも、乗り越えたそのハードルこそが、祝う価値のある勝利なのです。なぜなら、そのように進み続けることで、あなたはゴールラインに達したからです。それらの節目は覚えておくだけの価値があるものであり、少なくとも私たちの何人かにとっては、何かを覚えておくには‥‥それを書き留めないといけません。
そのような達成を書き留めるなら、たとえ一行だけだとしてもノートに書いておけば、数ヶ月後、あるいは数年後になって、おそらく、自分が実際どれだけのことをしたかを見て、驚くことでしょう。 祝福を数えるのと同じように、自分の勝利や進歩の歩みを数えることは、信仰をぐんと増してくれるものです。
勝利を大いに楽しむのは良いことです。たとえ小さな勝利でもいいのです。そして、自分や他の人がした何かがうまく行き、成功したのを認めるなら、次に取り組むものについて自信や自尊心がぐんと増すでしょう。言うまでもなく、子どもは誰よりもお祝いが大好きなので、子どもの達成や進歩に関しては、これが特に大切です。
5. お祝いは、一つのプロジェクトが終わった時や、ゴールに達した時の楽しみである「ご褒美」となってくれる。
何か楽しみにすることがあるというのは、パワフルなものです。お祝いをするとわかっていて、お祝いの時の喜びや楽しみを待ち望むと、ゴールラインを超えるのに必要な、最後の一がんばりを与えてくれます。
前もって自分のためのご褒美やボーナスを決めておく人もいます。骨の折れる仕事やプロジェクトに苦労して取り組んでいる時に、楽しみにできる、自分の好きな何かを決めておくのです。
あなたのチームには、ミッション・プロジェクトのための資金調達目標があったとします。そして、コミュニティーセンターの別館を建てるお金を調達しようと、懸命に働きかけています。進展はゆっくりですが、コツコツ頑張っています。おそらく、ゴールの30%に達したなら、スペシャルディナーを囲んでゆったりした夜を一緒に楽しもうと、前もって決めてもいいでしょう。60%に達した時には、家族やミッション・プロジェクトの同僚を日帰りでテーマパークに連れて行き、100%に達したなら、家から離れて週末のバケーションを一緒に祝うなど。お祝いはコミュニティー意識と、インスピレーションと、さらには創造性も生み出してくれます。
私には、生まれつきお祝い事が得意な友達が何人かいて、彼らの周りにいることで、私自身はお祝い事があまり得意ではないのだと気づきました。
過去長年の間、他の人たちがお祝い事をいわば先導してくれたことを感謝しています。なぜなら、私は、特別の達成を祝おうという考えが浮かんだり、そのための計画に時間や思考や祈りを注ごうというタイプではないのです。でも、誰かがお祝いの時を設けてくれると、とても素敵だし、私も実際、それがとても好きです。15分間であれ、数時間であれ、立ち止まって達成事項について考えるのは健全なことです。それに、いったんお祝いに参加するか、お祝いが終わると、私自身にもそれが必要だったことに気づかされます。
神は人間を、お祝いするよう造られました。神は私たちに、神を賛美し、神が為された素晴らしい事を讃え、「感謝をもってみ名をほめたたえ 」るよう教えられました。それは、祝いなさいといういましめです!
神でさえお祝いをされます。世界を創造された時のことが、こう書かれています。「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。‥‥神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。」[2]
私には、神はいったん立ち止まって、ご自分がなさった達成のすべてを見渡されたように思えます。神はいわば創造というプロジェクトを完成なさったのであり、それは、「はなはだ良かった」のでした。その後、神は休まれました。神でさえも、ご自分の御手のわざを見渡す時間を取り、労苦を休まれたとしたなら、私たちも確かにそのための時間を作れるはずです。そうは思いませんか?
では、私たちはどういった種類のことを祝うべきなのでしょう。実際、何でも良いのですが、幾つか例を挙げてみましょう。
- 子どもの達成。たとえば、学校での学年を修了する。パフォーマンスのために必要なすべての練習。新しいスキルをマスターする。自分のやっているスポーツで勝つ。
- 個人の人生のゴール。たとえば、2ヶ月間、週に3回エクササイズをする。1ヶ月間、自分で決めた食餌法を守る、など。
- 勉強面での進歩。学期の修了。重要な試験に合格する。専攻分野の修了証書を取得する。
- プロジェクトの完了。たとえば、家周りの改善、車のエンジンの組み立て、子どものパフォーマンス・チームのために新しいコスチュームを縫う、本の執筆の完成。
では、物事がうまく行っていなければどうするのかという質問もあるかもしれません。でも、祝うべき何か大きなことがなくとも、もう少し掘り下げて、隠れた「お祝い事の宝」を探し出すなら、普段よくある出来事でも、特に祝うための時間を取ってこなかった何かが見つかるかもしれません。
- 今月もちゃんと支払いができた。
- あなたの幼稚園児の読める単語が、今月25語増えた。
- インフルエンザが流行っていて、他の皆はかかったのに、あなたはかからなかった。
- 主は、車の修理、事故、病気など、お金のかかる「緊急事態」にならないよう、守って下さった。
- 友達や宣教師仲間からの良い知らせを聞いた。
- 新しいコンピューター・プログラムを学んだ。
- 主が、コミュニティー・クラブハウスを使って聖書学習をするという扉を開いて下さった。
- あなたか、誰か他の人が、__キロ体重を減らした。
- 医者からもらった検査結果が良い結果だった。
先日、ある記事を読んでいたのですが、マイク・ロビンズによる話が、特に私の注意を引きました。このような話です。
数年前、ヒューストンで、シェブロンのイベントで講演した後、タクシーに乗って空港に向かっている時の事でした。私とタクシー運転手は、人生や家族について、またアメリカ文化の状態についての興味深い会話を交わしました。運転手は、自分はエチオピア出身だけれど、もう20年間アメリカに住んでいると言いました。
そこで彼に聞いてみました。「他のところで育ったあなたにとって、アメリカの文化をどう思いますか?」 しばらく無言が続いた後、私にこう尋ねてきました。「正直に言ってもいいですか?」「もちろんですとも。」 すると、彼は言いました。「ここの文化においては、ほとんどの人が甘やかされた子どもみたいに行動していると思いますよ。」
その答えに少々驚いて、「なぜそう思うんですか?」と尋ねると、こう言いました。「マイクさん、私はエチオピア出身で‥‥ここでは毎日が良い日なんです。なぜここのみんなが、両手を宙に挙げて『ありがとう! ありがとう! ありがとう!』と言って歩かないのか、私にはわかりません。」[3]
その通りだと思いませんか? 特に、主を知っている私たちにとっては、その通りです。私たちは両手を挙げて、主に向かって何度も「ありがとう」と言って歩くべきなのです。私たちはこんなにも祝福されているのですから。
ここに、お祝いのための7つの秘訣を挙げましょう。
1. お祝いにはお金を全然かけなくてもいいし、安くてもいい。沢山のお金をかける必要はない。
熱いお風呂に浸かってゆったりするだけでもいいし、戸外に座って大好きなジュースを味わって飲んだり、友達と一緒にワインを飲んだり、お祝いの電話をかけたり、家でポップコーンを食べながら昔の映画を観るのでもいいし、食事の時に感謝の気持ちを分かち合うのでもいいのです。
2. お祝いは簡素なものでもいい。凝ったものや、計画に時間のかかるものである必要はない。
「お祝い」という言葉に怖じ気づいてはいけません。たくさんの時間や労力や手間やお金をかける必要はないのです。大ごとにしなくてもいいし、入念なイベントでなくても構いません。夕食の時に、誰かを讃えて乾杯したり、全体でのゴール達成のために乾杯するといった、簡単なものでもいいのです。
3. できるだけすぐにお祝いすること。あまり長い時間を経過させないように。
4. お祝いはなるべく、へとへとに疲れ果てていない時にするように。
その方がもっと楽しめるし、気持ちも集中できます。周りの人にとっても、あたなたと一緒にいるのがもっと楽しいでしょう。
5. 目に見える記念として、イベントの写真を撮る。後々、いい思い出となることでしょう。
6. あなた(や祝ってあげている人)が楽しめることをする。
お祝いは楽しくて、くつろげるものであるべきです。お祝いされている人たちにとってストレスが増えるものであってはいけません。その人が緊張するようなものであってはいけません。それだと、お祝いの意味がなくなります。
7. 何ヶ月、あるいは何年もかかるような、特に大きなゴールや長期にわたるゴールがある時には、節目節目で小さなお祝いを計画する。
ある著者がこのように言いました。「やると決めたことをすべて達成するまでお祝いを待ってはいけません。増加分を祝いなさい。これはゴールの再確認となり、進み続けるためのエネルギーを与えてくれます。」[4]
お祝いという行為は、身につけていくべき習慣です。ですから、もしそれが得意でなくても心配には及びません。改善すればいいのです。私も改善の余地があるし、改善するつもりでいます。‥そして、私の人生でももっとお祝いをしようと思っています!
注:
聖書の言葉は、特に明記されていない場合、日本聖書協会の口語訳聖書から引用されています。
[1] 「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」(ローマ 12:15)
「それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。」(1 コリント 12:25–26)
[2] 創世記 1:31a; 2:3.
[4] Tom Gunnels, Keep Your Lights On (Thomas More Publishing, 1998).