キリストに従う者にとっての美徳: 優しさ・柔和

5月 12, 2026

著者:ピーター・アムステルダム

[Virtues for Christ-Followers: Gentleness]

October 29, 2024

御霊の実のリストで8番目に記されている「優しさ・柔和」という美徳は、他の美徳と比べてあまり注目されていませんが、それは聖書全体を通して、イエスと父の双方に関連して言及されているものです。[訳注:英訳聖書で「ジェントルネス(優しさ、穏やかさ)」と訳されているギリシャ語の言葉は、日本語訳聖書では、「柔和」「優しさ」「寛容な心」などと訳されています。]

私たちの罪の赦し、私たちに注がれた憐れみ、そして私たちに示された忍耐強い寛容さと揺るぎない誠実さに、神の優しさを見ることができます。神は私たちに親切で優しいお方であり、「あわれみ深き父、慰めに満ちたる神」と呼ばれています。[1]

優しさは、他者に善意と親切を積極的に示し、気遣いと配慮をもって物腰柔らかに接することによって示されます。心配り、親切な態度、柔らかな物腰、礼儀正しさに表れるものです。優しい人は温厚で、思いやりがあり、友好的です。そのような人は、力ずくで物事を進めることなく、他者とのやり取りや関係において、謙遜で誠実な思いやりを示します。

イエスの優しさは、井戸のそばで出会った女性とのやり取りの場面などに見られます。[2] イエスは彼女を責めることなく、愛と敬意をもって接されました。姦淫の場で捕らえられた女性の話でも、イエスは責めたりせず、むしろ彼女を優しく愛して赦されました。[3] マルタが妹のマリヤに対して荒れているのを見たときも、優しくその状況に対処されました。[4]

自分の信念の一部として、断固として妥協すべきではない点もありますが、道徳的な問題で自分の立場を示すときであっても、優しいやり方でそうすることができます。よりイエスのようになりたいのであれば、私たちは優しさで知られるべきです。イエスは言われました。「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」[5]

優しさの面で成長したいと願うなら、神が日々示してくださる優しさと親切について考え、そのことゆえに神を賛美する時間を過ごすといいでしょう。そうすれば、神が私たちにしてくださるように、私たちもまた、他者に優しくすべきだと気づけます。

使徒パウロは、このように教えています。「あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、できる限り謙虚で、かつ柔和で[優しく]あり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。」[6] また、信者は「だれをもそしらず、争いを好まず、寛容で、すべての人に心から優しく接しなければならない」と教えています。[7]

神が私たち一人ひとりにどれほど優しく接してくださったかを覚えておくと、助けになります。神は私たちを愛しておられます。そして、御子を私たちのために死に渡し、救いという贈り物をくださいました。私たちは、救いを得ようと努力して骨を折る必要がありませんでした。それは、神が恵みをもって私たちにくださった贈り物なのです。私たちが他者に対してイエスとその愛を示すとき、イエスの優しさが私たちを通して輝きますように。

以下の記事では、私たちの生活における優しさ・柔和という御霊の実について、そして他者との関わりの中でそれをどのように育んでいけばよいかについて、助けとなる説明や定義が示されています。

優しい霊を育む

聖書でイエスは、小羊、[8] めん鶏、[9] 優しく思いやりのある羊飼い[10] として描かれています。そして、ご自身について、「わたしは心優しく、へりくだっている」と言われました。[11] イエスは、誰に対しても、無理に信じさせたり従わせたりされませんでした。人々に憐れみを示し、愛に満ちた模範によって、優しく天の御国へと導かれたのです。もしあなたが人々を主のもとへ導きたいなら、イエスの模範に倣ってください。「あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。」[12]

私たちは、優しくあって、「すべての人に親切」にし、「扱いにくい人に対しても忍耐強く」あるよう求められています。[13] 口で言うほど簡単ではないと感じても、心配はいりません。聖霊に自分を通して働いていただくなら、神は私たち一人ひとりがこの面においても、よりイエスに似るよう助けてくださいます。—ラファエル・ホールディング [14]

穏やかさの伝染

「あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない。」(ピリピ4:5–6)

ここで「寛容(優しさ)」と訳されているギリシャ語は、熟達し、成熟した気質を表しています。その場にふさわしく振る舞い、分別があり、節度ある態度を意味します。この優しさは、「みんなの人に」知られます。家族はそれに気づき、友人は違いを感じ取り、同僚はそれに助けられるのです。

優しく穏やかな人は、冷静で、思考が明晰です。その穏やかさを周囲に伝染させる人は、他の人々に「神がすべてを治めておられる」と気づかせてくれます。この優しさを追い求めなさい。主は近くにおられます。あなたはひとりではありません。あなたが孤独を感じ、ひとりぼっちだと思っても、何の助けもなしに人生に立ち向かわなければならない瞬間など、決してありません。神は近くにおられます。何事も思い煩ってはなりません。—マックス・ルケード [15]

優しさの実践

優しさとは何でしょうか。新約聖書の原語であるギリシャ語の言葉で言うと、優しさは文字どおり「制御された力」を意味します。この語は、野生の牡馬が調教され、飼いならされた状態を表すのに用いられました。調教された牡馬は、野生の頃と変わらぬ体力と活力を持ちながらも、今や制御が可能で、主人の役に立つようになったのです。…

優しさは、さまざまな理由で大切です。それは対立を和らげます。批判的な人をなだめます。説得力があります。人を引きつけます。愛を伝えます。

何よりも、優しさはあなたを、よりイエスに似た者とします。マタイ11章28–29節で、イエスはこう言われました。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(新改訳第三版)

あなたは今日、疲れや重荷を感じていますか。代わりに、休みと安らぎを見いだしたいですか。休みと安らぎは、イエスのように優しくあることで訪れます。

ただ家の外に出て、無理に優しく振る舞おうとしても、できないものです。優しさは、「内側からにじみ出るもの」でなければなりません。あなたの内に宿る神の霊が結ぶ実であるべきなのです。イエスは優しいお方であり、あなたもイエスと共に歩むなら、優しさを学ぶことでしょう。

私はもう30年以上、ほぼ毎日、同じ祈りをささげてきました。「主よ、私が、イエスさまがされたように人々に接することができるよう、お助けください。」 なぜかと言うと、私は生まれつき優しい性格ではないからです。だから、私の人生に優しさを生み出してくださるよう、神に委ねなければならないのです。

今週、あなたが神の助けを受けて優しさを実践するためのシンプルな3つの方法を紹介します。

1. 誰かからサービスを受けたり、接客されたりするときは、要求ばかりせず、思いやりを持つこと。今度、役所やコーヒーショップで長い列に並んだ後は、あなたを担当してくれた人に思いやりと理解を示しましょう。

2. あなたの意見が誰かに反対されたときは、相手に屈する必要はないけれど、柔らかい態度でいること。腹を立てても、自分の考えを相手に理解してもらうことはできません。神の真理を引っ込める必要はありませんが、相手には優しさと敬意をもって接することができます。

3. 誰かに失望させられたときは、批判的にならず、優しく接すること。エペソ4章32節には、次のように書かれています。「互いに優しく、思いやりを持ちなさい。神がキリストにあってあなたがたを赦してくださったように、あなたがたも互いに、速やかに、そして完全に赦し合いなさい。」(英語MSG訳)

日々、イエスと並んで歩き、これらのことを実践していくなら、あなたはより優しく、よりイエスに似た者となっていくことでしょう。—リック・ウォレン [16]

優しくあることを選ぶ

聖書にある「優しい」という言葉は、「柔和」と訳されることもあります。柔和であることを目指す人は多くないかもしれません。私たちの考え方では、「柔和(英語でミークネス)」という言葉は「弱さ(ウィークネス)」と同じような響きを持ち、ほとんど同義にさえ感じられます。けれども、本当の優しさは、弱さというより、むしろ強さに近いのです。

優しい人でも、無礼にしたり高慢になったりする可能性を秘めているわけですが、意図的にそう振る舞わないようにしています。意識して、優しくあることを選んでいるのです。そうあるには、実のところ、人に厳しくあたるよりも大きな強さを要します。怒りを爆発させることは、たいてい自分を抑えることよりも簡単です。ですから、柔和さは決して弱さではありません。やり返さないという決断は、何も行動しないことのように思えるかもしれませんが、実際には、謙虚さが稼働している状態です。自信のなさのように見えたとしても、実際には断固とした霊的な行動なのです。

マックス・ルケードは、著書『みことばの宝石(原題:Grace for the Moment)』の中で、次のような決意の言葉を述べていますが、それは私たち誰もが自分自身の言葉とするのに良いものです。「力ずくで勝ち取れるものは何もない。ぼくは柔和を選ぶ。」

この言葉は、優しさや柔和を選ぶことがいかに厳しいものであるかを物語っています。しかし、私たちは主の優しい愛を経験してきたので、それを実践できるし、私たちが優しくあるために必要な力を、主が豊かに備えてくださると信じることができます。主の柔和さは、私たちの弱さよりも大いなるものです。—ピーター・ホイテマ [17]

優しさや柔和さの強さ

父は大柄な人でした。私が大人になってからでも、父の前腕に両手をまわすことができないほどで、その体格と力は威圧的なものでした。父(地元のドクターペッパー瓶詰め工場のオーナー兼経営者)が、私の通う高校に来て、自動販売機を背負って運んだことを覚えています。それも、たったひとりで。あとで父は、それは主に男子生徒たちへの警告としてやったのだと教えてくれました。その効果は確かにあったようで、何人もの男子から、父が怖くて私をデートに誘えないと言われました。彼らには父の強さしか見えず、父の優しさには気づいていなかったのです。

でも、私の心の中では、父は優しい巨人でした。確かに、威厳はあったし、私を守ってくれる存在でしたが、同時に、私を優しく抱きしめてくれたし、ユーモアにあふれた人でした。父の大きな手には、言葉ではうまく言い表せないような優しさが宿っていたのです。…

十字架上のイエスの死は、柔和さの極みです。天使の軍勢を呼び寄せて、ご自身を十字架から引き下ろしてもらうことだってできたのです。天の御使いたちが剣を抜き、身を乗り出して、キリストが受けておられる仕打ちに心を痛めている様子が目に浮かびます。イエスからの命令を今か今かと待っているけれど、その命令は、あなたや私への深い愛ゆえに、最後まで下されることがありませんでした。

しかし、神殿を清め、両替人の台をひっくり返したその神の御子は、私たちと御父との壊れた関係を回復する道として、優しくあることを選ばれたのです。そして、マタイ11章28–29節では、ご自身を柔和な者と言い表しておられます。「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」…

そして、この柔和さは、コロサイ3章12–13節でも触れられています。「だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。」 何とパワフルな、生き方の規範でしょう。—キャシー・ショール [18]

*

優しさは、世の中では弱さのしるしと見なされがちですが、実際には、優しさは弱さなどではなく、力がコントロールされて、愛をもってうまく使われている状態なのです。優しさをもって振る舞う人は、真実と信心のために立ち上がるとき、それを謙遜かつ柔らかい物腰で行います。私たちは、証をする際や、信仰について教えたり説明したりする際、優しさをもってそうすべきです。

「ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。しかし、やさしく、慎み深く、明らかな良心をもって、弁明しなさい。」(1ペテロ3:15–16)

「主の僕たる者は争わず、すべての人に柔和に接し、教えることができ、よく忍び、 反抗する者を優しく教え導かねばなりません。」(2テモテ2:24–25 新共同訳)

優しく話すには、聖霊の力が必要であり、対立や意見の相違があるときには特にそうです。そのようなとき、ついかっとなって、怒りや残酷さ、軽蔑の気持ちでいっぱいの言葉を口にしてしまいがちですが、優しさ・柔和の実は、次の引用句にあるように、相手に対して柔らかな受け答えをし、思いやりを示すよう導いてくれます。

クリスチャンはいつでも、イエスの死と復活による救いの福音(1コリント15:2–4)を人々に語れるよう備えておくべきです。… すべてのクリスチャンは、自分たちが抱く希望の理由を尋ねられたときに、それに答えて弁明できるようにしておく必要があります。…

信仰について尋ねてくる人に適切に答えるには、クリスチャンは「やさしく、慎み深く、明らかな良心をもって」(1ペテロ3:16)答えなければなりません。クリスチャンの生き方には、特にキリストに代わり、質問に答えて自分の信仰を説明する際に、辛辣さや無礼な態度の入り込む余地はありません。ペテロは、信者が不信者に対して、優しく、敬意をこめて、そして自らの生き方をもって示す手本によって、答えを与えるよう勧めています。(参照:コロサイ4:6) 信者は、優しさについてのキリストの教えを体現し、「愛にあって真理を語」るべきなのです。(エペソ4:15)

「あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい」という命令は、キリストにある希望を、他者の前で目に見える形で示す信仰が存在することを前提としています。クリスチャンが迫害や苦難に直面してもなお、大いなる希望を抱く姿を見たとき、未信者は自然と、その希望の理由を知りたくなるでしょう。(マタイ5:16) 私たちは、穏やかに敬意をもって福音を伝える備えをしておく必要があります。—Got Questions [19]

優しい言葉

イエスが切り開かれた愛の新しい時代について考えるのは、実に興味深いことです。もちろん、イエスが来られる以前にも、この世には優しさがありました。… けれども、その当時の世界は、全体的に残酷さに満ちていたのです。富める者は貧しい者を虐げ、強い者は弱い者を踏みにじりました。女性は奴隷のように扱われ、男性は暴君のように振る舞いました。病人、足の不自由な人、目の見えない人、老人、身体や精神に障害のある人に、愛の手を差し伸べる者はなく、やもめや孤児、家のない人を気遣う者もいませんでした。

そこに、イエスが来られたのです。33年のあいだ、イエスは人々の間を歩き回り、親切な行いをされました。その心は優しく、言葉にも優しさがあふれていました。… イエスの語られる一つひとつの言葉には、いつも確かな愛の鼓動が感じられました。同情と優しさで脈打っていたのです。

人々は常に、イエスが自分たちの友であることを知っていました。イエスの生涯は、豊かな助けと親切に満ちていました。どんな不正や残酷さに遭っても、それによってイエスの優しさが変わることはありませんでした。イエスは行く先々で優しさをまき散らされたのです。… 塩辛い海水に一握りの香辛料を入れて水を甘くするように、イエスの教えは、この世界の愛や親切さのない人生に落ちました。するとそれは、すぐに優しさに変わり始めたのです。どこでも福音が届いたところには、この偉大な教師の言葉が伝えられ、人々の心に刻み込まれました。そしてそこに、優しさという祝福を残していったのです。—J・R・ミラー

優しく柔和になれるようにとの祈り

天の父よ、

私たちは、あなたがどのようなお方であるかに感謝し、また、あなたが与えてくださったすべてのものや、示してくださった憐れみと恵み、そしてあなたの臨在と誠実に心から感謝して、今、御前にまいります。あなたは、私たちがあなたの姿を映し出し、それによって、あなたに栄光を帰すことができるように、私たちを造られました。…

イエスよ、あなたの内に、私たち自身の人生とこの世界に最も必要なものがあることがわかります。あなたは、心優しくへりくだっている方なので、私たちもあなたに学びなさいと言われました。(マタイ11:29) また、地上で生きている間、その優しさと謙遜の模範を示してくださり、罪深い私たちにも優しく接してくださいました。私たちがあなたから学び、あなたの手本に従えるようお助けください。

優しさとは、心を落ち着かせる気質であり、強さから生まれる柔和さです。イエスよ、私たちにはそれが必要だと認めます。多くの人が、親切な言葉、思いやりのある行為、穏やかに理性によって発する声、そっと語られる励まし、そして優しいタッチを必要としています。イエスよ、私たちが平和をつくり出す者となれるようお助けください。穏やかな人柄の者となれますように。他者への反応の仕方や関わり方において、注意深くあれますように。この世界で荒れ狂う嵐に、静けさをもたらす者となれますように。…

父よ、あなたの御霊が、私たちの内に優しさを育んでくださいますように。イエスよ、あなたとつながっていなければ実を結ぶことはできない、と私たちは知っているので、あなたとつながって離れません。私たちのラビであるあなたの足跡にしっかりと従うことによって、あなたに倣うよう努めます。… 私たちがあなたの優しさを映し出し、それによって、あなたに栄光を帰すことができるようにです。アーメン。—アシュリー・マッカラ [20]

思考の糧

「あなたがたの寛容[優しさ]を、みんなの人に示しなさい。主は近い。」(ピリピ4:5)

「隣人に優しく語りかけるだけでなく、心と魂の隅々まで優しさに満たされていなければならない。」—フランシスコ・サレジオ

「神に選ばれて愛され、聖なる新しいいのちを与えられたあなたがたは、他の人々に対して情け深く、やさしく親切でなければなりません。謙遜で、どんな時にも、おだやかに忍耐強く行動してほしいものです。互いに耐え、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったのですから、あなたがたも、人を赦すべきではありませんか。」(コロサイ3:12–13 リビングバイブル)

「優しさには、強さをコントロールできること、白熱した状況の中にあっても穏やかで落ち着いていること、自分のそばで腹を立て動揺している人をなだめる雰囲気を発すること、他者に自尊心と尊厳を失わせないような機転と丁重さを備えていることなど、誰もが欲するような資質が含まれている。」—チャールズ・R・スウィンドル

(優しさの美徳について、さらに詳しくは、『もっとイエスのように:優しさ』をご覧ください。)

(続く)


注:

聖書の言葉は、特に明記されていない場合、日本聖書協会の口語訳聖書から引用されています。


1 2コリント 1:3.

2 ヨハネ 4:4–29.

3 ヨハネ 8:1–11.

4 ルカ 10:40–42.

5 マタイ 11:29 新改訳第三版.

6 エペソ 4:1–3.

7 テトス 3:2 新共同訳.

8 ヨハネ 1:29; イザヤ 53:7.

9 ルカ 13:34.

10 ヨハネ 10:14–15.

11 マタイ 11:29 新改訳第三版.

12 1ペテロ 2:21.

13 2テモテ 2:24 英語NLT訳.

14 “The Wonder of Gentleness” (adapted), Anchor, November 2018.

15 Max Lucado, “Let Your Gentleness Be Evident to All,” April 17, 2020, https://maxlucado.com/listen/let-your-gentleness-be-evident-to-all/.

16 Rick Warren, God’s Power to Change Your Life (Grand Rapids, MI: Zondervan, 2006).

17 Peter Hoytema, “Choosing Gentleness,” Today Devotional, January 26, 2012, https://todaydevotional.com/devotions/choosing-gentleness-2012-01-26.

18 Kathy Shaull, “The Strength of Gentleness,” 13 Prayers, September 8, 2020, https://13prayers.com/strength-gentleness/.

19 Got Questions, “What Does It Mean to Always Be Ready to Give an Answer (1 Peter 3:15)?” January 26, 2023, https://www.gotquestions.org/always-be-ready-to-give-an-answer.html.

20 Ashley McCullough, “Gentleness—Prayer,” Ultimate Outcomes, June 28, 2020, https://www.ultimateoutcomes.org/gentleness-2/.