'使徒パウロ' というタグの付いた記事
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第1コリント:第4章(6–14節)
コリントの信徒たちに宛てた手紙のこの部分で、パウロは、一部の信徒が自分は他の信徒よりも偉いと考える原因となっている競争心に反対して語っています。
著者:ピーター・アムステルダム
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第1コリント:第3章(3:18–4:5)
本記事では、第1コリント第3章の最後の6節、そして、同じトピックを扱う第4章の最初の5節を見て行きます。
著者:ピーター・アムステルダム
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第1コリント:第3章(10-17節)
パウロは、教会はただキリストの上にのみ建てられなくてはならないと述べています。多くの人が他の土台を据えて、その上に建てようとするかもしれませんが、それはうまくいきません。なぜなら、キリスト以外の土台はすべて、砂の土台だからです。
著者:ピーター・アムステルダム
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第1コリント:第3章(1-9節)
使徒パウロは、コリント教会への最初の手紙に叱責を含める必要があると考えました。なぜなら、彼らの不和、嫉妬、争い(特に、指導者や教師についてのもの)は、彼らがまだキリストにある乳飲み子であることを示していたからです。
著者:ピーター・アムステルダム
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第1コリント:第2章(9-16節)
第4節で神の計画における聖霊の役割について述べられて以降、第2章の終わりまで、この聖霊の働きが手紙の焦点となっています。
著者:ピーター・アムステルダム
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第1コリント:第2章(1-8節)
パウロからコリント教会への手紙は、第2章へと続きます。
著者:ピーター・アムステルダム
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第1コリント:第1章(26-31節)
パウロは、第1コリント第1章の最後の6節で、神には神ご自身の物事のなし方があることを指摘しています。
著者:ピーター・アムステルダム
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第1コリント:第1章(17-25節)
パウロは、このように書いています。「キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである。」
著者:ピーター・アムステルダム
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第1コリント:第1章(4-16節)
パウロは、コリントの信徒たちの間に分争がないように、彼らが一致するよう勧告しています。
著者:ピーター・アムステルダム
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第1コリント:前書き
ペロポネソス地方とギリシャ本土を結ぶ地峡に位置するコリントは、パウロの時代、その立地の良さと港のおかげで繁栄していました。…
著者:ピーター・アムステルダム
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ガラテヤ書:第6章(6-18節)
これは本シリーズの最後の記事であり、パウロがガラテヤの信徒たちに宛てた手紙の最後の章を取り上げていきます。
御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。…
著者:ピーター・アムステルダム
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ガラテヤ書:第6章(5:25–6:5)
今回説明する最初の2つの節は、ガラテヤ書第5章の一部ですが、ほとんどの解説者は、これを第6章の最初の2節と捉えています。そこで、ここでもガラテヤ書第6章に含めて説明していきます。…
著者:ピーター・アムステルダム
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ガラテヤ書:第5章(13-24節)
前回の記事では、第5章の前半、第12節までを扱いました。今回は第13節から引き続き説明します。
兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。…
著者:ピーター・アムステルダム
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ガラテヤ書:第5章(2–12節)
使徒パウロは、ガラテヤの信徒たちに対し、彼らはキリストを信じる信仰によってモーセの律法を守ることから解放されていると教えました。しかし、彼らは割礼を受ける必要があると信じて、古い契約に立ち戻っていたのです。第5章では、パウロが引き続き、割礼やモーセの律法を守る必要がない理由を説明しています。…
著者:ピーター・アムステルダム
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ガラテヤ書:第4章(4:21–5:1)
使徒パウロは、引き続き、旧約聖書の律法から解放されて自由に生きるよう、読者に勧めています。彼は、ガラテヤの信徒たちに、律法に逆戻りすることの愚かさを理解させようとし、(律法よりも)神の約束に信頼する者は、聖霊の働きに信頼を置いているので、大きな希望があることを思い起こさせています。…
著者:ピーター・アムステルダム
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ガラテヤ書:第4章(1–20節)
パウロは、ガラテヤ書第3章の終わりに、こう語っています。「もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。」 そして、第4章では、アブラハムの相続人であることの意義を説明していきます。…
著者:ピーター・アムステルダム
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ガラテヤ書:第3章(15–29節)
ガラテヤ書第3章の前半で、使徒パウロは、ガラテヤの信徒たちが神の民の一員となり、アブラハムの家の一員となるために割礼を受ける必要はないことを指摘しました。アブラハムの祝福を受けるために必要なのは、アブラハムの信仰を持つことです。…
著者:ピーター・アムステルダム
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ガラテヤ書:第3章(1–14節)
パウロは、ガラテヤ第2章で、自分はキリストと共に十字架につけられ、今はキリストが自分の内に生きておられると書いた上で、さらに、自分は神の御子を信じる信仰によって生きているのだと述べました。それから、第3章へと移ります。…
著者:ピーター・アムステルダム
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ガラテヤ書:第2章(11–21節)
(第2章の最初の10節については、先回の記事で扱っています。)
ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった[非難した]。
アンテオケ(アンティオキア)はローマ帝国でも有数の大都市で、人口は25万人、そのうち2万5千人がユダヤ人であったと推定されています。…
著者:ピーター・アムステルダム
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ガラテヤ書:第2章(1–10節)
ガラテヤ書第1章で、パウロは自分が回心したことや、アラビヤに行き、その後ダマスコに戻ったことについて、個人的な証を述べています。その3年後、パウロはエルサレムへ行き、15日の間滞在して、ペテロやヤコブと会い、その後、シリヤとキリキヤとの地方に行きました。…
著者:ピーター・アムステルダム
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ガラテヤ書:第1章(11–24節)
パウロは、ガラテヤの信徒への手紙第1章第10節で、自分は人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのかという問いを投げかけ、もし人の歓心を買おうと努めているのなら、自分はキリストの僕ではないと述べました。…
著者:ピーター・アムステルダム
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ガラテヤ書:前書き
ガラテヤ書は、使徒パウロがアナトリア(現在のトルコ)のガラテヤという地域にある諸教会に宛てて書いた手紙(書簡)です。パウロの時代、ガラテヤ州は、北は黒海、南は地中海にまで及んでいました。…
著者:ピーター・アムステルダム
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第2テサロニケ:第3章(パート2)
パウロは、第2テサロニケ第3章の前半に、自分と同労者たちはテサロニケの教会から経済的援助を受け取る権利はあるけれど、そこの信者たちが見習うべき模範となるために、援助を受け入れなかったことを記しています。…
著者:ピーター・アムステルダム
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第2テサロニケ:第3章(パート1)
第2テサロニケ第3章は、パウロがテサロニケの信徒たちに書いた手紙の最後の章になります。「最後に、兄弟たちよ。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、また、あがめられるように。…
著者:ピーター・アムステルダム
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第2テサロニケ:第2章(パート2)
前回扱った第2章1–8節では、パウロがこのように述べていました。「不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。」 パウロは続けて、この「不法の者」について説明しています。…
著者:ピーター・アムステルダム
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第2テサロニケ:第2章(パート1)
パウロは、テサロニケの教会に宛てた2通目の手紙である「第2テサロニケ書」の序章となる第1章を終えて、第2章では手紙の本文に移ります。
「さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちがみもとに集められることとについて、あなたがたにお願いすることがある。…
著者:ピーター・アムステルダム
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第2テサロニケ:第1章
テサロニケの信徒への第2の手紙は、第1の手紙が書かれた後すぐ、紀元51–52年頃に書かれたと考えられます。第1の手紙と同じく、著者はパウロとシルワノ(シラス)とテモテで、受取人はテサロニケの教会です。テサロニケ人に関する情報は、『第1テサロニケ:前書き』を参照してください。…
著者:ピーター・アムステルダム
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第1テサロニケ:第5章(パート2)
パウロは、テサロニケの信徒たちから受け取った、信者同士の愛や、キリストにある死者に起こること、また主の日の時期についての質問に答えた後、テサロニケ教会の指導者に話を移しました。「兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。…
著者:ピーター・アムステルダム
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第1テサロニケ:第5章(パート1)
パウロは、第1テサロニケ4章の終わりに、キリストにあって死んだ人々がまず復活し、それから生きている人々が彼らと共に引き上げられて、空中で主に会い、それからいつまでも主と共にいることになると語っています。そして、テサロニケの信徒たちに、「あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい」と指示しました。…
著者:ピーター・アムステルダム
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第1テサロニケ:第4章(パート2)
パウロは、3–8節で不品行について取り上げた後、テサロニケ教会で起こっていた別の問題に話を移します。「兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられており、また、事実マケドニヤ全土にいるすべての兄弟に対して、それを実行しているのだから。」…
著者:ピーター・アムステルダム
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第1テサロニケ:第4章(パート1)
パウロがテサロニケの信徒に書いた第1の手紙の第4章は、「最後に」という言葉で始まり、それは、これから別の主題に移ることを示しています。
最後に、兄弟たちよ。わたしたちは主イエスにあってあなたがたに願いかつ勧める。あなたがたが、どのように歩いて神を喜ばすべきかをわたしたちから学んだように、また、いま歩いているとおりに、ますます歩き続けなさい。…
著者:ピーター・アムステルダム
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第1テサロニケ:第3章
迫害のためにテサロニケから逃れた使徒パウロは、テサロニケ教会に手紙を書いて、何度も彼らの所に戻ろうとしたけれど、「それだのに、わたしたちはサタンに妨げられた」と告げています。その時、パウロやその同労者シラスとテモテは、アテネにいました。・・・
著者:ピーター・アムステルダム
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第1テサロニケ:第2章(パート2)
パウロは、第1テサロニケ第2章の最初の部分で、テサロニケのクリスチャンたちに、自分たちは栄誉を求めることも、クリスチャンになったばかりの彼らに金銭を求めることもしなかったことを思い起こさせました。むしろ、パウロたちは、彼らの経済的負担にならないよう、日夜働いていたのです。
著者:ピーター・アムステルダム
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第1テサロニケ:第2章(パート1)
使徒パウロ、シルワノ(別名シラス)、テモテは、迫害のためテサロニケを発ち、マケドニアの南にあるローマの属州、アカヤ(アカイア)に向かいました。
著者:ピーター・アムステルダム
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第1テサロニケ:第1章
パウロと同労者たちがテサロニケの人々に書いた手紙の1通目は、5つの部分に分かれています。最初の部分は前文(1テサロニケ1:1–10)で、一番短く、10の節から成っています。
著者:ピーター・アムステルダム
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第1テサロニケ:前書き
新約聖書にあるテサロニケ人への手紙第1と第2は、使徒パウロによって紀元49-51年頃に書かれたものであり、パウロの初期の書簡と考えられています。使徒行伝にも、パウロがテサロニケで体験した出来事が書かれているので、本シリーズではそれらの出来事も扱っていきます。
著者:ピーター・アムステルダム